第99話 寝取られ報告は彼氏の特権
蒸し暑い夕暮れだった。
シャワーを浴びてスッキリした俺は、棒アイス片手に机の上のスマホを見下ろし、硬直していた。
受話スピーカーから騒がしい雑音と共に、愛しの彼女の声が聞こえてくる。
『――ね。聞いてる? あ――彼氏彼氏。や、まだお酒は飲めないんで。……だからさ、これから新歓コンパがあって――つかもう店にいるんだけどさ』
待望の夏休み直前。
今年の夏を俺がどれほど楽しみにしていたか、それはもう去年の比じゃないのである。
なにせ彼女持ち。
彼女持ちにとって夏は特別。
そう思っている時期がまさに今です、はい。
『――おーい、返事くらいしろっての。もしかして電波悪い? あれ……? マジ聞こえてないのかな……。ヤバ、あたしのも充電切れそう』
スマホを持ちあげた手の震えが、声にまで伝染らないかと不安を感じながら意を決す。
「よ、依子ちゃんさ……」
『――お、やっと声聞こえた。んで、なに?』
「寝取られ報告するつもりだろっ!?」
『――は!? ねと――……なに言ってんの!? んなわけないじゃん!』
「だってそうだろ!? 大学生の新歓コンパとか寝取られのためにあるようなイベントじゃん!」
『――バッカじゃねーの! バッカじゃねーの!? 毒されすぎでしょ! ふつうにはやく帰るし! ――ちが……ケンカじゃない!』
スマホ越しに激しい応酬を繰り広げる。
鼻息も荒く白熱してきた俺は、アイスをひと息に口へ放り込んでしまい、猛烈な頭痛に襲われた。
しかしそれが功を奏し、冷静さを取り戻す。
そうだよ落ち着け。
俺の彼女にかぎって、そんな。
「……ときに聞くけどさ。依子ちゃんの入ってるサークルってなんだっけ……?」
『――え? 前にも言ったじゃん。断りきれずにとりあえず入ったって。……テニサー』
「もう終わりだよそんなのッ!!」
『――はあ!? だからさっきからなんなわけ!?』
テニサーの新歓コンパとか寝取り寝取られのための催事だろ!
乱れたいひと達の寄り合い! 最低!
古事記で読んだ!
ボルテージのあがりきった俺を抑えるためか、依子ちゃんの声音がフッと和らぐ。
『――はぁ。なにを心配してんだかしらないけどさ、そんなことあるわけないでしょ? だって……その……あ、あたしには大好きな彼氏、いるんだし』
「え? なんだって?」
『――だ、だからっ。蒼介くんのことす、好きなのに、んなことしないって……』
「え? なんだって?」
『――わざとだろてめーッ!!』
調子に乗りすぎたせいでプッツンしてしまった依子ちゃん。
今度は俺がなだめる側に回る羽目となる。
幸いにも、最近依子ちゃんがハマっているらしい海外ドラマの話題を何度も擦っていたら、徐々に態度も軟化した。
『――そうそう! まさかあそこで犯人がさ〜――……って、だから充電ヤバいんだってば! じゃあ切るよ?』
「そ、そんな!」
通話が終われば依子ちゃんはきっと、やたら筋トレばっかしてるシックスパックの金髪男に寝取られてしまう。
……あとまあ、単純にもっと話してたい。
『――あっ、ちょっ!? こ、こら勝手に――!』
「依子ちゃんっ!?」
座っていたベッドからガタンと立ち上がる。
襲われたのか!?
通話口の向こうはドッタンバッタンとバタついてるようで、俺にも緊張が走った。
『――……おい、いつまでも女々しいこと言ってんじゃねーぞ蒼介ー!』
「え? その声……麻央?」
『――おーよ。おひさー。まー飲み会にはわたしも参加してっからさー? キミも安心したまえよー』
「不安が倍増したッ!!」
『――あんだとー!? どういう意味だオラー!』
だって寝取られを肴にメシ食うようなやつだし。
口調もヤカラだし。
『――ああもう! とりあえず帰ったらまた連絡するから! じゃね蒼介くん!』
そうして、通話は一方的に切られてしまった。
なんか、ヘラったムーヴしちゃったな。
大丈夫だろうか、嫌われてないかな。
「はあ……」
やっちまったものは仕方ないので、ベッドに寝そべり、本日更新の電子漫画をスマホで読む。
日暮れを飾りつけるヒグラシの声に、まるで夏の終わりを告げられるような寂しさを感じる。
でもそれが、妙に心地よくって。
「……んぁ……?」
案の定、いつのまにか寝てたらしい。
窓の外もすっかり暗くなっていて、無意識にスマホを手に取った。
30分ほど前に依子ちゃんからの着信と、メッセージが数件。
新歓コンパは1時間くらいで切り上げたらしい。
“なぜ出ない”
“浮気かー?”
まさか。
俺が浮気なんてするわけないだろ。
“それはそうとさ”
“海、行きたいね”
“日程決めよ”
「海か。ビキニとか……ビキニとか」
明日から夏休み。
定番のイベントには事欠かない。
「“バーベキューもしたい”――っと、送信」
“いいね”
“肉くいてー”
“あ、でも”
“海でナンパされるかも”
“どーする?”
「“そういうのやめて!”」
煽ってんじゃねえ。
そもそも俺が寝取られ報告なんて望んでないこと、理解してくれてるんだろうか。
息を吐いた直後、依子ちゃんから電話がかかってきた。
声が聞きたくなったってやつか?
かわいすぎるだろ。
スマホを耳もとへ。
「もしもし? どうしたの」
ここからまた、俺たちの夏がはじまるんだな。
『――あ。もしもし? 蒼介くん? あのね今あたし――』
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