第68話 盟友
また羽音がする。
ブー……ンと頭の中で音がする。
畳敷きの、広い居間にテーブルを囲んで座っていた。
白いご飯に、温かい味噌汁。
漬物も3種類があって、焼き魚の香ばしい匂いがする。
そうめんがたっぷり入ったザルに箸を伸ばし、ガラスの器のつゆに沈める。
豪華な食卓だ。
『――ところでどうだ? 彼女のひとりでもできたか?』
さして興味もないくせに、豪快に笑いながら親父が聞いてくる。
日焼けした肌に、白い歯とシャツがまぶしく映える。
母さんはデリカシーのない親父の暴走をいつも咎めてくれて、それ以外のときはやさしく微笑んでみんなの話を聞いてくれる。
『――兄ちゃんに彼女なんかできるわけないじゃん。あたしの宿題も手伝わない冷酷な兄なんで』
陸上部の妹は、親父ほどじゃないけど焼けた肌を気にしてて。
生意気盛りで、口も悪いけどなんだかんだ頼られてる気がして、憎めなくて。
開け放しの縁側から吹き込んでくる風の温度に夏を感じながら。
風鈴が、チリンと鳴った。
ふと気がつけば、リビングで俺はひとり突っ立っていた。
備えつけのエアコンを見上げている。
空調の音が――……。
俺はなにをやってるんだ?
いまの光景は……?
頭を振って、制服に着替えた。
◇◇◇
休み時間、これまで避けていた3年の階へ上がってみる。
廊下の角から、おっかなびっくりヨリコちゃんの教室の前を覗く。
「あっ」
偶然にも教室の前にはヨリコちゃんと、なにやら必死に訴えかけている様子のケンジくんがいた。
ヨリコちゃんは終始うつむいたままで、やがてケンジくんから離れるように廊下の奥へ歩きはじめる。
ケンジくんが即、ヨリコちゃんの後を追う。
ふたりを見るに、まじでケンジくんと別れたのか?
それは意味がわかんねえよ。
別れる必要なんかないだろ。
「――青柳の様子がおかしい」
「うわ!?」
背後の声に驚いて振り向くと、マオが口を尖らせて立っていた。
腰を曲げて、マオは俺の顔を下からうかがうような姿勢をとる。
「訳を聞いても青柳は口を割らねー。ちょうどそこへ事情を知ってそうな覗き魔がきた」
にひっと破顔して、親指を上へ突き出すマオ。
「昼休み、屋上なー?」
カツアゲするときのセリフだった。
昼休みになり、屋上へ続くドアを開ける。
我が校は昼休みにかぎり屋上が開放されていて、過ごしやすい春や秋なら昼食に利用する生徒も多いらしい。
「お、おっせーよソウスケー!」
ドアのすぐそばで膝を抱えて座るマオに、頼まれてた惣菜パンと菓子パン、缶コーヒーを渡す。
やっぱカツアゲじゃないか。
「……てか、やっぱ場所変えない? 寒いし」
「えー? 密会つったらやっぱ屋上でしょー。いーからはよ座れ!」
強引に腕を引かれ、マオのとなりに腰をおろした。
時期が時期なだけに、人っ子ひとりいない屋上を見渡す。
寂れた雰囲気によけい寒さが増すな、と思いつつお湯を入れてきたカップ麺の蓋を開ける。
「……いいなーそれ。汁飲ませてー?」
「いいけど、ぜんぶ飲むなよ」
はふはふしてずるるーっと本当にうまそうに汁をすするマオを横目に、大きく息を吐いた。
「ぷは。ふぃー……まーほら話聞いてやっからー。青柳となにがあったん?」
「ああ……」
話をした。
告白したこと。振られたこと。ヨリコちゃんがケンジくんと別れたらしいこと。
俺がカップ麺を放置して話している間に、マオはパンを食べきってしまったようだ。
話を終えると、カシュッと開けた缶コーヒーにマオが口をつける。
「ふぅ……なるほどなー」
「話聞いてた? すげえ勢いでパン食ってたけど」
「聞いてたよ失礼なー!」
ほんとかな。
まあいいや。
「俺、わかんなくてさ。振られたのは仕方ないにしても、ケンジくんと別れるなんて」
そんなこと、望んだことじゃない。
ヨリコちゃんがひとりになる理由なんてなかったはずなのに。
「青柳はさー自罰的すぎんだよ。おおかた、ソウスケにも天晶にも悪いと思ったんじゃねーの」
「な、なんで? 振った俺にちょっとくらい罪悪感あるってんならわかるけど、ヨリコちゃんがケンジくんに対して悪いと思うことなんてなにも……」
「そこ! そこだよソウスケくんー!」
「どこだよマオさん!?」
身を乗り出す俺の鼻が、マオに人差し指でぐいと押される。
立てられた1本指が、振り子みたいにチッチッチと横に揺れる。
「たしかに、告られたからっていちいち彼氏に罪悪感抱いてちゃ世話ねー。そんな女はいねー。相手がソウスケだったからこそ、青柳は天晶に顔向けできなくなっちまった」
「それって、つまり」
「ようするにだねー? 青柳はソウスケにかなり心が傾いていたっつー証明なわけー。へたすりゃー、天晶以上に」
ヨリコちゃんが、俺に……?
考えもしなかった。
本気で付き合いたくて告白はしたけど、ケンジくん以上に惚れられてる自信なんかない。
「潔癖なやつだよなーマジで。どっちにも好意があって、そんな自分は最低だとでも思ってんだろーどうせ。ありふれた話だっつーのにな。人間らしく弱くて卑怯で、それでいーじゃん? わたしはずっと付き合いやすいよ、そーいうやつの方が」
……そうか、そうだな。
マオの言うとおりかもしれない。
でも、俺はそんなヨリコちゃんのことが好きになったんだ。
「でー? だからソウスケにはまだチャンスがかなりあると思うんだがー。どすんのー? わたしに“青柳と付き合ってイチャラブ見せつける!”て宣言したのだれだっけかなー」
「なんか……いつもマオには背中を押してもらってるな」
「今回わたしのためでもあるからね! キミらには早急にカップル成立してもらってー、わたしの欲望のはけ口になってもらわにゃ」
「……約束、したもんな」
やっと食指が動いて、すっかり伸びきった麺をすすった。
吹きすさぶ風も、冷たさを感じないほど体が熱を持っていく。
まさか同じ相手に2回も告白する決意を固めるなんて、つくづく変わってるよな俺たちは。
頭の中でそう語りかけたヨリコちゃんは、俺の大好きな顔で微笑んでいた。
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