第69話 夕闇せまる公園で

 蛇が・・俺を見ていた・・・・・・


 家族団欒を過ごす居間のすぐ外、縁側の向こうに巨大な蛇がとぐろを巻いていた。


 先の割れた舌をチョロチョロ伸ばし、真っ直ぐな眼光を向けられた俺は蛙のごとく動けない。


 親父も、母さんも、妹も、だれも見えていないのか、ひとり戦慄して固まる俺のもとへ、巨大な蛇が身をくゆらせてゆっくりと迫る。


 開かれた大口は、人間なんて簡単に飲め込めるほど大きくて。


 視界が闇に閉ざされる――。




「――うわあッ!?」


 悲鳴と同時に覚醒し、机の端からガクンと肘が落ちる。

 傾いた体を立て直せば、クラスメイトと英語教師の視線がすべて俺へ向けられていた。


 どうやら学校の教室みたいだ。

 教師が呆れたようなため息を吐き、クラスメイトからクスクスと含み笑いがもれる。


「……弓削くん、顔が真っ青だよ。大丈夫かい?」


「あ、ああ……大丈夫。ちょっと居眠りしてただけ」


 魚沼くんにそう答えた。

 斜め前の席から振り返って、じっと俺を見ている水無月さんにも頷きを返す。

 クラスで笑っていないのは、このふたりだけ。


 大丈夫――……。

 俺は、大丈夫だ。




 放課後、すぐに3年の教室へ向かおうとするも水無月さんが立ちふさがる。


「待ちなさい。あなた鏡は見ましたか? 死人のような顔してます」


「ぼ、僕もそう思うよ。弓削くん、一度保健室に行こう」


 後方には魚沼くんが控え、挟まれた形になる。


「……めずらしいな。ふたりが行動を共にするなんてさ」


「悪いことは言いません。保健室なり病院なりに行って、日辻先輩にも見てもらいましょう」


 なぜにアサネちゃん?

 しかし俺はヨリコちゃんのもとへ行かなければならない。


 左へ踏み込んだ直後に体を逆へ切り返し、水無月さんの脇を抜ける。


「しまった!? 魚沼くん、追って!」


「わ、わかった!」


 まじかよ!

 具合悪そうに見えてる人間を走らすんじゃねえ!




 校舎を上へ下へと駆け回り、なんとか魚沼くんを撒いて3年の教室前まできた。


「はあっ、はあっ、はあ〜!」


 息を荒げながら顔をあげると、廊下の奥にケンジくんの姿がある。

 双葉さんもいっしょみたいだけど……なにか深刻そうな話をしてるみたいだ。


 ケンジくんがまだ残ってるということは、ヨリコちゃんも教室にいるかもしれない。

 そう考えそっと教室を覗くが、ヨリコちゃんの姿は見当たらない。

 見知らぬ先輩にたずねてみる。


「青柳さん? 今さっきだったかな、帰ったみたいだけど」


 ま、まじかよ。


 先輩にお礼を言って、来た順路を逆走する。

 最後に振り向くと、ケンジくんと双葉さんは互いに俯いていた。


 なにを話してるんだろう。

 ケンジくんはもう、ヨリコちゃんのことをあきらめてしまったんだろうか。




 靴箱から取った靴を片足跳びしながら履いて、全力ダッシュを敢行した。


 幸いなことに、校門を出た直後にヨリコちゃんらしき後ろ姿を見つける。


「よ、ヨリコちゃん!」


 こっちを振り返って驚く顔は間違いなくヨリコちゃんで、なのに俺の想い人はいきなり駆け出してしまう。


「ちょっ!? 待っ――ヨリコちゃんっ!!」


 ガン逃げだった。

 てかめちゃくちゃ足が速い。

 体育祭の二人三脚でドジやらかしてたのは、水無月さんが原因だったのかもしれない。


 ビルが建ち並ぶオフィス街は、道も広くて走りやすい代わりにぐんぐん引き離されていく。


「はあ! はあ! くっ、しかたない!」


 繁華街に入ったところで一度路地へ入り、アブソリュートがある地下へ鞄を放り投げた。


 これで身軽になった。

 鞄はたぶんカニちゃんかスコーピオが拾っといてくれるだろ。


 再びヨリコちゃんを追いかける。


 商店街に入り、道も狭く入り組んでくる。

 やっぱり鞄の有無の差がでかい。

 ようやくヨリコちゃんとの距離が縮まってきた。


「ハァっ! ハァっ! つ、ついてこないでっ!」


「はあっ! はあっ! ざれごとを……っ!」


「今日びっ、ハァっ、ハァっ、ざれごととかっ!」


 ああ俺もはじめて言った。

 くそっ、突っ込み入れてくるとかまだ余裕ありそうだな。


 とうとう駅前まで走り続けたヨリコちゃんは、歩道橋の階段を飛ぶように駆け上がっていく。

 スカートなんか微塵も気にしちゃいないから。


「パンツ丸見えだぞバカっ! はあっ、はあっ、ピンク! このひとピンクですッ!!」


「なっ――!? 声でっか! ヘンタイしねッ!!」


 歩道橋の上で立ち止まり、鞄をぶん投げてくるヨリコちゃん。

 まじで危ねえ行為だが鞄はキャッチした。

 おかげで追いつけそうだったのに、あと少しのところで逃げられる。


「はあーっ! はあーっ! ほんと……待てってのに……っ!」


 体力無尽蔵か?

 絶望に心が折れそうになったころ、スタミナお化けのヨリコちゃんがふらふらと公園に入った。


 やや遅れて俺も公園にたどり着くと、芝生の上で仰向けに倒れてるヨリコちゃんがいる。

 夕焼けに染まって、呼吸に合わせて全身を大きく脈動させて、片腕で目を覆っていた。


 俺はそのすぐそばに両膝をついて、肩で息しながらヨリコちゃんを見下ろす。


「はあ、はあ……俺と……付き合ってください」


「うぅ……っ……ううううう……っ」


 腕で顔を隠していても、ヨリコちゃんが泣いていることはわかる。

 芝生から肩を抱き起こして、子供みたいにぐずるヨリコちゃんを抱きしめた。


「うううむりっ……そんなのむりだからっ!」


「無理じゃないよ。ヨリコちゃんの重荷になってるもの、俺も背負うから」


 抵抗して、俺の腕を引き剥がそうとするヨリコちゃん。

 でもぜったいに腕はほどかない。


 もし見当違いで、ほんとに嫌がってたら通報されて終わりだな。

 そのときは甘んじて受け入れよう。


「だってこんなのっ……許されないじゃん! だれも……ゆるしてくれないから……っ」


「俺が許すからさ。みんなだって話せば、ちゃんといずれわかってくれるよ。……それじゃだめ?」


「だめッ!」


 今度は痛いくらい、ヨリコちゃんの爪が腕に食い込む。

 思わず強く抱きしめると、ヨリコちゃんのふうふうと荒い鼻息が胸の中でこそばゆい。


「まいったな……。じゃあ、もしみんなが許してくれなかったら、こんなとこ逃げちまおう」


 ヨリコちゃんの強張った体から、だんだんと力が抜けていく。


「ふたりで、どっか遠くにさ。ぜったいにヨリコちゃんをひとりにはしないから。俺はずっと、そばにいるから」


 こういうとき、どんな言葉がヨリコちゃんに響くのかなんてまったくわからなかった。

 だから嘘偽りなく、必ずやり遂げられる本心だけを告げた。

 ヨリコちゃんといっしょにいられるなら、なに捨てたって後悔はない。


 ヨリコちゃんはひと言も喋ることなく、俺の胸にただ濡れた顔を押しつけて呼吸してた。

 そんなヨリコちゃんを抱きしめて、暗くなるまでずっとそうしてた。


 問題はいろいろあるだろう。

 関係性が変わってしまうひとも出てくるだろう。

 悪意を向けられることだってあるかもしれない。


 けど俺は望んで、ヨリコちゃんは応じてくれた。


 結論を言えば。

 この日、俺とヨリコちゃんは恋人になった。

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