第95話 夢うつつ(楝蛇鏡也)

「殺しただと? ここまで念入りに事を運んでおきながら、どういうつもりだ楝蛇」


 ウェイガンは怒りをたぎらせた目で、私を真っ直ぐに射抜く。

 突然に死体の処理を手伝わされた上での、裏切りとも取れる告白だ。

 無理もない。


「これ以上、あの男に期待するところはなかった。不利益の方が多いと判断しました。ですから、今後は忠正に代わって私達が弓削家を――ひいては村を操ればいい」


「なに……? 貴様、何を言っている」


「アレを使いましょう。全てリセット・・・・・・するのです。兄妹の、ここに来てからの記憶を」


 ウェイガンは憮然とした表情のまま腕組みを解くと、唐突に振り返って巨大な冬木に掌底を打ち込んだ。

 巨木はまるで金属を叩いたような、独特の反響音を辺りに響かせる。


 震打・・という、ウェイガンが得意とする打撃だ。

 状況を掴めていないサユリのみが、おろおろと目を泳がせている。


「体得するための足がかりすら掴めなかった奥義――それが“忘却”だ」


「外部からの接触で、人の脳波に影響を与える……でしたっけ? そんな技を扱えたのは、あなたの弟弟子だけだとか」


「……そんなもの、人間技ではない。人には過ぎた代物よ」


「そうですね、そんなことが可能ならば神にでもなれそうです。ですが、組織は“忘却”を実用化させた。微弱な音波を用いて、長期的に脳へ影響を及ぼし――まさしく神の信徒を作り上げる」


 私達は、試作段階のソレ・・を奪って逃げたのだ。

 今さら後戻りはできない。


 技巧に対して複雑な思いがあるのだろう。

 ウェイガンは鼻を鳴らすと、私達にひとり背を向けた。


「いずれにしろ貴様の責任だ。やるならひとりでやれ。ただ……記憶を弄ったところで、現実との整合性を取るのは骨が折れるぞ」


 そんな忠告を残して去っていくウェイガン。

 サユリがまた所在無げに、不安そうな目を私に向ける。


「あの……わ、わたしはどうすれば?」


「引き続き、水車小屋の管理をお願いします。忠正の唯一の功績で資金繰りしていきましょう。新しい集会場所を作って、もっと大規模に村人を集めたいですね。……じっくり、時間をかけて記憶を書き換えていきましょうか」


 あくまで試作段階の洗脳装置。

 魔法のように、パッと思い出を操れるものではない。

 潜在に触れる音波も、人によって効き目は様々だ。


 人は弱い。

 心の奥底では、誰もが常に救いを求めている。

 それが隙となる。


 忘れ去りたい過去。

 触れられたくない思いを抱えている者ほど装置の効力は増し、つまりトラウマを刺激するスイッチの役割を担うのだ。




 そう……だからこそ、蒼介と海未を洗脳するのは簡単だった。



◇◇◇



「兄ちゃーん! はやく起きてよ、朝ごはん冷めちゃうでしょ」


 台所から顔を出した海未が、制服の上から着けたエプロンを脱ぎつつ、廊下の奥へ声を張る。

 やがて寝癖を撫でつけながら、いまだ寝ぼけ眼の蒼介が居間に姿をみせた。


 私は閉じた新聞を畳へ置くと、二人へ朝の挨拶を投げる。


「おはよう。蒼介、海未」


「おはよ。早いね、今日は仕事休みじゃなかったっけ?」


「ああ。だが今日は寄り合いがある。朝食が終わったらすぐに出かける」


 疑問に答えれば、蒼介は「そっか」と呟いて腰を落ち着けた。


 村の住人の洗脳も、良好といえる。

 装置をより大規模に施すため、古い洋館を買い取りそこを集会場所とした。

 週に一度、今では100名に及ぶ人数が集まる事もある。


 住民達が、お布施と称した集金にも素直に応じるのは訳がある。


 かつて村には楢木野剛志という暴君がいた。

 自身に都合が悪い人間を亡き者とし、村の人々もそれを隠蔽してきた過去がある。

 現在では口にすることすら憚れる過去でも、村に住む人間なら話を聞いて育っているはずだ。


 その仄暗い後ろめたさが、心の隙となる。

 サユリの霊的な脅しも高く機能し、御しやすい。

 弓削家とはなんの縁もない私が、まるで当主のように振る舞っても疑問に思う人間はいなくなった。


 消し去りたい過去。

 忘れたい現実。

 すべて無かったことに出来るならば人は、何にでも縋りつくのだ。


 そしてそれは、この兄妹も同じだ。


「もう兄ちゃん。昨日も言ってたでしょ、お父さん・・・・


「そうだっけ? わり、覚えてないや」


 海未の顔を見ずに蒼介は、生卵を飯に乗せると茶碗を搔き込む。


 私をお父さん・・・・などと呼んでいるが、当然海未も本当の父親などでは無いことは理解している。

 あの装置にそこまでの力は無い。


 朝食を終えた私は、集会の準備をしてスーツに袖を通した。

 玄関で革靴を履く様子を、妻役の女が殊勝にも見守っている。


 女は町で雇った家政婦だ。

 私の妻として振る舞うよう、また蒼介や海未の母親役を務められるような人材を選んだ。


「では、行ってくる」


 出かけようとした矢先、めずらしいことに蒼介が見送りに顔を出してくる。

 何事か言いにくそうに鼻頭を掻き、蒼介は俯いていた。


「……どうした?」


「その……楝蛇さん。俺、感謝してるんだ。事故で親父もお袋も亡くして、でも楝蛇さん達が俺と海未を引き取ってくれて」


 蒼介達兄妹の頭には、忘れたい現実・・・・・・である本当の養父――忠正の記憶など痕跡すら残ってはいない。


「だからさ、その……二人のこと、俺も……親父、母さんって……呼んでもいいかな」


 実に――容易い。

 照れくさそうにはにかむ蒼介へ、私も相応の顔で応じる。


「もちろんだ、嬉しいよ蒼介」


 私は金のために兄妹を利用し。

 兄妹は辛い現実から逃れるために私を利用する。


 互いに利益がある。

 私達は、偽物の家族を継続する。




 月日が流れていく。

 蒼介は高校生に、海未は中学生活最後の年を迎えていた。


 私は農作業で流れた汗を拭い、昼食を摂るために畑を離れる。

 今日は中学も高校も午前授業だったか。

 蒼介も海未もそろそろ家に帰ってくるはずだ。


「あなた、蒼介と海未が待ってますよ」


 まさに考えていたことそのものを、妻役の家政婦があぜ道から呼びかけてきた。


「先に食べていていいと伝えただろう」


「ええ。でも二人とも昼食に手をつけなくて。口には出しませんが、あなたを待っているんですよ」


 微笑む家政婦に、首をすくめてみせる。

 この女も、よもやまがい物の家族に愛着など持っているのではあるまい。


 いや……しかし、その方が都合はいいのか。


「……ふぅ」


 考察など、どうでもよくなるほどの熱気に息を吐いた。

 夏特有の高い空を見上げる。


 たまには家族ごっこに精を出すのも悪くないと、そんな風にも思わせる陽気だった。




「はい、お父さん」


「ああ。ありがとう」


 海未から白米が盛られた茶碗を受け取り、自家製の味噌と共に口へ運ぶ。

 少ししょっぱい味噌が、塩分の抜けた体に染み渡った。


 吹き込むぬるい熱気が、風鈴の音を奏でる。

 古めかしいテレビの音量は小さく、会話も多いわけではないが居心地の悪さはない。


 ふと、気がつけばすっかり身長も伸びた蒼介へと話題を振る。


「――ところでどうだ? 彼女のひとりでもできたか?」


 飲んでいた味噌汁を吹き出しそうになる蒼介。


「げほっ、げほっ。な、なんだよいきなり」


「兄ちゃんに彼女なんかできるわけないじゃん。あたしの宿題も手伝わない冷酷な兄なんで」


 じっとりと横目を蒼介に向けながら、海未は日焼けした腕を伸ばして箸で漬物を掴む。

 部活では陸上を続けているのだったか。

 最近は私も畑仕事ばかりで、すっかり焼けた肌になってしまった。


「か、彼女くらい俺だってなあ!」


「なに? いるの?」


「……今は、いないけど。……作ろうとしてないっていうか」


「ふぅん?」


 遠慮のない兄妹のやり取りを、家政婦の女が微笑ましく見守っている。


 特筆するようなことでもない、いつもの食事風景。

 いつしか普通となった、代わり映えのない日常。


 だがおそらくこれが、蒼介と海未が何より望んでいた夢なのだ。

 真実からかけ離れた、まどろみ。

 生ぬるく、甘ったるい日々。


 ……多くの人間が、簡単に手にしているはずの人生。


 人は弱い。

 幸せな夢と、辛い現実と。

 もし選べるのなら、どちらを選ぶかは明白なのだ。


 洗脳はこの上なく成功している。


「……親父? なんだよ、ぼーっとして。熱中症か?」


 ……思えば、私も初めての経験か。

 こんな生っちょろい生活など、これまで知る由もなかったな。


「……ああ。そうかもしれん」


 冗談めかして答えたつもりだが、蒼介と海未に猛反発されて午後の農作業は休む羽目になった。




 日々が過ぎていく。


 毎年のように雪がちらつき始める。

 けれど今年は、例年ほどは不思議と寒さを感じなかった。


 冬の備蓄を買い出しに町へ降り、帰ってきた足で山の社へおもむいた。


 待っているのはウェイガンとサユリ。

 いつもの、定例報告会のようなものだ。


「……と、まあ順調ですよ。何か新しい事業でも考えてみますか? 元手は潤沢だ。たとえば山でも購入して、ゴルフ場でも――」


「楝蛇、貴様……寝ぼけているのか? いつまで村にこだわるつもりだ? 骨でも埋めたいと考えているのか?」


 ウェイガンは、決して冗談で言っているのではなかった。

 仇でも見るような眼光に、ほんの少しだけ言葉に詰まる。


「ハ――まさか。ただ、せっかくここまで育てたビジネスです。多少はこだわるのも許していただきたいものですが」


「兄妹を殺せ」


 ふいに寒風が吹き、吸い込んだ空気が棘となって鼻の奥を刺す。


 長い付き合いだが、そうでなくともその暗い瞳を覗き込めば誰でも理解する。

 ウェイガンは決して、冗談を言っているわけではない。


「……意味がない。住民の洗脳は、ほぼほぼ完了しています。もうあの兄妹には、供物としての価値もありません」


「では尚更だな。なんの利益にもならないからと、弓削忠正を切り捨てたのは楝蛇、貴様だろうが」


「兄妹揃って消すなど、リスクの方が大きいでしょう。だいたいなぜ、今さら――」


「組織に勘付かれた可能性がある」


「な……」


 まさか、ありえない。

 こんな辺境の村まで追ってきたと?


 いや……それだけの物を私達は強奪してきたのだ。

 見逃されると考える方がおかしいのか。


「記憶を弄れば、村の連中はどうにでもなろう。我らが身を隠してる間、村の資金繰りはサユリに任せればよい。だがあの兄妹はそうもいかん。貴様と長く過ごしている。再び記憶を操作したとて、どこからかボロが出る可能性は高い」


 ……理に適った話ではあった。

 しかしなぜか同意の言は出ず、ただ雪に降られるまま立ち尽くしていた。


「どうした? ……絆されたか、楝蛇」


 ウェイガンの放つ殺気が、寒気をともなって体に纏わりつく。

 私はゆっくりと前を見据えた。


「まさか、ありえませんね。いいでしょう、兄妹は私が殺します」


 現実を投げ捨て、手にした夢。

 だが夢は、いつかは壊れるものだ。

 兄弟にとっては残念な結末だった。


 それだけの話だ。




「――は? いきなり転校って、なんだよそれ!」


「い、家はどうするの? お父さんとお母さんは――」


 反発されるのも予想通り。

 事情を説明すると言って連れ出した洋館で、強めの記憶操作を施した。


 過去に例のないほど強力な洗脳は、記憶障害を残しかねなかったが躊躇はしなかった。

 時間がないのだ。

 私と過ごした思い出など一切全部、兄妹には必要ない。


 妻役をつとめていた家政婦も、解雇の前に私や兄妹についての記憶を忘却させた。


 転入先の学校、賃貸のアパート。

 信徒と化した村人や不当に揃えた書類を駆使してそれらを早々に決めると、書類はすべて裁断したのちに焼却した。

 兄妹が大学を卒業するまでは不自由なく生活出来るであろう金額も用意した。


 だがこれではウェイガンの指摘通り、不十分なことも確かだ。

 ふとしたきっかけで記憶が戻り、また村へ帰ってこないとも限らない。

 正直それは、どうしようもない。


 願わくば――。

 願わくば、私達のような障害を打破しうる、大きくなった姿で再会を果たしたいものだ。


「さて……」


 最後の仕上げだ。


 イヤホンを耳の奥まではめ込み、椅子に深く腰かけた。


 四方をコンクリートで固められた部屋は、季節を度外視しても寒々しい。

 見上げる天井は高く、意識を空へと連れていってくれそうな気配があった。


 ウェイガンは心を見抜く術に長けている。

 私の嘘などすぐに見破り、それこそボロを出すまで容赦はしないだろう。


 ならば、最初から知ら・・・・・・なければいい・・・・・・


 やがて鼓膜を通じて流れ込んできた不快な音が、脳を侵しはじめる。

 視界が白く染まり、思わず目を閉じた。


 なるほど。

 虫の羽音とは、よく言ったものだ。


 長かったのか、短かかったのか。

 どちらにせよ私に初めての感情をもたらした光景が、薄れていく。


 農作業に勤しんだ畑に、食事を囲んだ居間。

 記憶の中の蒼介も、海未も白く塗り潰されていく。


 私に向けられた、笑顔も――。


 共に過ごした記憶は保持したまま、思い出の温もりだけはすべて消え去った。


 残ったのは、金づるに逃げられてしまったという怒りと後悔。

 殺意という使命感。


 だがこうなっては焦っても仕方がない。

 どうせ必ずここへ戻ってくる。

 呪われた兄妹には、呪われた村しか受け入れるところなどないのだ。


 そのときこそ、私は――。



◇◇◇



 ――そして、私の想像した通りに、いま目の前には馬鹿な兄がいる。


「……海未を離してくれよ。俺達はもう、あんたの思い通りにはならない」


 ボイラーの音がゴンゴンとうるさくて、聞き取れないところだった。

 ずいぶんと生意気な口を利くようになったものだ。


「どうでしょうか。人は弱い。辛い現実と、幸せな夢。どちらか選べるのなら、夢を選択するものです」


 まるで、どこぞの誰かに言い含めているかのようだ、などと思った。


「……あたしは、もう逃げない。辛い思い出ばかりだったけど、そうじゃない思い出も、あるから。これからもそうなんだって、信じてる」


 この馬鹿な妹にしたってそうだ。

 拘束する腕に力など入っていないというのに、私から離れようとしない。


 実に馬鹿な兄妹だ。

 おそらく、育てた人間も馬鹿なのだろう。


「海未を離してくれないってんなら、覚悟しろよ」


「に、兄ちゃん!?」


 海未が悲鳴をあげて。

 蒼介が、不格好にも拳を握って突進してくる。


 避ける気力もなかった。

 腕の中の海未を突き離し、棒立ちのまま甘んじて拳を受け入れる。


 だが、蒼介の拳は私の眼前で止まっていた。


「……なんて、出来ねえよやっぱさ。あんた、自分にも催眠かけてたんだろ。なんでだよ? 思い出……俺達が過ごした記憶を、大切に思ってたからじゃないのかよ」


「は……馬鹿なことを」


 反論する気も失せて、その場に尻から座り込んだ。

 頭が痛くて、とっくに立っていることもままならなかった。


 私と同じ状況のはずなのだが、蒼介は海未と並んで立ち、真っ直ぐにこちらを見下ろす。


「それにさ……悪いけど、現実だってもう辛くないんだ」


 はにかむように笑って、蒼介は後ろを振り向いた。


「だってめちゃくちゃかわいい彼女ができた。先輩も、後輩も、友だちもさ。……みんな、こんな訳のわからない場所まできてくれてさ。贅沢だよ、俺は。報われ過ぎてんだ」


 ああ、わかっている。


 弱かったのは私だ。

 夢は、どこまでいっても夢なのだと。

 現実を信じられなかったのだ。


 本当は誰よりも望んでいた家族の姿を。

 信じ続けることが、出来なかった。


「でかくなったなぁ。……蒼介」


 私は……どのような顔をしていただろうか。

 憎々しげに言い放ったつもりだが、震える声を抑えることで、どうにも精いっぱいだった。

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