第52話 瞳に揺らぐ

「あのさーもしかして、わたしが心配で……みたいな理由だったりするんかなー?」


 声質が、なんというか硬い。

 理由はその通りだったので、黙ってうなずいた。


 マオの一種異様な雰囲気に、カニちゃんもスコーピオも萎縮したように静まり返っている。


「へぇ〜ソウスケってさー……?」


 目と鼻の先まで顔を寄せてきたマオが、値踏みするみたいに瞳を細めた。


「天晶みたいな真似すんだね」


 おまえもあいつと同じか、と。

 おまえに自分のなにがわかるんだ、と。

 マオは言外に責め立てている。


 思い込みかもしれないけど、そう感じた。


「ははー。なにー? んな難しい顔してー? だーいじょぶ大丈夫、ソウスケが天晶と違うのはちゃんとわかってんよー」


 買いかぶられてるだけだ。

 違いなんて、そんなにないんだ。

 マオのこと理解してるなんて口が裂けても言えないし、そのくせハラハラさせる行動が心配でたまらない。


 マオはバッグを肩からおろすと、カニちゃんに向き直る。


「可児さーん、わたし今日バイト休んでもいーですか?」


「ああ? あーべつに構やしねぇけど……」


「賄いはちゃんと作っときますんでー」


「おっしそんなら問題ねぇ。今日は肉なぁ? 肉丼の気分だなぁ。な? スコーピオ」


「ヤサイ、モットタベナキャダメヨ」


「ほーんと、いっつも肉ですよねー。……ソウスケ、ちょっと待っててー」


「あ、うん」


 カウンター裏のドアを開け、マオが中へと消えていく。

 再び店内は3人だけになった。


 手持ちぶさたなのか、カニちゃんが自身のウサミミをびょんびょんと撫で伸ばしながら言う。


「ほぉん……なんかいつもたぁ事情がちがうみてぇだな」


「いつもって?」


「あいつが男漁りした連中がなぁ、よく店を訪ねてくんだよ。もう一度、ひと目でいいから会わせてくれってよ。だからアンタも、最初はその手のヤツかと思って適当にあしらったんだが……」


 そんな事情があったのか。

 カニちゃんもスコーピオも、なんだか心配そうにカウンター裏のドアを見つめていた。


 ……いいやつらなのでは?


「マオのやつ、主義だかしんねぇけど男とは1回しか寝ねぇらしくてさぁ。遊んでそな大学生っぽいやつらが多いんだけど、最後はみんな必死なツラでこの店にたどり着いて……脈がねぇってわかると絶望して帰ってくよ。未練たらたら引きずらされる男はたまったもんじゃねぇよな」


 少し、胸の奥に痛みが走る。


 それは……でもおかしくないか。

 マオの方から離れてたのか?


 マオは泣きながら言ってたはずだ。

 自分の性癖に付き合える男がいないから、いつもうまくいかない的なこと。


 嘘、なんだろうか。

 なんでもかんでも本心をしゃべってくれるほど、信頼はされてないよなそりゃ。


 ほどなくして、裏のドアからマオが姿をあらわした。


「おまたせソウスケー。……やばー、エプロンしたままだったわ」


 デニムのミニスカートを隠しているエプロンを外して、受け取りに立ち上がったスコーピオへそれを渡すマオ。


「ありがと。肉丼ふたつ置いてあっからー」


「イエス。サンキューマオ」


 するとスコーピオは蠍のスタジャンを脱ぎ、むきむきの肉体に不釣り合いなほど小さいエプロンをミチッと着用した。


「ヤサイ、マシマシシトキマース」


「おいやめろスコーピオッ!!」


 カニちゃん迫真の呼び止めもむなしく、スコーピオがカウンター裏へと消えていく。


 盛大に息を吐くカニちゃんへ、マオがぺこりと頭をさげた。


「そんじゃー可児さん、埋め合わせのシフトいつでもいーんで」


「へいへい。健全に遊べよガキども」


「はーい。行こっかソウスケ」


「ちょ、ちょっと待って!」


 大事なものを忘れちゃいけない。

 中々コントローラーを手離そうしないカニちゃんからゲーム機を奪い取り、デイパックへしまった。


 フウタくんの命そのものだからな。


「なーんでそんなもん持ってきてんの? ……あーそれもわたしのため、てやつかなー」


 もうなんて返事をすれば正解なのかわからない。

 答えは保留したまま、マオに続いてアブソリュートを後にした。


 夕暮れの街。

 どこへ向かうのかも知らされない道中。

 マオも俺も、ずっと無言だった。


 こんなんじゃなかったはずなのに。

 もっと打ち解けて、気楽にバカやれる関係だったはずだ。

 それもぜんぶ、俺の勘違いだったんだろうか。



◇◇◇



「まー遠慮せず入れよー」


 たどり着いたアパートの3階、その角部屋の鍵を回してマオがドアを開けた。


 ここって、もしかしなくてもそうだよな。


「お、お邪魔します」


 緊張から声がかすれ、もつれる足で靴を脱ぐ。


 1DKな間取りの部屋だ。

 玄関あがってすぐにキッチンがあって、奥に広めのもうひと部屋。

 カーペットはふかふかで、全体的に女の子らしい良い匂いがする。


「狭くてごめんねー? 生活感ありありでー」


 たしかに広めの部屋といっても、ベッドやテレビ、テーブルなど必要最低限の家具だけでも場所を取っている。

 あとは窓の外にベランダがあるみたいだけど――


「……あっ!」


 マオが窓際までダッシュして、吊られている下着掛けを腕で覆い隠した。

 わずかに赤くなった顔で、じっとり振り向く。


「……みた?」


「そ、そんなみえてない。ま、マオでもそういうの気にするんだな」


 白、黒、水色。

 赤なんてものもあった。


「わたしをなんだと思ってんのー? いーから座っとけ」


「う、うん。ごめん」


 豪快に下着類を外し、タンスに収めていくマオから目をそらしてクッションに座る。


「……あー、飲みもの。ふつー出すよねー? ごめん慣れなくてさー。なんがいい?」


「ああ、おかまいなく。なんでもいいよ、あるもので。……あんまり友だち呼ばないんだ?」


 キッチンに備えつけられた冷蔵庫の前で、マオが飲むヨーグルトとお茶のパックを掲げるのでお茶を指さした。


「あんまりっつーか、はじめてじゃね。うちくんの、ソウスケが。勘繰られたくないってか……そんな感じー」


 勘繰られたくない。

 気持ちはわかる。

 だってこの部屋見たら、たぶん誰もが疑問を口にする。


「ひとり暮らし、してんだな」


「親がどっちも浮気しまくりで離婚してー、ひとり暮らしさせてくれる条件飲んだ父親が親権もってるー」


 いつも通りの軽い口調で説明するマオから、緑茶入りのコップを受け取った。

 自身は飲むヨーグルトのコップを持って、マオがどっこいせと俺のとなりに腰かける。


 ふわりと鼻腔をくすぐる甘い香り。


「な、なんで横――」


「ソウスケも、ひとりでしょー?」


 ……ああ、そうだよな。

 部屋見たら誰だってわかるんだ。


 だからマオは俺ん家きたとき、なにも聞かずにスルーしてくれたんだな。

 そう考えるとヨリコちゃんも、家見てよく疑問を我慢してくれたなぁと思う。


「……だからさー、天晶とはちがうんだよ、ソウスケは。こっち側・・・・、だから」


 部活合宿のとき、ヨリコちゃんをあっち側・・・・だと表現したマオ。


 肩へと触れる髪の感触に、顔を向けると、視線が絡まる。

 マオの瞳は、暗い闇の色をたたえていた。

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