第58話 メイドインヨリコちゃん

「わぁこれかわいいー! 自分の部屋の壁紙も変えたくなっちゃうなぁ」


 展示されてる織物クロスを物色しつつ、ヨリコちゃんが声を弾ませた。

 文化祭の買い出しはどうした? なんて野暮な突っ込みは当然しない。


「ヨリコちゃんの部屋って、壁紙はたしか薄い青だったっけ」


「そうそう、よく覚えてんね」


「大抵は覚えてるよ。部屋だけじゃなくて、たとえば会話の内容とか。へたすりゃ一言一句違わず」


「……好きすぎじゃね? あたしのこと」


 自分で言っておきながら恥ずかしくなったのか、急に押し黙ってうつむくヨリコちゃん。

 顔が真っ赤になってた。


 思わず“好きだよ”と返事しそうになった俺も、もしかしたら同様の顔色してたかもしれない。


「ほ、他の店も見よっか? テーブルに置く小物とか、飾りとか、コースターなんかも見たいし」


 髪を何度も撫でつけながら言うヨリコちゃんに、ふたつ返事で同意した。

 もちろんどこにだって付き合う所存だ。




 雑貨屋めぐりを終えて学校に戻ったのが19時前。

 最近は日没も早く、辺りはすっかり暗くなっている。

 まだ一部生徒は残っているものの、ヨリコちゃんの教室にはだれもいなかった。


「ごめん、マジで遅くなったね。そこら辺、てきとうに置いてて」


「あ、うん」


 とりあえず大量の買い物袋を教室の後ろへまとめて置く。


 なるほど、喫茶店だけあってあまり工作なんかはする必要ないんだな。

 当日に間に合うように食材とか飲料を確保するだけか。


「ん?」


 ふと、隅に置かれたダンボールに、折り畳まれたフリルな衣装を発見する。

 何気なく手にとって広げた。


 こ、これは。


「……ヨリコちゃん」


「んー?」


「喫茶店って、メイド喫茶なの?」


 膨らんだ袖口と、裾の広がった短いスカート。

 どちらにもレースが施されて、文字通りフリフリな、いかにもなメイド衣装だ。

 正式なタイプじゃなく、男を喜ばすために具現化されたデザインの方。


「あ、あー……メイド喫茶てか、コスプレ? 同じ衣装が何着もあるわけじゃないから、他にもナースぽいのとか、警官ぽいのとか……サンタもあったかな」


「なんだよ……それ」


 最高すぎるだろ。

 メイド服を握りしめる手が、わなわなと震える。


「男子ももちろんコスプレすんだよ? タキシード着て執事とか、迷彩服なんかも――」


 男子はどうだっていいんだよ!


 机へ寄りかかるヨリコちゃんに、メイド服を持ったまま向き直る。

 なにかを察したのか、ヨリコちゃんの目がスッと細まった。


「……え。なに? ろくなこと言いそうにない顔してるけど、一応聞いたげる」


「これ、着てくれない?」


「ほらっ! ソウスケくんちっとは欲望隠しな? 大人になって、働いてお金貯めて、お金払ってそういうのやってもらいなよ」


「じゃあ出世払いで。今日の分はいつか払うから」


「……あたしに着せるのは確定してんだ?」


 他のだれに着てもらったって満足するはずないだろ。


 机によっと腰かけ、少しかかとの潰れた上履きをぷらぷらさせるヨリコちゃん。

 暗くなった窓の外なんか見て、でも帰ろうとは言い出さない。


 あれ……意外といけそう?

 もうひと押し何か言い訳はないのかね? って催促してるような態度だと、勝手に思った。


 俺はポケットからスマホを抜き取る。


「シナリオ。あるんだ、こんなシチュにピッタリなやつが。頼むよヨリコちゃん! 文化祭シナリオの練習だと思って付き合ってくれ!」


「出た。伝家の宝刀みたいな言い方すんね? 文化祭もうすぐだよ? 間に合うの? ……はぁ。しかたないなぁ」


 勢いをつけて机から降り、ヨリコちゃんはメイド服を奪い取ると、しっしっと手を振って俺を教室の外へと追い出す。


 うおおやったぜ……!

 俺は歓喜の声を抑えながら廊下へ走った。




 蛍光灯の消えた廊下は暗い。

 すぐとなりの教室からもれる照明と、シュルシュルといった衣擦れの音が、なんだかすごくイケないことをしてるみたいで胸が高鳴る。


 今、ヨリコちゃんどんな格好してんだろう。

 さすがに突入なんかしたら嫌われるのは明白だけど、こうして妄想するだけで頭がどうにかなりそうだった。


「……いいよ?」


 囁かれた許しの言葉。

 生まれ変わったヨリコちゃんを見る権利が、俺だけに与えられた気分で教室へ入る。


「…………」


 言葉が出てこなくて、代わりに喉がゴクッと鳴った。


 アニメみたいに、胸の谷間が見えるとかそんな激しい露出じゃない。


 でも外が暗い夜の教室で、黒髪に白いフリルのカチューシャが映えて。

 黒いメイド服の腰に大きなリボン。

 ふわりとしたスカートは、ヨリコちゃんが端をつまんでなんとか伸ばそうと試みている。


 けれどそれで足を隠せるわけもなく、膝上まであるニーハイソックスとスカートの間に、いわゆる絶対領域という太もも空間が出来てしまっていた。


 ふたつの足の隙間がぴっちり閉じて、恥ずかしげにもじもじと擦れ合う。


「……うぅ……なんか言って」


「すげぇ……めちゃくちゃかわいい」


「……あ……はは……うっそだぁ……」


 スカートの前を片手で押さえつつ、空いた手で前髪をくりくりひねるヨリコちゃん。

 揺らぐ瞳が、落ち着きなく教室中をめぐる。


「いや、まじ神。美の女神。ヴィーナス。放課後の教室に神話を見た」


「……そこまでいくとマジでうそくせぇ」


 乙女モードだったはずのヨリコちゃんが、低音で声を発してジト目になった。

 掴んでいたスカートを投げるように放し、フリルの裾がひるがえって捲れる。


 みえ――……ないんだな、これが。


「シナリオやるんでしょ? なら、はやく出して。ほらほら」


「そんなせっつかれたら出るもんも出ないだろ!」


「はい、セクハラしたね? 今のぜったいセクハラだった。メイドさんに性的な欲求ぶつけるのとか、うちの喫茶店なしだから」


 文化祭の模擬店でそんな高度なこと要求するわけないだろ。

 エロ漫画じゃあるまいし。


 ヨリコちゃんはまた机に腰かけ、すまし顔を決め込む。

 接客のなってないやさぐれメイドに、俺は“寝取られシナリオカフェ編”をスマホで送信した。

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