第59話 妄想メイド喫茶本気モード

 席につき、メニューに見立てた教科書を広げつつ、俺は片手をあげる。


「注文、いい?」


「はいはい、ただいま」


 格好だけは立派なメイドのヨリコちゃんが、すごくかったるそうに席までやってきた。


 俺は息を吐いて、首を振る。


「もっと真剣にやってくれないと」


「はぁ? やってるって。ソウスケくんの目がふし穴なんじゃないの?」


「どうせ遊びだからこの程度の演技でいいだろう。ヨリコちゃんからは、そんな思惑が態度に透けて見える。何事にも真剣になれない、本当にそんな生き方でいいのかい?」


「ぐぅっ……くっそムカつく言い方すんね? ――わぁかった、やる。まじめにやればいいんでしょ!」


 一旦ヨリコちゃんが教室を出て、仕切り直し。

 ふたたび姿をあらわしたヨリコちゃんは、さっきまで手ぶらだったのに丸いトレイを抱えていた。


 まずは形からか。

 いい心がけだ。


 スッと手をあげる。


「ウェイトレスさん、注文」


「はいはーい! ただいま――きゃっ!?」


 笑顔で駆け寄ってきたヨリコちゃんが、自分の足に蹴つまずく。

 トレイに乗ってた水入りコップがひっくり返り、俺の下半身にバシャンと水をぶちまける。


「うわあ!? ちょっ冷てえッ!?」


「ご、ごめんなさいお客様! 大丈夫ですか!?」


 思わず椅子から立ち上がった俺に対して、ヨリコちゃんはひたすらに頭を下げた。


 まじかよ! 本当に水かけるとは思わなかったぞ!

 どうすんだよ制服これ……明日までに乾くかな。


 しかし真面目にやれと言った手前、怒るに怒れない。

 まあいい、続行だ続行!


 濡れてしまった椅子に腰かける。

 尻がぐっしょり冷たくて気持ち悪い。


「どうしてくれるんだ君、これから大事な商談があるんだぞ」


「すぐに、すぐに拭きますから!」


 かいがいしく片膝を床につけてしゃがみ、布巾で俺のズボンをちょんちょんとタッチするヨリコちゃん。

 見下ろす視界に、透き通るほど白い鎖骨が映っている。


 その奥にはむにっと横に潰れた絶対領域な太もももあるのだが、足を見るのは自重した。


「……ほんと綺麗な肌だな」


「……そんなセリフありましたっけお客様」


「あ、ああいや、そ、そんな拭き方じゃ埒があかないよ。これはブランドもののスーツなんだ。店長にクリーニング代を請求しよう」


「そ、そんな、それは困ります。ごめんなさい! 謝りますから!」


 ただひたすらに、頭を下げる行為をヨリコちゃんは繰り返す。

 ほんとに泣きそうなほど顔を歪めて、見てると背すじがゾクゾクする。


 ああ……何かにつけてリード取りたがるヨリコちゃんが、俺に向かってこんなにペコペコして。


「謝られたってどうにもならんね。店長を呼びなさい」


「お願いします! あたしにできることなら、なんでも! なんでもしますから!」


 我ながら素晴らしい脚本だ。

 人生で一度は言ってもらいたい台詞5位には入ってくる。


 ヨリコちゃんの懇願タイムをもう少し聞いてみたいところではあるけど、先に進めよう。


「ん……? なんでもと言ったね?」


「は、はい……なんでも……します」


 俺は立ち上がると、うつむくヨリコちゃんの腕を掴んだ。

 ビクッと肩を跳ねさせる姿に、はじめて嗜虐心というものを覚えた。


 なんか弱々しいヨリコちゃんって、すごく……こう、そそられる。




 ――場面が変わって。


 教室の前へと移動すると、俺はヨリコちゃんの肩を軽く突き押した。


「きゃっ!?」


 派手につんのめったヨリコちゃんが、教壇に両手をつく。

 俺は後ろ手に鍵をかける動作をしながら口で「ガチャっ」と言った。


「この従業員トイレなら、だれもこないんだね?」


「は、はい……でも、その、あ、あたし彼氏いるんです。だから――」


「なんでもすると言ったのは君だろう。すぐに済むから、君はこっちを見ずにお尻だけ突き出してなさい」


「そ、そんな……ぅ……ぅう……」


 すべてを諦めたかのように、言われた通りのポーズを取るヨリコちゃん。


 メイド服のスカートに包まれた、丸みを帯びた尻。

 そしてニーハイソックスの太ももが眼下に、俺の下半身のすぐ前にある。

 その事実だけで全身がカッと熱くなった。


 ヨリコちゃんは教壇に両手と頬をぴったりくっつけて、真っ赤な顔で小刻みに震えている。

 目尻には、涙さえ浮かべて。


 え……?

 これ、演技だよな。

 まさか、そんなわけないと思うけど、このまま本気で寝取りに発展する可能性が……?


 俺はヨリコちゃんに本気の演技を要求した。

 じゃあ、俺は?

 俺はどこまで本気になっていいんだ?


 カラカラに渇いた喉を潤すため、唾を飲み込んだ音がゴクッと鳴った。

 もっとお尻を引き寄せようと、ヨリコちゃんの細い腰にそろり手を伸ばし――。


「――ぷふっ」


 ……ぷふ?


「あーはっはっは! むり! マジもうむり! 我慢できないってば!」


「え!?」


 ヨリコちゃんが腹を抱えながら、教壇からずるずる床に滑り落ちていく。

 横倒しに床へ寝そべって、それでもまだ身をよじらせ苦しそうに笑っていた。


「シチュがありえないんだって! トイレでっとかさぁ! ぶふっ! だいたい商談どうなったんだよ遅れんぞ!? エリートサラリーマン!」


「ぐっ……くぅっ……!」


 設定のあらを突かれ、顔が熱くなる。


 さっきまで別のところを熱くさせてくれてた女の発言とは思えない。

 完全なセクハラだけど口に出して言ってやろうかなこのやろう!


 めくれるスカートも気にせず、だらしなく足をバタつかせてひーひー言ってたヨリコちゃんは、ようやく落ち着いたのかしきりに涙を拭っている。


「総評……総評ほしい? ねぇ? ……全体的におっさんくさい! さすが童貞っていうか!」


「もうやめてくれよ死体蹴りすんのっ!!」


 また教室にヨリコちゃんの笑い声が響いた。


 まあ……楽しそうだから、いいか。

 バカみたいなやりとりだけど、これが俺とヨリコちゃんの出会いなんだし。

 他にはない、俺たちだけの遊びなんだ。


 しかし、一度も完走しないな俺の寝取られシナリオ。

 ほんとはヨリコちゃん喘がせるとこまでいきたいんだけど。


「――コラーッ!! こんな時間まで教室でなにやっとるかー!!」


 突如の怒声に、俺もヨリコちゃんもふたりして直立する。

 おそるおそる教室の後方を振り返ると、にやけた顔のマオが立っていた。


「いやー……ホント、堪能させてもらったぜー」


 マオが手に掲げたスマホを見て、ヨリコちゃんがみるみる青ざめていく。


「い……いつから、見てたの……?」


「んーあたまから? ムービーの容量かなりでかくなってさー。ソウスケのシナリオはひでーけど、つーか青柳もけっこうノリノリだったじゃんねー?」


「け、消して? すぐ消して!」


「教壇に手ついてケツ振るとことかー、迫真って感じだったよー?」


「マジでぶっころす!!」


 颯爽と走り去るマオを追って、ヨリコちゃんはメイド姿のまま駆け出していってしまった。


 しかたないので、棚の上に畳んであった制服を持って教室を出る。


 こういうときはあれだな。

 せめて心の内くらい、なんかラブコメの主人公みたくモノローグをキメよう。


 ――やれやれ。しょうがねえやつらだ。

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