第27話 そうそうこれこれ

「おじゃま、します」


「ど、どうぞ。あっ、スリッパとかなくて!」


「ん? いいよべつに」


 少したるませたショートソックスを履いたヨリコちゃんの足が、ついに我が家のフローリングを踏みしめる。


 何か、俺の安息の場所が侵されていくような。

 そんな不安と焦燥がふいに込みあがった。


 だが落ちつけ。

 まだ心の絶対防衛ラインまで突破されたわけじゃない。

 そう簡単に俺を懐柔できると思うなよ。


「え……? これって……」


 リビングに入ったヨリコちゃんは、言葉をなくして立ち尽くしているようにも見える。

 けれど、すぐに笑みをひっぱり出して。


「う、ううん、なんでもない。ソウスケくんの部屋、見たいかな」


 ……やっぱり、変に思われたんだろうな。

 そういえばマオは、家にきたとき何も言わず詮索もしなかったっけ。


「ああ、部屋はそっち。なんか飲み物持っていくよ。っても麦茶くらいしかないんだけど」


「ありがと。麦茶好きだよ」


 好きだよってセリフにドキッとした。


 しかし、いったいヨリコちゃんはどんなつもりで家にあがったんだ。

 手を出してもいいのかっていうと、まったくそんな雰囲気でもなさそうだし、普通に殴られそう。


 まあ、思いきり腕を掴んで引き止めたのは俺なんだけど。

 なんとなく、あの瞬間めっちゃ帰したくなかったんだよな。


 本格的にヨリコちゃんにハマってる……のか?

 ヤバいな俺。


 麦茶をふたつ持って自室に入ると、ヨリコちゃんは座布団に女の子座りして待っていた。

 今日もスカートのヨリコちゃんは、つまり座布団との接地面がどうなっているのか思案する俺の脳内など知る由もないだろう。


 うちの座布団のランクが1段階上がった気がする。


 お互いに麦茶入りのコップに口をつけ、カランと氷の溶ける音だけが部屋に響いた。


 いつから俺は、ヨリコちゃんを前にするとこんなに緊張してしまうようになったんだ。


「……ほんとに大丈夫みたいだね? 体調」


「まあ……俺のは精神的なものだったから」


「精神的? って?」


「ヨリコちゃんの寝取られ報告で脳がヤられた」


「は?」


 きょとん顔のヨリコちゃんに、包み隠さず理由を説明する。

 相手は当事者だ。

 生半可な覚悟じゃなかったつもりだ。


 それほどまでに俺は悩み、苦しんだ末に相談したんだ。

 浮気、背徳、闇堕ち、地獄、寝取り……様々なネガティブワードが胸中に浮かびあがった。

 だけど、それでも。


 たとえ自らの秘めた想いに気付くことになったとしても――。


「…………ヨリコちゃん」


 俺の話を最後まで聞いたヨリコちゃんが、爆笑した。


 腹を抱えて爆笑していた。


「あーはっはっは! ふへっ、ぃひぃ、おなか、くるし……!」


「ヨリコちゃんっ!」


 まじかこいつ。

 人の心がねえのかよ!?


「あー……ごめん、ごめんて! それってさ、あたしの言った通りじゃん? あたしが好きすぎて効いちゃったんでしょ?」


「ねえよ! 惚れる要素ゼロだわまじで!」


 100年の恋も醒めるっつの!

 俺はなんで、こんな女のことであれこれ胸を苦しませていたんだ!?


「まあでも前にさ、飲み込めたって言ったけどさ? やっぱあたしもモヤモヤしてたんだよね、騙されてたこと。バイトのソウスケくんはかわいいけど、あのくっそムカつくやつでもあるんだよなぁって!」


 そう言われて思い出した。

 はじめての寝取られ報告のときも、そういやヨリコちゃんは苛烈な人間だった。


「だから、おあいこだね? 苦しんだのなら、それで許してあげよう!」


「おあいこ? いやいや元々からして、ヨリコちゃんが間違い電話なんかしたのが悪いんだからな?」


「は? いまさら蒸し返さんでもよくない? さんざんあたしのことイジメたよね? 好きだから意地悪するとか小学生かっての!」


「だれが好きなんだよ自意識過剰も大概にしろや! よくこんな女にケンジくんも惚れたもんだな! 好きなとこ3つくらいに絞ってやっとなんかひねり出せるレベルだろ!」


「は? 3つどころじゃねーから! かわいいって言われるでしょ? 料理うまいって言われるし? 人付き合いも上手って言われたし? あと、えとっ」


「んなこと聞いてねんだよイヤミだよわかれよそんくらい!? あとちょうど3つで打ち止めしてんじゃねえよバカ露呈してんじゃねえか!」


「うるさいうるさいバカって言う方がバカバカバカバァァァカっ!!」


「でた! 困ったときの語彙力なさすぎバカ連打! ておい蹴ろうとすんな! パンツ見えるぞ!?」


「変態キモいキモい! ちょっ、こっちくんなマジで!?」


 後ろ手に後退していくヨリコちゃんを追いかける。


「だからっ! そっち危ねえって――っ!」


「きゃっ!?」


 なんとか追いついた俺は、ヨリコちゃんの後頭部に手を回して学習机との衝突を阻止した。


 鼻先と鼻先が触れるくらいの至近距離で、吸い込まれそうな鳶色の瞳をのぞく。


 ヨリコちゃんは、机から落ちていたタウン情報誌で揺らぐ瞳を隠した。

 俺もあわてて立ち上がる。


「――へ、へえ~! こんなの買ってあたしとの夏祭り楽しみにしてたんだ? けなげさアピったって浴衣なんか着てやんないから!」


 夏祭り……まだ行く気はあるんだな。


「許可とれたのか? ケンジくんの」


「さすがに今回のは、どんな男が相手かわかんなきゃ無理だって言ってた。だから直接会うって――」


「え!?」


「……ビビりすぎじゃね? 会うつもりだったけど、合宿あるから。だから代わりにヒルアが引き受けたらしいね。見極め」


 なるほどな。

 合格点ってそういうことか。

 じゃあ、あの相談事も本気じゃなくて、カムフラージュのでっち上げってこと?


 いや……双葉さんしたたかそうだし、なんとなくあれは本気だったように思う。


 ヨリコちゃんに脈がある的な見立ては大ハズレだったけどな!

 占いとか向いてないよキミ!


「8月第4週日曜! 当日1秒でも遅れたらソッコー帰るから!」


「はいはい」


 投げやりな返事が気に入らなかったのか、ヨリコちゃんは立ち上がるとプイッと顔をそむける。


「あと今日はもう帰る!」


「はいはい! 気をつけて!」


「寝取ろうとか考えたって無理だからっ!」


「寝取らねえよッ! とっとと帰れ!」


 どすどすフローリングを踏みつけて、ヨリコちゃんは帰っていった。


 俺はなんで、あんな女子を夏祭りなんかに誘ったんだろう?

 あのときの自分に問いただしたい。


 けれど気がつけば、ここのところヨリコちゃんの前でらしくもなく感じていた緊張がきれいサッパリ消えていた。


 ふと、ヨリコちゃんの行動が頭によぎる。

 わざわざ家にあがり込んでまで、なぜあんな醜態をさらしていったのか。


 もしかして最初から――……。


 なんて絶対考えすぎだわ。

 本性出してきただけだわ。


 ベッドに腰かけると、笑いが込みあがってきて止まらない。


 そうだよな。

 いい子ちゃんなんかじゃない。

 そんなこと最初からわかってた。


 マオの推薦通り、あんな面白い女の子はそうそういないと思った。


 どうやら俺の希望は叶うらしいな。

 夏休みを最後まで、楽しく過ごせそうだ。

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