第42話 とっくにラインはこえていた

 台風が抜けてしまえば、秋の気配をすぐ近くまで感じられるようになった。


 風は涼しく、こうして半袖の体操着を着ていると少し肌寒くもある。


 何はともあれ体育祭だ。

 高校の体育祭なんて、あまり盛り上がらないまま終わるんじゃないかと勝手に決めつけていたんだけど。


 みんな思いのほか熱狂しているな。

 砂塵を巻き上げ疾駆して、応援にも力が入っていた。


 とくに多くの声援を受けているのが――。


「うおお野牛島やごしま先輩はえー!」「キャー! 友奈ゆうなセンパーイ!」「文武両道ってあの人のこと言うんだろうな!」「剣道も有段者らしいよ!?」


 短距離走、障害物競走、クラス対抗リレーのアンカーをつとめ、そのどれもを圧勝したのが加仁谷友奈。


 夏休みにケンジくんのファミレスで、ウェイトレスをしてた仏頂面の先輩だ。

 長い髪を、今日はポニーテールにしている。


 男女問わずの黄色い声に手を振って応じながら、加仁谷先輩が俺の前で足を止める。


「君はたしか、弓削……だったか?」


「お疲れさまです、えと、野牛島先輩。すごい走りでしたね」


「ありがとう。ところでケンジと二人三脚を走るそうじゃないか? あいつの友人なら、もっと砕けた呼び方でかまわないぞ」


「じゃあ。おつかれ、ユウナちゃん」


「本当にいきなり砕けたな? フフ。まあいい、名前で呼ばれるのは嫌いじゃない。二人三脚、がんばれよ」


 切れ長の目を流して、颯爽と去っていくユウナちゃん。


 カッケーし器もでっけー。

 そら女子からもキャーキャー言われるわ。


 あと俺はケンジくんとべつに友人ってわけじゃないんだが。


「なんで弓削くん話かけられてんの?」「あいつ前に獅子原先輩ともタメ口きいてたよな」「かわいがられてるってこと?」「そういえば青柳先輩とも親しげにしてたぜ!」「青柳せんぱい、なんかいいよな、気だるげなとこが」


 そんなカーストトップ先輩女子みたいな扱いしてるけど、けっこうろくでもない性格してんだぞどいつもこいつも。


 あと最後のやつヨリコちゃんに色目使ってんじゃねえ殺すぞ!

 でも趣味は合うな!


 午前の部は滞りなく終了し、昼にお手製の弁当を食べる。

 決戦は午後――。



◇◇◇



 広いグラウンド。

 日除けのテントに集う教職員と生徒。


 それらをぐるりと見渡して、俺は柔軟体操をしている人物のもとへ向かった。


「――よう、来たな。体調は万全か?」


 太陽を一点、見上げながらめっちゃ雰囲気を出してくる。


 言っとくけどこれからやる競技、二人三脚だからな?

 体育祭の目玉でも、なんでもないからな?


 ……なんだけど。


「俺は万全ですよ。青の守護者……いや、天晶先輩」


ケンジくん・・・・・、でいいぜ。いつもそう呼んでんだろ?」


 俺もすっかりその気になっていた。


 これこそが本日のメインレース。

 プライドを懸けた大一番。

 俺にとって体育祭は、この二人三脚のためだけに存在した。


 背中ごしでも不遜な笑みが透けてみえるケンジくんに続き、白線に足をそろえる。

 ケンジくんの手によって、ふたつの足首がきつく結ばれる。


「足ひっぱんなよ、ソウスケ」


「文字通り、てやつですか。ケンジくんこそ無様に転んだりしないでくれよ。恥ずかしいんで」


 位置について――。

 ぐっと身を屈めて用意する。


 スターターピストルが号砲を鳴らし、直後に足を出した。


「うおおおおおッ!!」


「くっ――!?」


 まじかこいつ。

 ケンジくんは、練習のときみたいに全然リズムを取ろうとしない。

 流れる景色からしてペースが速い。


 まるで個人競技のように突っ走るケンジくんに、なんとか食らいつく。

 そうだ、ケンジくんが個人競技に出ればおそらく簡単に1位をもぎ取れるはずだ。


 それが1位を取り逃すようなことがあれば、敗因はあきらかに俺にある。

 そんなみっともない姿は見せられない。

 だって――。


 チラッと横目で、過ぎていく生徒の中にヨリコちゃんを視認した。


「ハァ、ハァ、どした、少しペース落とそうか?」


「はあっ、はあっ、いらねえ世話だよっ!」


 景色も、競技相手も、声援も置き去りにして。

 意識するのはケンジくんのみだ。


 負けられない。

 負けたくない。

 ここで負けてしまったら、俺はきっとヨリコちゃんも――。


「うおおおおおお!!」


 ケンジくんと雄叫びが重なって、ふたり前のめりにゴールテープを駆け抜けた。


 足がふらふらともつれて、がっくり膝をついて四つん這いになる。

 ケンジくんも後ろ手に座り込んだ。


 やった、1着だ。

 互いに言葉もなく、ぜえぜえと肩で呼吸する俺たちに、癒しの声が降ってくる。


「おつかれさま」


 地べたに座る俺とケンジくんを見下ろして、ヨリコちゃんはにぃっと満面の笑みを浮かべた。


「……かっこよかったよ? ケンジくん」


「……ああ」


 ハンドタオルでかいがいしくケンジくんの汗を拭い、タオルを手渡すヨリコちゃん。


 まあ……そりゃ、そうだよな。

 これを機にふたりのギクシャクした関係も元通り。

 ハッピーエンドってわけだ。


 わかってた。

 わかってたのになんか、この光景はかなり堪えて、顔を伏せる。


「ソウスケくんも、ね?」


 名前を呼ばれたことに驚いて顔をあげると、ヨリコちゃんは自身の首に下げたタオルを外して。


 顔を拭いてくれるのかと期待してたら、なぜかヨリコちゃんは俺の頭をタオルでぺしぺししてくる。


「ずーっと気になってたんだよ? 寝ぐせ。昼過ぎても直ってないしさぁ? 鏡みてる?」


 く、屈辱的。

 こんなときまで弟扱いかよ。

 もはやケンジくんのライバルにすらなれない。


「や、やめろって!」


 あまりにも情けなくなって、ヨリコちゃんの手を払いのけた。


「やだ、なに? かわいくない。されるのがイヤならさぁ、身だしなみくらいちゃんとしろっての」


「おかんかよ!? もういい放っといてくれ!」


 ヨリコちゃんは深く息を吐いた。


「……はいはい。じゃあケンジくん、またあとでね?」


「おう、帰るとき連絡する」


「あ、このあとあたしも水無月ちゃんと走るから! ちゃんと応援しろよー?」


 母親と化した恋愛対象が去っていく。

 男としての自信すら、すっかり消え失せていた。


 と、足首の紐を解いたケンジくんが、ぼそりと呟く。


「なるほどな。……見誤ってたよ」


「え?」


「正直、どこかで舐めてたのかもしれない」


 立ち上がる際、ぐっと顔を寄せてケンジくんが言う。


「宣言しておくぞ? 今日から、オレはおまえの明確な敵だ」


 それは初めて見る、ケンジくんの真剣そのものな表情だった。


「依子は絶対に渡さねえ。覚えておけよ、蒼介」


 気迫に圧倒されて、そして意味もわからなくて返事を返せなかった。


 いまだ、呆然と立ち上がれずにいると。


「よかったなー? やっと認識されてー、こっからって話じゃん? わかるっしょそんくらい」


「ま、マオ」


「スターターピストルが撃ち鳴らされたっつーことよ」


 いつから近くにいたのか、膝に手をついたマオが覗き込むように俺を見る。


「……なー今の言い回しカッケェくない!? あ、ソウスケもカッケェかったよ二人三脚」


「マオー!」


 純粋に褒められたのが嬉しくて、日焼けたマオの足にすがりついた。


「ちょー!? さすがにこんなとこで太ももベタベタさわんのやめれ!? ……やーでも、ステップアップのためならこーいう野外でのプレイも――」


「もう行くなっ! これ以上どこにも!」


 性癖が高みに至り過ぎてさすがについていけねえよ!


 こうして体育祭は幕を閉じた。

 ちなみにヨリコちゃんと水無月さんコンビは3回すっ転んでビリだった。

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