第29話 はじまりの夜のはじまり
昼が過ぎ。
自室で漫画を読んでいたら、号砲のような炸裂音が3回鳴り響いた。
納涼祭の開催を知らせる合図だ。
窓から曇天を見上げて、ひとまずカラオケはおごらなくて済んだな、と息を吐く。
着ていく服を選びながら、鼻歌を口ずさんでる自分に気づいて手が止まる。
どんだけ楽しみにしてたんだよ、恥ずかしい。
気を引きしめなければ、ぜったいヨリコちゃんにからかわれてバカにされる。
だけどせっかくの祭りだしな……。
「……よし」
早々と着替えてしまった俺は、そわそわと部屋の掃除なんかして時間を潰した。
時刻は17時。
待ち合わせた駅の周辺では、浴衣や甚平、アロハシャツなど夏を楽しむ格好のひとが目立ってきた。
祭り会場の神社や、花火が打ち上がる河川敷まではまだ距離があるものの、すでに駅前にも出店が軒を連ねている。
神社までのルートを照らす提灯の明かり。
出店からただよう焼けたソースの匂い。
蒸し暑いけど、いつもと違う夜。
いいね、テンションあがってくる。
しかしヨリコちゃんはまだ来ないのか?
あれだけ遅刻するなと念押ししといて、自分が遅れるとかさすがヨリコちゃん。
女王様気質の――
「……おい。いつ気がつくんだよ?」
「はい?」
いきなり話しかけられて振り返ると、うちわで口もとを隠した浴衣の女の子が、上目遣いで俺を見ている。
夜空を思わせる黒地の浴衣には、大胆に咲き誇るひまわり。
アップにした黒髪に、青、紫、白と3色のあじさいの髪飾りがかわいい。
思わず見惚れていると、眉をひそめた女の子からうちわでペシッと頬を叩かれた。
ていうかヨリコちゃんだった。
「マジで? マジで気づかなかったの?」
「い、いやだって、浴衣着ないって言ってたし……髪型とかも、いつもと違うし……」
「ちょ、見すぎ見すぎ!」
あらためてまじまじ見つめていたら、赤くなったヨリコちゃんがうちわでペシペシ往復ビンタしてくる。
ダメージはない。
あれ、ヨリコちゃんて、こんなに……?
「ソウスケくんだって甚平着てんじゃん」
「そりゃせっかく夏祭りだから、テンションあげようと思って」
帯と同じピンクの下駄を鳴らして、また上目遣いをキメるヨリコちゃん。
そのポーズは俺に効く。
「そ。あがった?」
「あ、あがるよ、だって、ヨリコちゃんがこんなに……」
「なんかネットリした言い方!? やだ!」
「やだってこたないだろ!」
パッと身を引かれた。
せっかく褒めようとしたのに!
もうぜったい言わねえよくそっ!
ヨリコちゃんが、手持ちのうちわで俺の顔をパタパターとあおぐ。
前髪が持ち上がって涼しい。
「クールダウンして? あと、最初に伝えとくね?」
「……何を?」
「ケンジくんから伝言。“不甲斐ないオレに代わって、
オレの彼女、がやたら強調されてた気がするが。
なるほど。
なるほど……。
「やっぱ萎える? ……ごめんね? イヤなこと、最初に終わらせた方がいいと思って。どうしても伝えてくれって言われたから」
「萎えないよ。イヤなことでもない」
ほんとはちょっと萎えたけど。
彼氏としては当然、釘を刺しにきたんだろう。
そりゃそうだ。
許可くれただけでも奇跡だ。
だけど安心してくれケンジくん。
俺とヨリコちゃんがそんな風になるなんて、100パーセント無いから。
「そろそろ暗くなってきたね。ほら行こ? ソウスケくん!」
提灯と出店の明かりに導かれるように、ヨリコちゃんは歩き出す。
黒い浴衣が夜にまぎれて消えてしまわないよう、俺は追いかける。
「あっ、お面買おうよお面!」
ヨリコちゃんはすごく楽しそうで。
はしゃぎ過ぎるとからかわれるなんて、考えてた俺がバカみたいだ。
「いいね! 俺ロボットのにするわ!」
「なんでロボット?」
「1時間くらい説明かかるけどいい?」
「やめて! 口ひらかないでっ!」
そうだよな。
最後まで夏をめいっぱい楽しむためにきたんだ。
遊ぶんだよ蒼介。
「あ、ほら見て! なんかステージでダンスやってる!」
「ちょっとまだ動かないでくれ!」
デフォルメされたキツネ面を頭の横につけてやったそばから、ヨリコちゃんが子供みたいに駆け出していく。
まるで制御できない行動力に笑みがもれ、ロボット面を自分につける。
「……まったく、はしゃぎすぎだろ」
でもきっと、同じくらい俺もはしゃいでた。
熱気と人と光の渦に、あえて巻かれながら俺たちは神社に向けて少しずつ歩んだ。
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