第86話 咎人

「こんなところにいられるか! わたしは帰らせていただく!」


「え!? なに急に、ソウスケくん帰んの!?」


「いや帰らないよ。死ぬまでに一度は言ってみたいセリフがつい口に出ただけ」


 俺の説明に、ヨリコちゃんは難しい顔をして首をかしげる。

 発作のようなものだと思って、どうか受け流してほしい。


 すると前を歩いていたマオがくるりと振り返り。


「わたしが地下のボイラー室を見てくる。あんた達はぜったいここを動かないで!」


「え!? なんでボイラー室? お湯出ないの!?」


「さぁ……出るんじゃねー?」


 ヨリコちゃんは眉間にしわを寄せて、マオを怪訝な目で見つめる。

 発言の意味を考えてるようだ。


 それにしてもひとりでボイラー室は危険だ。

 しかも地下。


「百パー死ぬぞ」


「間違いないねー。凶器は斧でうしろからザックリだねー」


 洋館での様式美をマオと語っていると、ヨリコちゃんがこっちをうかがうような上目遣いで、そっと片手をあげる。


「こ、この戦いが終わったら、お、おれ結婚するんだ……?」


「おーがんばったじゃん青柳ー」


「惜しいな。フラグとしては正しいけど洋館に絡んでないから65点」


 しかしほのかに顔を赤くしてまでノリに付き合ってくれるところが1億点。

 なんてかわいいんだ。


「結婚しようね! ヨリコちゃん!」


「しないッ! なんかバカにされてる気がするし、ぜったいしないッ!」


 秒でプロポーズを断られ、もっと甘めの採点すればよかったと後悔した。


 こんな会話してる中でもサユリさんは黙々と歩を進め、やがて2階の奥の部屋へとたどり着く。


「……こちらです」


 かしこまってドアを開けてくれるサユリさん。

 初めて声を聞いた気がする。


 案内されたゲストルームも洋室で、大きめのベッドがふたつに化粧台やクローゼットなど、宿泊になんら不自由なさそうな設備はひと通り揃っていた。


「ん? ベッドが……ふたつ」


 これは恋人同士である俺とヨリコちゃんが同衾する流れじゃないのか。

 ドキドキしつつ部屋へ入ろうとしたところ。


「弓削様はこちらへ。別のお部屋を用意してあります」


「あ、ですよね!」


 そりゃそうだ。

 未成年の男女を同じ部屋になんか泊まらせるはずがないだろ、常識的に考えて。


 2階は正面階段を中心にU字型となっていて、俺はヨリコちゃん達の部屋のちょうど向かい側へ案内された。


 端と端か。

 まあ大声を出せば届く距離だと思うけど……。

 あれだよな、ミステリだとあきらかにひとり部屋の俺が死ぬパターンだよな。


 いや、もうやめとこう。

 楝蛇さんも善意で泊めてくれたんだろうし、こんなことばっか考えるのは冗談とはいえ失礼だ。


「……弓削様。くれぐれも地下のボイラー室には近づかぬようお願いします。危険ですので」


「も、もしかしてさっきの話ですか? 冗談ですよ冗談! もちろん近づかないです!」


 ていうか、ほんとに地下にボイラー室があるんだな。


 サユリさんはぺこりと会釈し、1階へとおりていったようだ。

 ひとまず部屋のドアを閉め、ちょっと悩んだけど内鍵はかけないでおく。


 部屋の作りはさっき見たのと同様。

 でもこっちにはクイーンサイズくらいのベッドがひとつ、でーんと鎮座している。


 室内で靴を履いているという違和感を解放し、俺はベッドに飛び乗った。

 スプリングが弾み、やわらかいベッドマットに体が沈む。


「おお……すっげぇ気持ちいいなこれ」


 あまりの心地よさに眠ってしまいそうだったんで、なかば無理矢理身を起こした。

 話の続きは夕食のときって楝蛇さんも言ってたし寝るわけにはいかない。


 カーテンを閉めようかと窓に歩み寄ってみると、洋館と隣り合わせの建物が見える。


 なんの建物だろうか。

 館よりも高くて、ここからだと横向きだし見上げてもよくわからない。


 暗い空に向かって伸びる塔のようでもあり、眺めていたら微かに耳鳴りがした。


「なんだ……? なんで、俺は……」


 建物を見てると不安になる。

 なのに目を離せない。


 止まない耳鳴りに頭痛も加わり、体がぶると震えた。

 寒いせいかもしれないと、部屋のリモコンを操作してエアコンをつける。


 いっそう、耳鳴りが激しくなる。


 ふいに込み上がる感情があった。

 だれに対してかもわからない怒りや、嗚咽がもれそうなほどの悲しみ。

 それらがだんだん大きくなる羽音と共に、全身へ溢れかえってくる。


 わけがわからない。

 頭がおかしくなりそうだった。

 最近はこんなことなかったのに。


 俺はなんだ?

 なんなんだ?

 いったい俺はだれなんだよ……!


「はぁ……はぁ……くそっ、ぶんぶんぶんぶんと――っ」


 クローゼットにもたれかかった次の瞬間、あっけなく膝が崩れ落ちた。


 視界を覆う白いもやの中に、いつかの夢と同じ、あの家族団欒の光景を見た――。



◇◇◇



 ――……体が、動かない。


 目を開ける。

 辺りは真っ暗だ。

 ただ、どこか室内にいるということはわかる。


 ひどく窮屈に感じて体をよじる。

 俺は椅子に座っていて、両手を背もたれの後ろで縛られているらしい。


 ……なぜ?

 そしてここはどこだ?


 まるで理由がわからない恐怖に、じわじわ精神を蝕まれる。


 ヨリコちゃんは? マオは?


 コンクリートの床を踏み鳴らして、椅子をガタガタ揺らした。


「――そう慌てないでください、蒼介さん」


 声が聞こえた方にハッと顔を向ける。

 暗いからシルエットくらいしか視認できないけど、たしかに楝蛇さんの声だった。


「どこから話しましょうか。長い話なのです。……戦時以前、ここら一帯に影響力を持った大地主がいました。楢木野剛志という粗暴な男が当主だったのですが、彼に逆らえるものは誰もいませんでした」


「……話は、夕食のときじゃなかったんですか?」


「なんでも気に入らない人間は崖から突き落として殺していたそうですよ? 怖いですねぇ。水車小屋を蒼介さんはご存知で? 遺体はすべてその水車小屋まで流れ着いて、それを村人が内々で処理していたそうです」


 俺の質問は完全に無視している。

 だいたい俺が聞きたいのは家族と四肢断ちになんの関係があるのかって話で、楢木野なんたらとかいう人物はどうでもいい。


「戦争が始まりました。さて、そんな厄介な男もガダルカナルに駆り出され、帰ってきたときには腕を1本失って傷痍軍人として扱われたようです」


 楝蛇さんはコツコツと靴音を響かせて、まるで子供へ読み聞かせるように語りを続ける。


「当然、恨みもたくさん買っていた。以前のような勢いを失った男は、やがて村人に殺されたと聞きます。最後はさんざん自分が殺めてきた、崖から突き落とされて……」


 目前の黒い人型のシルエット。

 その口もとが裂けて、笑みを形作ったかのように錯覚した。


「趣味の悪い、話ですね」


「面白いのはここからですよ? 平和が訪れたかのような村ですが、とある呪いが蔓延して混乱の極みに陥りました。いわく、楢木野剛志に殺された人間の祟りだと。実際にこの時期は、原因不明の病気や失踪、殺人など多くの被害が出ています」


 でもそれは、戦後の話なのだとしたら四肢断ちとは無関係だ。

 本当に俺と関係ある話をしてるのか?

 趣味の悪い話をするのが好きな、ただの変態なおっさんなんじゃ……。


「その呪いも山頂に御社が建てられ、のちに終息しました。今度こそ村に平穏がもたらされたわけです。ハッピーエンドですね」


「……まじで、なんの話だったんだ。ていうかこれほどいてくださいよ! なんでこんな――」


「ところが、話はこれで終わりません」


 なんなんだこいつ、まじで。

 俺の反応を楽しんでるような……どっちにしろ、まともな人間じゃないことはよくわかった。


「殺された大地主、楢木野にはですねぇ、子飼いの愚連隊みたいな連中がいたんですよ。戦時中も各地でさんざん悪さをした筋金入りだ。その内のひとりが、ふと思い立ったんです」


「……なにを?」


「楢木野の死後に起きた呪いの件です。あれら一連の騒動を作為的に引き起こすことができれば、金になると考えた」


「なるほど、クズですね。ていうかそれ、あんただろ」


 霊感商法だと見抜いたマオの言う通りだ。


 楝蛇さん――いや楝蛇はコツ……と足を止めると、今度こそはっきりくくくと笑った。


「ええ……たしかに。お教えしましょう、そのクズの名は――弓削ゆげ壮吉そうきち……と言います」


「……え……?」


 弓削……?

 言葉の意味をうまく噛み砕けない俺に、楝蛇の追撃が冷酷に突き刺さる。


「あなたの曽祖父にあたる人物ですよ、蒼介さん」

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