第88話 その精神こそ(天晶賢司)

 日が落ちて、しばらくしてからの出来事だった。


 昨日から体調を崩して寝込んでた陽毬が、頭を押さえて呻くように苦しみはじめた。


「賢司! 陽毬がまた……!」


 なんだよこれ、見てらんねぇ。

 CTでも異常はなくって、痛み止めは気休めにもならない。

 だから藁にもすがる思いでここまで来たっていうのに、症状はひどくなるばかりじゃねぇかよ。


 何が、じきに良くなるだ。

 楝蛇とかいう奴のこと本当に信じていいのか?

 陽毬を保護してたかどうか知らないが、未だに顔のひとつも見せない人間のことなんか。


 たまらず救急車を呼ぼうとスマホを取り出したところ、ふと陽毬が這いずるように布団を引き剥がす。


「おい陽毬!? 動くなじっとしてろ!」


「ぅ……賢司さん、あたし、行かなきゃ……」


 ふらつく陽毬の体を支えてやると、すぐに陽留愛が反対側の肩を抱えた。


「行くってどこへだよ? どっちにしろ体調が良くなってからにしとけ」


 依然として顔色は悪いし、足もともおぼつかない陽毬。

 こんな状態で外に出すわけにいかねぇだろ。

 いかねぇ……んだけど。


 陽毬は汗でひたいに張りついた髪も気にせず、すがりつくように必死な目で訴えてくる。


「お願い……行かなきゃ、だめなの。行かなきゃ、待ってるから……!」


 ともすりゃオレを押しのける勢いで陽毬は前に進もうとする。


 なんでそんな……。

 どこに、何があるってんだ。


「行かせてやれ」


 発言したのは朝寧だった。

 こいつもさっきまで寝てたはずなんだが、いつの間にか立ち上がって腕組みなんかしてる。


「無責任なこと言うなよ朝寧。もし途中で陽毬が倒れたりなんかしたら――」


「だが、体調が不良な原因は医者でもわからんのだろ? ならば病気ではなく、根底は他にあるということだ」


 それは……前にオレも考えたことだ。

 陽毬は変わった。

 昔一緒に遊んだ記憶も失ってる。


 何かがあったんだ。

 これだけ精神をすり減らして、人格まで変わってしまうような、何かが。


「賢司、陽毬がそれだけ執着するんだ。本当に何か……解決の糸口があるのかもしれない。判断はおまえに任せるが、私はどこまででも付き合うぞ」


 力強い友奈の言葉に、陽留愛もぶんぶんと頷いて激しく同意を繰り返す。

 望みを叶えることで、それで陽毬の状態が少しでも改善される可能性があるなら。


「……陽留愛、手を貸してくれ。陽毬をオレの背に」


「わ、わかった!」


 オレに迷いはない。



◇◇◇



 陽毬の指差しに従って、駅近くのロータリーまでやってきた。

 停車してるタクシーが2台あって、どうやらそれに乗りたいらしい。


「あれ? そういや朝寧はどこいった?」


「さっき土産物屋に入るとこを見かけたが……」


 なにやってんだあいつは。

 マイペースにも程があるだろ。


 背負った陽毬には毛布をかぶせてるとはいえ、夜の外気は相当な冷たさだ。

 もう置いていっちまおうかと考えながら、苛々と朝寧を待ち続ける。


 やがて、こっちに向かって歩いてくるちっこい影を認めた。

 朝寧は妙に長い、紙袋に包まれた棒状のものを肩に抱えている。


「おう、待たせたな」


「のんびり土産なんか買ってる場合じゃねぇんだよ! ちっとは状況考えて行動してくれ!」


「そうカッカするな、必要なものだ。ほら友奈」


 朝寧から棒状のものを受け取った友奈が、ビリビリと紙袋を破いた。


「む。これは……木刀じゃないか」


「棒っきれを持てば強いだろ? おまえ」


 たしかに友奈は剣道の有段者だ。

 だが……。


 友奈もオレと同じ疑問をいだいたのか、掲げた木刀を見上げながら朝寧にたずねる。


「……必要になるのか? これが」


「おそらくな」


 ハッキリと是正した朝寧の表情は、真剣そのものだった。


 朝寧は勘っつうか、未来予知というか、異常に感覚が鋭いときがある。

 ここにいるオレ達には周知の事実だ。


 互いに顔を見合わせれば、全員に緊張が走ってることがわかる。


「……前のタクシーにはオレと陽毬、陽留愛が乗る。友奈と朝寧はうしろからついてきてくれ」


 陽毬を後部座席に座らせ、隣には陽留愛が乗る。

 オレが助手席に乗ったところで、タクシーの運転手がルームミラーを覗き込む。


「あれ、いつもの女の子ですね? じゃあ行き先もいつもの場所で?」


 いつも?

 こっちきてタクシー乗るのなんか初めてのはずだ。


 いや……そうか、陽毬は夜に民宿を抜け出して、タクシーで移動をしていたのか。


「その場所で構いません。お願いします」


 発車したタクシーの車内で、ぐったりと目を閉じて荒い呼吸を繰り返す陽毬。

 オレと陽留愛は、そんな陽毬の様子を見守り続けた。




 ずいぶんと山道をのぼり、一軒の家屋の前でタクシーは停車する。

 周りには田畑以外、本当に何もない。


「……ここですか?」


「ええ。いつもはもうちょっと離れた場所に停めるんですけどね。お嬢さん、調子悪そうだから」


 陽留愛がそっと陽毬を揺すり起こして、窓の外を確認させている。

 すると陽毬がゆっくりと指をさした。


 広がるあぜ道の向こう、でもそこには暗がりにそびえる山しか見えない。


「あっちは……ああ、もしかして楝蛇さんの館ですかね?」


「楝蛇……!? あそこ、楝蛇さんって人が住んでるんですか!?」


「そうですよ。でっかい洋館が建ってんですけど……そこに行けばいいんで?」


「お願いします!」


 あんなとこに住んでいたのか。

 陽毬が行けと言ってるんだ。

 陽毬の現状と、無関係だとは思えない。


 上がり続けるメーターは極力見ないことにして、タクシーの運転手から色々な話を聞いた。


 楝蛇は村の名士であること。

 毎年に一度、村の人を館に集めて説法のようなことを行っていること。

 そしてその日以外は、館に人が訪れることを異様に嫌っている、と。


「前にもお客さんを乗せていったことがあったんですが……めっぽう怒られまして。だから館よりけっこう離れたとこで停めちゃいますけど、構いませんかね?」


「大丈夫です、行けるとこまでで」


 応じると、運転手はその時点でメーターを止めてくれた。

 それから10分ほど走って、山道の途中でタクシーを降りる。


 2台分のヘッドライトが遠ざかると、辺りは墨を落としたような暗さになった。

 時間帯は深夜に差し掛かろうとしている。

 寒さも、タクシーに乗ったふもとの比じゃない。


「陽毬、もうすぐ着くからな」


 再び陽毬を背負って、白い息を吐き出しつつ坂を登っていく。


 みんな無言だった。

 冷たい風が辺りの木々をざわつかせるたび、例えようのない圧迫感に襲われる。


 いったいなんだろうな。

 これ以上先に進みたくなくて、足がすげぇ重く感じる。

 たぶん、ここにいる全員が同じ気持ちを味わっていると直感が告げていた。


 逃避の意味もあったんだろうと思う。

 ふと振り返ってみると、遥か下の方で微かな明かりが見えた気がする。


 車……?

 こっちに向かってるのか?


「賢司……!」


 陽留愛に呼ばれてハッと前を向けば、いつの間にかでっけぇ建物が目前に佇んでいた。


「……立派なものだな」


 友奈の家も相当なでかさだが、そもそも日本家屋のお屋敷だからこことは様相が違う。


 これが、運転手が言ってた洋館か。

 ここに楝蛇がいるんだよな。


 ただ、さっきから耳の奥がじんじんと疼くのが気になる。

 なんだこれ、不快としか言いようがない。


「なるほど、アレか。見えるか賢司?」


 朝寧が指し示す方を凝視すると、洋館の右斜め後方にうっすらと高い建物が浮かび上がった。

 まるで蜃気楼のようで、言われなければ認識できなかったかもしれない。


「あの建物が……なんだよ?」


「ぶっ壊せ」


「おまえ無茶ばっか言うんじゃねぇぞまじで!!」


「っ!? 待て賢司、下がれ」


 切迫した友奈に制され、足を止める。

 よく見ると館の正面扉の前に、誰か立っている。


「……やれやれ。またガキか。楝蛇は何をやっている」


 男は黒髪を逆立てて、虎が施されたチャイナ服を着ていた。

 少なくとも歓迎はされてないらしい。


 男は両手を後ろ手に組んでいるものの、いまにも飛びかかってきそうな危うい雰囲気を纏っている。

 すくむ足を内心で怒鳴りつけ、手短に用件を伝える。


「楝蛇さんに会いたいんです。陽毬も体調が良くなくて、中へ入れてもらえませんか?」


「消えろ小僧。今すぐ背を向ければ見逃してやる」


 とりつく島もなかった。

 男の切れ長の目を真正面から睨み返す。


「陽毬が……会いたいつってんだよ。だから、このまま帰るわけにいかねぇ」


 男の体が左右にゆらりと、傾いた刹那――。

 次の瞬間には、男の姿がほんの目前へと迫っていた。


「え――?」


「賢司ッ!!」


 何も見えなかった。

 凄まじい衝突音が響いたのち、ようやく理解した。

 男がオレに向けて放った拳を、横から飛び込んできた友奈が木刀で叩き落としたのだと。


 目線をすでに友奈へと移し、男が人間離れした跳躍を見せる。


「くうッ!?」


 丸太みたいな飛び蹴りをかろうじてガードするも、友奈の腕が木刀ごと大きく弾かれた。

 蹴りを放った男は、そのまま空中で身をひねって回転し。


「――“二針アーヂェン”」


 二撃目のつま先が、友奈のみぞおち付近にめり込んだ。


「かは――……ッ!?」


「友奈っ!!」


 陽毬を陽留愛に預け、吹き飛んで地面を転がる友奈のもとへ駆ける。

 倒れ伏せる友奈。

 そこへ向けて疾走する男の前に、滑るようになんとか割り込むことができた。


 でもその直後、男の拳が腹に丸々と突き刺さる。


「ぅごえッ!?」


 ハンマーでぶっ叩かれたみたいな衝撃に、胃液を吐き散らしながら両膝を落とした。


「賢司っ!? 賢司っ!」


 陽留愛の叫び声が聞こえる。


 なんだ……こいつは。

 ホントに、マジで、なんなんだ……?

 なんでこんな化物みたいな奴を相手してんだ、オレは。


「よせ! どいてろ賢司! おまえにどうこうできる相手じゃない!」


「おまえにだって……どうこうできるようには、見えねぇよ……」


 ぜえぜえ死にそうな呼吸してる友奈を振り返り、そんな状態でもオレの心配をしてるのかと感心する。


 霞む視界で見上げると、チャイナ服の男がメキメキと巨大な拳を形作っていた。


 初めて受けるが、わかる。

 これが殺気ってやつなんだろう。

 この男はまじで、オレを殺す気だ。


 恐怖よりも先に、自嘲してしまう。

 相変わらず学ばない、みんなにはバカだと笑われるだろうな。

 自己満足に周りを優先して、彼女にゃ振られて、あげくこんな山奥で死にかけてる。


 オレは……間違ってたのかなぁ。

 なぁ、蒼介……誰か……教えてくれよ。


「何を恥じることがある」


 やけに力の込められた声は……朝寧のものだ。


「おまえのような生き方は、もし、たとえ望んだところで、多くの者が成し得ない生き様だ」


 どこにいるか姿は見えない。

 あいつ、ちっこいからな。


「胸を張れ。誇っていい。その精神こそ唯一無二のおまえだ、賢司」


 視界が歪んだ。

 嬉しいけど、もう今際の際だ。

 体が動かねぇ。


 悔しいな。

 オレにもっと力があれば、みんなを守れたかも、陽毬を救ってやれたかもしれないのに。


 男の拳が、瞬時に眼前まで迫って――。


 ――……目と鼻の先で、拳は止まっていた。

 男の拳は、さらに大きな手でガッチリと受け止められていた。


「……貴様……っ」


 憎々しげに吐き捨てた男と同様に、オレも目線を高く上げる。


「NICE GUY。マニアッテ、ヨカッタ」


 外国人……?


 巨漢の男が、オレを庇うように立ち塞がる。

 スタジャンに背負っているサソリの刺繍が、黄金色に輝いて見えた。

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