第16話 なぜ存在するのかわからない日

 登校日だ。


 今日び、登校日なんかやってんのうちの高校だけじゃないの?


 懐かしさすら覚える制服に袖を通して、オーブントースターが焼き上げたパンを食べる。

 食器を流しにつけたあと、誰もいないリビングに「いってきます」とあいさつして家を出た。


 エレベーターで階下におりながら、半袖シャツの境目でくっきり濃淡が分かれた腕を眺める。


 けっこう焼けたもんだな。

 これは目立つし、クラスでもちょっとした話題となるに違いない。


 強い日差しを覚悟してマンションのエントランスを出るも、空は曇っていた。


 傘――取りに戻る時間はないな。

 まあいいか。それよりクラスで詮索されたときのシミュレーションでもしとこう。


 たぶん“うわ、めっちゃ焼けてんじゃんどっか行ったの?”と聞いてくるやつがいるはずだから。


“まあ、ちょっと海にな”

“いやひとりじゃ行かねぇよ”

“先輩と……つうかまあ、女の子ふたり?”

“彼女じゃねえって。あ、ひとりは元カノか”

“はいはいこの話は終わりな! それより甲子園の話しようぜ!”


 これだな。

 さりげなく甲子園の話題に変えて、周囲の女子に硬派さをアピールするのがポイントだ。


 そういやヨリコちゃんもマオも同じ学校なんだっけ。

 まいったな。

 廊下とかで話かけられて、クラスメイトに噂されるの恥ずかしいんだが。


 詩織系男子だからなぁ……。




 教室でホームルームを受ける。

 担任が次は体育館に集合するよう告げて、教室を出ていく。


 空気がゆるみ、雑談に興じるクラスメイトをあらためて見渡した。


 みんなめっちゃ日焼けしてるーっ!

 海行ったとか、恋人できたとか、そこかしこから聞こえてくるし!

 リア充ばっかじゃねえかうちのクラス!


 クラスで1番かわいいけどめちゃくちゃ物静かな水無月みなづきさんと、クラス1陰キャで呪術関連の本読みまくってる魚沼うおぬまくんが付き合ってるらしいって話が1番驚いたわ!


 呪術か?

 呪術使ったんか!?

 おまえらの物語おしえてくれよ面白そう!


「……はぁ」


 何もかもが虚しい。

 所詮俺なんて井の中の蛙。

 大海を知らず。


「おーいソウスケー」


 誰だよ気安く人の名前呼ぶやつは。

 ぶしつけなやつだな。


「あ、いたいた。おらソウスケー! 机から顔あげろー!」


 教室がざわめきだして、何事かと顔をあげる。

 廊下側の窓から身を乗り出して、マオが俺に向けて手招きしていた。


「え、あれ獅子原センパイじゃね?」「やべ、めっちゃかわいい」「3年だよね? なんで弓削くんに?」「しかも名前呼び……」「獅子原先輩が弓削に用事だって」「あのいつも何考えてるかわかんねえ弓削に?」


 おい最後のやつ、それ悪口だよな?

 おまえの名前とか俺も知らないけど、顔は覚えたからな!


 とはいえ当初の予想を超える展開が訪れた。

 俺は若干の優越感を覚えながら、教室の扉へと歩いていく。


「お、おいおいなんだよマオ? クラスまで来られちゃ俺が目立って――」


「あー? 調子のんな一年坊主!」


「あ痛たっ!?」


 マオから尻に蹴りを入れられた。

 教室のざわめきが大きくなる。


「やだ蹴られてる……」「かわいそう」「いじめかな?」「でも弓削くんタメ口だったし、ほんとは仲良いんじゃない?」「マオって呼んでたよな」「もしかして付き合ってる!?」「あの授業中いつも消しゴム彫ってロボット作ってる弓削が?」


 おい最後のやつ!

 いいじゃねえか好きなんだよロボットが!

 アートだろアート!


 とはいえ当初の予想と違った盛り上がりをみせてきた。

 こんな注目の浴びかたは恥ずかしい。


 小声でマオに聞く。


「……で、いったいなんの用だよ?」


「ちっとツラ貸してくんないー?」


 いやな誘い文句だ。




 マオに連れられてやってきたのは、一階の踊り場付近にある自動販売機の前だった。


「財布わすれちゃってさー? 500円貸して」


 カツアゲだわこれ。


「なあ、なんでさっき蹴ったの?」


 金を借りるやつの態度じゃないよね。

 俺が差し出した硬貨を受け取ると、さっそくマオはジュースを買って一気にあおる。


「――ぷはあっ。生き返った~。やっぱ持つべきはいい後輩だようんー」


「なんでさっき蹴ったの? ねえ?」


 マオはジュースの缶をゴミ箱に投げ入れて、へらへらと笑う。


「まあそんな怒んないでー? 制服姿のわたし見れて幸せっしょ?」


 夏休み中は露出激しめの私服しかみてないから、新鮮ではあるかも。


 挑発するようにスカートの両端を指でつまむと、マオはうっすら目を細めて短いスカートを持ち上げていく。


「ほらほらー。お礼にスカートめくってもいいんだよ~?」


 あと少し……もう少しで見えそう。

 水着はさんざん見たってのに、布面積はそれほど変わらないってのに、どうして男ってやつはパンツに弱いんだろう。


 だがあの海の日以来、女子の足やスカートに目が奪われると、蔑むようなヨリコちゃんの視線を思い出してしまうのだ。


「くっ……そんなもんで、俺を言いなりにできると思うなよ?」


「そっかぁ残念!」


 マオはあっけなくスカートから手を離した。


 え、もう終わり?

 もう少し粘って俺を説得してくれよ!


「やっぱソウスケは、青柳じゃないとダメなんかなー?」


 ステップを踏むように回転し、マオは自販機でまたジュースを買う。


「またその話かよ。ていうかまだ飲むの?」


 おしっこ近くなるぞ。


 自販機の取り出し口からスポーツドリンクを掴み出したマオが、下手投げのそぶりをみせた。


「――ほい。あげるー」


「え……ありがとう」


 放物線を描くジュースをキャッチする。

 缶ジュースのふたを引き開けつつ、やさしい……なんて一瞬思っちゃったけど俺の金だったわ。


「ま、今日は青柳に近づくのやめときなー? あいつ天晶に会えるのめっちゃ楽しみにしてたからさー?」


「ふぅん。べつに近づきゃしないけど」


「脳が壊れちゃうもんねー」


 壊れるわけない。

 だけど俺なんかが話しかけて、よからぬ噂たてられても悪いしな。

 素直に忠告は聞いとこう。




 学校は10時には終わり、俺はいち早く帰途につく。

 校門を出て、すぐの壁沿いにしゃがみ込む女の子とエンカウントして足が止まった。


「――ぅくっ……ひ……ひぐっ……ゔえぇ……」


 だってヨリコちゃんがガン泣きしてた。


 予想だにしなかった事態に、思考停止したままオロオロと見守る。


 え、なんっ……ええ……?


 生徒が校門をぞろぞろ出てきた。

 こんなとこに屈んでいたら、好奇の視線にヨリコちゃんが晒されて――


 ひとまずヨリコちゃんの正面に立ち、衆目から丸見えのパンツを死守する。

 急いでポケットをまさぐり、引きずり出したハンカチを押しつけるように渡した。


「つ、使ってそれ。あと立った方がいい」


 気まぐれにハンカチを忍ばせるなんて、普段なら2割がいいとこなのに。

 運がよかった。

 今度からはちゃんと持ち歩こう。


「ソウ、スケくん……?」


「鼻かんでもいいし、返さなくてもいいから」


 そそくさ立ち去ろうとしたところ、シャツの裾をキュっと力なく掴まれた。


 ヤバい、周囲の生徒からチラチラ見られてる。

 ケンジくんやふたりの関係性を知る人物に見られたら、ヨリコちゃんの立場が悪くなる。


「よし、わかった。ひとまずここを離れよう、いい?」


 こっくり頷くヨリコちゃんの手を引いて、俺は学校から離れていった。




 商店街を歩く。

 ヨリコちゃんは俺の少しうしろを、俯きがちについてくる。


 こういうとき、何があったか聞くべきなんだろうか。

 それとも気を利かして他の話題でも振るべきなのか。

 俺には圧倒的に経験値が足りない。


 ……でも、なんか苛々するな。


 どこが完璧・・なんだよ。


 完璧ならヨリコちゃん泣かすなよ。

 おまえが泣かせたんじゃないにしろ、あんなとこで放ったらかしにするなよ。


「……彼氏となんかあった?」


 つい、口をついて出た。


「あ……う、ううん、そうじゃない……ちがうの、あたしが勝手に、ね?」


 さっぱりわからん。

 だけどケンジくんを庇うような言い回しに、ますます感情が刺激される。


「ちがうってことないんじゃない? だってあんなに泣いて――」


「も、もうおしまい! この話は終わりにしよ? ね? ね? ホント迷惑かけちゃって、ごめんねソウスケくん」


「べつに、迷惑なんかじゃ……」


 それ以上の言葉が続かない。

 続けられない。


「な、なんかお腹すかない? あたしおごるからさ、いっしょ食べよ。は、ハンバーガーでいいかな?」


 だって追及して欲しくなさそうだから。

 ヨリコちゃんの意思を無視して振る舞う、そんな権利が俺にはない。


 そう、あるわけがないんだよ。


 すっかり立場が逆になってしまい。

 うなだれた俺は、ヨリコちゃんに先導されるままハンバーガーのチェーン店に入った。


 ひと通りのセットを注文して、レジでかばんをまさぐっていたヨリコちゃんが硬直する。

 顔は真っ青だ。


「……ごめ……あたし……財布忘れて……」


「……いいよ。俺出すから」


 な? バイトしといてよかったろ蒼介。

 急な出費が続いても、こうして耐えられるんだ。


 世の中に無駄なことなんて、何ひとつないよな。

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