第7話 許嫁はお掃除したい
「八幡さん、あの、、掃除手伝ってもらってもいいですか?」
俺の再試も終わり、またしばらく平穏な毎日を過ごしていたある日、俺の部屋に結愛がやって来た。
申し訳なさそうに低い姿勢で俺の部屋の扉をノックし、もじもじと体を揺らしている。
「…………掃除?」
「はい。掃除です」
やけに深々とした顔で俺の部屋にまで来たから何の用かと思ったが、結愛は俺に掃除を手伝って欲しかったらしい。
部屋の前に立つ結愛が緊張しているように見えたのは、友達でもない男を呼んだからだろう。
さらに許嫁という何とも言えない関係性なら、自分から声を掛けるのに勇気がいるのも理解がいく。それでも最近はほんの少しだけ距離が縮まってきたので、結愛も俺に頼み事がしやすくなったのかもしれない。
元々話しかけてはいけないなんてルールはないので、ここに暮らし始めた初期の段階でも声は掛けていいのだが、結愛は俺に嫌われようとしていたらしいので頼みづらいわけだ。
まあ最近はそんな素振りはなく、こうして部屋に訪ねてきた所を見るに、もう嫌われようとはしていないのかもしれない。
「俺で良ければ全然手伝うけど、どこを掃除するんだ?」
お互いの間に出来た壁がちょっとだけ崩れたのを感じつつも、断る理由もないので結愛のお願いを受け入れる。
「場所は私の部屋なんですけど、棚の上の方が届かなくて……。ここに来てからずっと拭いてないので埃が溜まってると思うんです」
「あー、つまり俺はそこを拭けばいいわけか」
「そういう事です。本当は私1人でやりたかったんですけど……」
俺の部屋の前に立つ結愛は、1人ポツンと哀しげな発言をする。それを意図して言っているわけではなく、あくまで本心で言っているのだから見ていて苦しくなる。
「そういう時くらい、俺を頼ってくれていいから」
折角一緒に住んでいるわけだから、そういう時くらいは頼って欲しい。今の結愛の姿を見れば、自然とそう口から溢れていた。
「…………ですから頼みました、」
「今日だけじゃなくてって事」
俺は別に、手伝いくらいならいくらでも頼まれても良い。家にいてもどうせのんびりと過ごすだけなので、それよりかはやるべき事があった方が良い。
男としての良心的にも、か弱い女の子1人で頑張っているのを見過ごすことは出来なかった。
「…………いいんですか?頼って、、」
「まあちょっとくらいなら手伝う」
結愛は首をこてんっと傾げて、純粋な瞳を向ける。その瞳には一切の濁りなんてなく、真水のような透明感をしていた。
そこにはどんな意味が込められていたのか、少しだけ結愛の目の奥が光ったような気がした。
「じゃ、じゃあ部屋の掃除をこれからも手伝ってもらいます」
「そんなのでいいならいつでも手伝う」
俺が表情を緩めてそう言葉を出せば、結愛はぶんぶんと顔を横に振った。俺からしてみれば、掃除を手伝うなんて小さな行為にしか思えない。
でも結愛にとっては違ったようだった。
「そんなのじゃないです。私からしたら、とても嬉しい事なんです」
一見嘘なのではと思う発言だが、結愛の面を見ればその考えは吹き飛んだ。
相変わらずどこか寂しそうな表情に、嘘偽りのない真摯な瞳。
ずっとそれを望んでいたかのような、悲しさとはまた少し違った雰囲気。
そしてその後の沈黙の空気感が、結愛の発言のリアリティさをより増幅させた。
「…………掃除手伝うだけで喜んでもらえるなら、どんどん手伝うから」
また俺自身も、人に頼られるのが嬉しかった。頼られるのが嬉しいというよりかは、頼られて感謝を述べられるのが心にグッときた。
今はもういない、両親にそうしてもらった過去を似たような形で体感出来るから。
「ここで立ち話をするのも悪くないですけど、そろそろ掃除始めましょうか」
「そうだな」
結愛のその一言で、本来やるべき事を思い出す。一足先に向かった結愛のあとを追い、すぐ近くにある彼女の部屋へと向かった。
「ちょっと部屋の確認してくるので、ここで待っててください」
「了解」
歩いて数秒で結愛の部屋の前まで来れば、確認と言って1人部屋に入っていった。
(てか同級生の自室に入るのか……)
良く考えれば初めて入る女子の自室。
その状況に今更ながら緊張してきた。
結愛も俺を呼ぶ前に一通りは不要なものやプライベートなものがないかを確認したはずだが、念のために最後の確認をしているのだろう。
しかし俺からしてみれば、扉の前で待たさせるその時間が、ただでさえ高い緊張感をもっと高めた。
「どうぞ、入ってください」
扉の前で待ってから早数分、結愛の声が耳に届いた。
(俺がするのはあくまで拭き掃除。それだけだ。)
これは結愛が俺を信頼しての行動なので、1人緊張するわけにはいかない。
扉の前で深呼吸をして呼吸を整えつつも、慎重な足取りでドアノブを握り、ゆっくりと扉を開くのだった。
【あとがき】
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