第65話 許嫁とこれから

「莉音くん、おはようございます」

「おはよう」



 土日も終わり、憂鬱な月曜日がやって来る。

 軽い身支度を済ませてからリビングに向かい、エプロンを身に付けてキッチンに立っている結愛と挨拶をする。



 俺よりも早くから起きている結愛は、すでに全ての支度を終わらせて、朝食の盛り付けを行なっていた。

 キッチンに立つ結愛の表情は、一昨日よりも明るみが増していた。




「先に席に座っててくださいね。今から運ぶので」

「俺も皿くらいは運ぶから」



 いつもと同様、結愛が盛り付けた皿を俺がテーブルに運び、そこから朝食を食べる。

 夕食の時は作業が全くの逆で、俺が盛り付けた皿を結愛が運んでくれていた。




「…………結愛、これは?」

「あー気付かれてしまいましたか」



 この日も結愛が用意してくれた朝食を運ぼうとキッチンに立ち寄れば、台所の上には見慣れない箱が2つあった。



 中にご飯や食材が入っている、朝食とはまた別に用意されたもの。




「それは莉音くんの分と、私の分のお弁当です」



 それが弁当箱だと言うのは、一目見ればすぐに分かった。青とピンクで色違いになっている2つの弁当箱があれば、それは自分にも用意されたものだと分かる。



 青の方はピンクの弁当箱よりも中身がぎっしりと詰め込まれていて、きちんと量も調整してくれているようだった。

 入っている食材が特別変わるわけではないが。




「これ、朝から作ったのか?」

「それ以外の何に見えるんですか?」

「いや、単純に凄いなと」



 中には色取り豊かな食材が多く入っており、朝食を前にして、さらに食欲をそそられた。

 決して男飯ではないその出来栄えに、朝から素直に感服した。




「俺、弁当箱とか持ってなかったのに」

「知ってますよ。莉音くんいつも学食かコンビニ弁当とか買ってたので」



 この弁当箱は結愛が購入してくれたものなのだろう。俺は朝が強いわけではないので、自ら弁当を作ろうとしたことはない。

 作りたいという気持ちもないので、用意する気にすらならない。



 なので、ここに来てから弁当箱を買ったことはない。ここに来る前も、それは同じ事か。

 中学の頃はどうしても弁当が必要な時があったが、せいぜいおにぎり弁当を用意するくらいだった。



 朝早くから弁当を作ってくれる親は、もう居なくなっていたから。




「私も弁当箱なんて持ってなかったんですけど、最近ふと朝から弁当を作ろうと思って、それで買いました」

「なるほどな」



 俺はその結愛の突発的な思い付きに感謝した。

 もしかしたらずっとどこか憧れていたのかもしれない。誰かが作ってくれた弁当というものに。



 それは結愛も同じだと言えるだろう。自分だけ手料理の弁当でないというのは、それを食べることの出来ない身としては、憧れの一つだった。




「…………なので、それならついでに莉音くんの分も作ろうかなと思ったんですが…………迷惑でしたか?」



 結愛は心配そうな瞳をして、少しだけ瞳を潤わせる。後ろで一つに結んだ髪が、左右に小さく揺れた。




「迷惑なわけあるか。学校でも結愛のご飯が食えるとか、コンビニ弁当とは比べ物にならないくらいに嬉しい」

「そう言ってくれるのは嬉しいですけど、比較対象がコンビニの弁当なのは少し複雑ですね」



 結愛はホッと安心した様子を見せながら、そっと胸を撫で下ろす。

 


 まさか弁当を用意して貰えるなんて、思ってもいなかった。自分でも若干口角が上がっているのが分かる。



 迷惑なはずがない。胸の中には溢れんばかりの感謝がいっぱいるので、結愛からの弁当を迷惑と思うわけがない。


 


「…………てか、俺に聞かずに弁当箱まで買ってくれてる辺り、本当は結愛が俺に弁当を作りたかったんじゃないのか?」



 今の発言は流石に自意識過剰過ぎるか。

だが、俺にとって迷惑かどうかを疑っているのに、内緒で弁当箱を買ってくれているというのは、何かしら別の意味がありそうではある。


 


「なんて、まあ冗談だけど」



 俺がそう言葉を発した時には、結愛の頬はほんのりと上気していた。




「…………はい」



 結愛は小動物のように小さく頷き、後ろに結んでいる髪をぴょんぴょんと揺らす。




「え?」

「…………莉音くんにお弁当を作ったら喜んでくれるかなって、本当は期待してました」



 正面で向き合って口を開く結愛からの言葉に、俺の体はピシリと動きを止めた。



 つい静止してしまうくらいには、朝から破壊力が高かった。




「莉音くんは、喜んでくれましたか?」

「…………喜んだよ。だから迷惑とか、そんな事考えなくていいから」

「はい。それなら良かったです」



 俺は逃げるようにしてそう言い放ち、盛り付けられた皿をダイニングテーブルに運んだ。

 


 呼吸を整え椅子に座り、結愛が戻ってくるのを待つ。

 結んだ髪を解き、身に付けたエプロンを取る姿は、普段よりも色香を感じさせられた。




「ごちそうさま」

「ごちそうさまでした」



 朝食を食べ始めればいつもの空気感に戻り、リラックスして箸を勧められた。その居心地の良さにすぐさま朝食を食べ終え、使い終わった皿を台所に持っていく。



 引っ越してきた当初は自分で使ったものは自分で洗うというルールがあったが、今は夜は俺が皿洗いで、朝は結愛が皿洗いと、大まかな分担が出来ていた。



 ルールを決めているわけではないので、その分担は日によって変わる。

 まあ今日は先に食べ終えた俺が、皿を洗うことにした。

 



「今日も美味かった」



 台所で結愛から皿を受け取り、そう告げる。食べている時にも美味しいと伝えはしたが、一応最後の最後に感想を述べた。




「莉音くんみたいに、毎日美味しいと言ってくれるのは作ってる側からすれば励みになります」

「分かる」



 結愛は美味しいと言われたら、分かりやすく頬を緩めていた。それを間近で見ているのだから、俺の食べるご飯はさらに美味しくなる。



 でもそれは俺も同じ事か。結愛から美味しいと言われれば普通に嬉しく感じるし、また作ってあげたいと、そう思えるのだ。




「私はそれを聞けるのが一番嬉しいですね。あと幸せそうに食べてるのを見るのも」

「それだけで喜んでくれるなら、俺は何回でも言うから」

「気持ちは嬉しいですけど、流石にそこまではしなくていいです」



 朝から些細なやり取りを行いながら、登校時刻までの時間を潰す。

 その居心地の良い平穏な空間が、俺は好きだった。




「あ、そろそろ時間だ」

「そうですね」



 そんな平和な時間は何をしているわけでもないのにすぐに流れていき、家を出る時間はやって来る。



 2人で一緒に登校するわけにはいかないので、いつも俺から先に登校していた。基本的には朝は結愛が皿洗いをするので、時間的に俺からとなるのだ。




「では、どうぞ」

「どうも」



 鞄を持ち、この日は初めて結愛から弁当を受け取って玄関まで歩いた。




「帰ったら、ちゃんとお弁当の感想聞かせてくださいね」

「分かった。結愛が聞きたくなくなるまで、たっぷり聞かせるわ」

「そこまで語れるような、大した弁当じゃないですから」



 靴を履きながらそんな会話をして、結愛はクスッと笑みを浮かべる。




「じゃ、いってくるわ」

「はい。お気をつけて」



 結愛の温かい微笑みを見届けつつ、玄関の扉を開いて足を踏み出す。

 



「…………莉音くん、いってらっしゃい」



 家の扉をチラッと開き、そこからちょこんと顔を出してそう言う結愛が、俺には可愛いらしい嫁のようにしか見えなかった。








【あとがき】


・無事に2章も終わりました。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


次からは3章に入ります。ここからが大事な時期となり、気合を入れて書きますので、これからも応援お願いします!

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