第58話 夫婦のような許嫁2人が一緒に歩く話

「莉音くん、行きましょ」

「行くか」



 土曜日なんてものはすぐにやって来て、結愛と一緒に修理屋に行く時間帯になった。

 家を出た時刻は11時前と、もう少しでお昼という時間だった。



 元々は家でご飯を食べてから出掛ける予定だったが、折角ならどこかで食べてから目的地に向かおうという事になり、家では食事は行わなかった。




「ちゃんとオルゴールは持ったんだよな?」

「当たり前です。鞄の中に大切に保管してます」



 靴を履いて玄関を出て、扉の鍵を閉める前に確認を行い、忘れ物がないかをチェックする。



 結愛は、何を当たり前のことをとでも言いたげな顔をして、俺を見上げた。



 今日は最悪オルゴールさえあれば目的は果たせるので、その確認だけをしっかりとして、家の鍵を閉めた。




「結愛、大事にしようとする気持ちは分かるんだが、鞄に両手を添えてたら何かあった時に危ないぞ」



 マンションのエレベーターに乗り、一階に着いてエントランスを抜けたら、大事そうに鞄に両手を添えている結愛に忠告をする。



 結愛は可愛らしいショルダーバックを首から掛けており、それをさらに保護するようにして、鞄の上から両手で覆う。



 小さな手の平では覆うのにも限界があるが、今は全ての注意をオルゴールの入った鞄に向けていた。それが見ていて微笑ましいのは、隣にいる俺しか知らない。




「私は転ばないので大丈夫です」

「そう言うけど、結愛は過去に足を滑らせているからな」

「あれは仕方ないというか、ちょっとタイミングが悪かっただけです。万全な状態であれば、あんな事にはなりません」

「今も両手を鞄に添えてるから、万全な状態ではないと思いますが?」

「うっ…………」



 結愛の歩幅に合わせたペースで歩き、気持ち慎重な足取りで進んでいく。俺が忠告を続けた後でも、結愛は変わらずに鞄を大切そうに保護していた。



 

「もし私が転んだら、オルゴールは任せます」

「そこはオルゴールじゃなくて自分の心配をしてくれ」

「私の傷は治っても、粉々になったオルゴールは直りませんから」

「結愛だって、深い傷が出来たら治りにくいけどな」

「転んだだけで一生に残る傷は出来ません」

「なら転んだだけでオルゴールが粉々になることもないと思う」



 俺からすれば、オルゴールが壊れるよりも結愛に傷がつく方が避けたい。結愛はその逆の考えのようだが、どう考えても俺は結愛の保護を優先するべきだろう。



 小さなすり傷でも中々消えないことだってあるし、女の子の体にそんな跡を残すわけにはいかない。

 結愛が転ばないように見ていてあげようと強く思わされるくらいには、その危機感を目の当たりにしていた。




「なぁ、鞄を大切に守るのは良いとして、せめて顔くらい上げてくれ」



 何も俺がここまでしつこく注意をするのは、ただ鞄に両手を添えているからではない。一番は、結愛が下を向きながら歩いているからだ。



 別にちゃんと周りを確認出来ているのなら良いのだが、たまに俺の方や周りを周りを見るくらいで、あとはほとんど鞄に目を張って見守っている。



 そうまでして丁寧に扱ってくれたんだと嬉しさも感じるが、今はそんな事よりも結愛の安全の確保の方が優先しなければいけない。




「顔を上げて、私が気付かない間にもし落ちたらどうするんですか」

「いや落ちないから。鞄もしっかりと閉じて、おまけに手で覆ってるのに、どうやったら落ちるんだよ」

「…………世の中には、全てを説明出来ない事件だって沢山あります。」



 そんな理不尽な事を言われては、正当な理由で返すのが難しくなる。




「じゃあもし仮に落ちたとしても、音で気づくだろ」

「オルゴールに傷付けたくないです」



 まあオルゴールを丁重に扱っている結愛からしたら当然の返答で、返ってくる言葉も何となく予想がついた。



 結愛はこれまでの会話を全て嘘偽りなく話していて、むしろ絶対に傷付けたくないとたぎっているようにすら見えた。


 


「…………俺はな、結愛に怪我して欲しくないから言ってるんだよ」

「…………莉音くん、、」



 もう他に説得する言葉もなく、自分の胸にしまい込みつつあったその感情を、口に出して表に出した。



 普段は滅多に胸に秘めた思いを曝け出すことはないが、そうでもしないと結愛の決心に揺らぎすら与えられそうになかった。



 やはり結愛は精神攻撃に弱いようで、情に訴えた言い方をすれば、若干だが揺らぎ始めた。




「…………危ない!」



 鞄に両手を添えたまま、今は鞄を見守るというよりかは迷っているような顔で下を向きながら、結愛は真っ直ぐ歩く。



 かなり真剣に頭を回していたのか、目の前の赤信号に気づく事なく歩み続けた。



 このままでは車の走っている道路を突っ切ってしまいそうなので、俺は声のボリュームを上げて、結愛の手を引いた。



 腕を握り、体を引っ張れば、結愛の小柄な体は俺の正面へと引き寄せられる。抱き寄せるとはまた違うが、それほどまでに至近距離へと接近していた。




「…………大丈夫か?」

「はっ、はい……無事です」



 勢いよく引いてしまった事に罪悪感を覚えるが、まず安否確認を行う。

 運の良い事にたまたま車が走っていなかったから良かったものの、もしタイミングが合わなければ衝突の可能性だって少なくはない。



 流石に車が走っていたら気づくかもしれないが、それでも危険ということに変わりはない。




「なぁ俺は言ったろ?ちゃんと前を見ろって。オルゴールを大切にしたいのも分かるけど、信号はきちんと確認してから歩け」



 ついつい言葉が強くなってしまったのは、それほどまでに危険な行為を結愛がしたからだ。

 たとえここで嫌われたりしようとも、それだけは言っておきたかった。




「す、すみません……」



 前までとは声のトーンも音量も異なる説教を受けた結愛は、本気で落ち込んだようにシュンと顔を暗くする。



 結愛がオルゴールに傷を付けないように扱って、そして人からの贈り物を大切に保管するのも、全て善となる行動なのだが、今回はそれの度が過ぎた。



 贈った俺はそんな結愛を見たら本当に嬉しいし、また何か買って送りたいと思わせてくれる。

 それでも、やっぱり自分の身の安全を一番に考えてくれる方が嬉しい。




「……結愛がオルゴールを死守したいように、俺だって結愛のことを同じように思ってるんだよ」

「えっと……それは、、」



 結愛はもう鞄に手を当てるのをやめ、顔も俺と目を合わせて離そうとはしなかった。




「友達だし、許嫁だろ?そもそも、1人の女の子として放っておけないんだよ」



 俺はそう思ったので、それを本人に伝える。

 許嫁、友達、そういう関係も新た結愛にはあるが、そんなの関係なしに心配になった。



 他の人と何も変わらない、普通の1人の女の子として、見ていて放っておけなかった。




「…………それ、多分私と同じじゃないですよ」

 


 口から言葉を出した結愛は、発言が終わればこれまでにないくらいに慌ただしい様子であたふたとする。



 話している時には合っていた瞳も、今ではあちこちに視線が行き来している。

 顔なんて分かりやすく熱が昇っていて、茹だったように内側から染まっていく。




「い、今の無しです。取り消します!」

「一緒じゃないのか……」

「一緒です一緒!」



 何回も顔を上下にして、必死な表情で訴えかけてくる。下を見下ろせばすぐに結愛の顔があり、俺の高鳴った心臓の音が伝わっていないか心配になる。




「…………早く行きましょ」



 そう言って歩み始めた結愛の手は、今は鞄ではなく俺の袖元をぎゅっと握っていた。








【あとがき】


・ちなみに、数話後に少しだけ重たい話を書くので、夫婦のような会話を今のうちに堪能しておいてくださいませ!


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