第57話 許嫁とお出掛けの前日

「莉音くん、今度の土曜日ってお時間空いてますか?」



 結愛のお泊まりも終わり、そこから平凡で平和な毎日を過ごしていたある日、いつも通りに放課後にリビングで2人集まっていれば、結愛がそう聞いてきた。



 

「基本的に俺は家にいるから、多分その日も暇だと思う」

「そうですか」



 今日も今日とて隣に座る結愛に目を向けながらも、パッと記憶を遡ってみる。詳しい予定までは思い出せていないが、今の所は特に予定はない。



 今週だけでなく、俺は土日にほとんど予定がないのが、修馬や結愛から枯れてると言われる所以だろう。



 たまに修馬と出掛けはするものの、それ以外にはスーパーに行ったりするくらいで、外出すらも滅多にしなかった。




「その日は何かあるのか?また泊まりに行くとかか?」

「いえ、そうではなくてですね。少し一緒に行って欲しい所があるというか……」

「俺と一緒に?」

「そうです」



 結愛は何故か言いづらそうに顔を曇らせながら俺と顔を合わせる。

 自ら俺を誘ってきているので無理をしているわけではないはずだが、見た感じでは何やら事情がありそうだった。


 


「それで、どこ行きたいんだ?」



 どんな事情があるにしろ、誘われたならまずは行き先を尋ねる。そこに行きたい理由は、またその後に聞けば良い。

 



「私が行きたいのは修理屋さんです」

「…………は?」

「ですから、修理屋さんです」



 結愛の一言に、俺は耳を疑う。

 まさか行きたい場所が修理屋さんだなんて、誰が予想出来るか。



 とてもじゃないが、華の女子高生の口から出てきた言葉だとは思えなかった。




「実はですね。前に莉音くんからいただいたオルゴールの音の調子が悪くなってきたので、一度見てもらおうかなと」

「あー、そういうこと」

「そういうことです」



 まあそんな場所に用もないのに行くはずがなく、流石の結愛でもオルゴールの状態を見てもらうという目的があった。




「……それは俺も行く必要あるの?」

「あります。私、修理屋さんとか行ったことないので、1人じゃ心細くて……。」



 俺も行く意味があるのかと自分の必要性を尋ねてみたが、そんな事を言われては断る術がない。


 


(…………行くしかないか)



 男の理性なんてチョロいもので、ちょっと頼りにされたらすぐに頷いてしまう。




「…………あ、でも折角なら新しいの買おうか?オルゴールとかは修理にも割と値が張りそうだし、新しいの買った方が良いんじゃないか?」



 俺は自分なりに気を遣ったつもりなのだが、結愛は顔をムッとさせた。

 


 確かに、今持っているものの調子が悪いから新しいものを買えば良いという考えは、倫理的に良くなかった。

 でもあげた物を大切にしてくれそうな結愛にだからこそ言ったのであって、その考えが頭に根付いているわけではないということは、誤解しないで欲しい。




「それは駄目です。これじゃないと駄目なんです。新しいのは要りません」



 やけに強めに否定する結愛からは、今のオルゴールに愛着が湧き、決して離さないという決意さえ見えた。



 一度気に入ったオモチャをずっと抱きしめている子供のように、その目には慈愛で溢れていた。




「そんなに気に入ってくれたんだな。俺からしたら嬉しい」



 プレゼントを送った側としては、結愛の反応はこれ以上にないくらいにベストな反応と言えるだろう。



 結愛にオルゴールをあげて良かったと、心から思えた。




「あのですね。もちろん気に入ったというのもありますけど、人から貰ったプレゼントをそう簡単に見捨てたくないです。オルゴールも私にとってはとても大切なので、ちゃんと直したいんです」



 ソファに座る結愛の距離が、普段よりも少し近づき、そこからも意志の強さが伝わってくる。




「それなら行くしかないな」

「行くしかありません」



 結愛がそこまで思ってくれたのだ。

そこに俺が断る理由なんてないし、むしろこっちから一緒に行って欲しいとお願いしたいくらいだ。


 

 オルゴールを送ってからの詳細は定かではなかったが、結愛が丁重に扱ってくれていたことが分かり、俺の口元は緩んだ。




「それにしても何で音が悪くなったんだろうな。どこかに落としたのか?」

「私が大切なものを落とすわけがないですよ」

「そうか。そうだよな」



 ふと音の調子が悪くなった理由が気になり、オルゴールを保管していた結愛に直接聞いてみる。

 


 今までの話を聞く限りは決して乱暴な扱いはしていないはずなので、単純にどこかの部品が外れたり緩んだりしたのかもしれない。

 オルゴールは精巧な作りになっているので、どこかに少しでも異常があれば、それは本来の性質とはかけ離れるだろう。




「あ、でも毎晩眠たくなるまで聞いているので、いくら大事に扱っているとはいえ、もしかしたら鳴らしすぎたかもしれないです」



 次の瞬間、俺の隣からは、女子高生らしからぬ可愛らしい発言が聞こえてくる。




「莉音くん………?」



 俺が戸惑った様子を見せていれば、結愛は困惑した顔を向けてくる。




「そうか。結愛は眠たくなるまで毎晩聞いてくれたのか。オルゴールは精密な作りだし、毎日聞いてればどっかは故障するかもな」



 オルゴールの音の調子が悪くなったのは、間違いなくそれが原因だろう。

 俺がオルゴールをあげてからすでに数ヶ月が経っているので、その間に毎晩聞いていたとすれば、そりゃ故障の一度や二度くらいはある。



 眠たくなるまで鳴らしていたという発言だけが、その艶やかな表情と声色と相まって、俺の頭からは中々抜け出てくれなかった。




「え、いや、、毎日というか…………たまにです」



 結愛も発言してから一気に恥ずかしさを感じたようで、耳が赤く染まっていた。




「本当は?」

「…………毎日、寝る前に鳴らしてました」



 ここで嘘をつけないのが結愛の性格で、俺が聞き直せば、顔を染めたまま頷きながら言う。




「だ、だって落ち着くんですもん!」

「俺は鳴らしたら駄目とか一言も言ってないぞ。むしろ毎日鳴らして貰えるなんて、プレゼントを送った側としては本望だろ」

「…………その割には顔が悪いです」

「ただオルゴールを鳴らして寝てる結愛が可愛いなと思っただけ」



 今の結愛の表情も含めた上で、俺は素直に可愛いと思った。

 普通に眠くなるまでオルゴールを鳴らす想像したら、その姿は鮮明に浮かぶ。



 清楚感の漂う天使のような儚さを持つ結愛のネグリジェ姿に、無防備なあどけなさのある寝顔。さらにな心落ち着くオルゴールの音。



 きっとその部屋が楽園だと勘違いするのに、そう時間は掛からないはずだ。




「それ、絶対子供扱いの可愛いですよね」

「うん。そうだな」



 まあ別の意味も含まれているが、それを口に出すと今度は俺が恥ずかしさを感じそうなので、胸にしまい込む。



 揶揄われたと勘違いした結愛は、縮みつつあった2人のソファでの距離を、より一層近づけて、痛くもない頭突きを俺の肩の辺りにしてきた。



 長い髪は揺れ、ほんのりと甘い匂いが流れるように鼻を掠める。



 一回だけ頭突きを行えば、結愛はソファの上にあるクッションをぎゅっと抱きしめた。




「ごめんごめん。冗談だから」

「莉音くん信じられないです。折角私が莉音くんから貰ったプレゼントを大切にしてたのに」

「本当に悪かったって」



 いじけたようにクッションに顔を埋めて、結愛は声を口籠らせる。




「…………バカ」



 クッションに埋めた顔を横に向け、目と目が合う。未だにいじけた表情は残っており、その瞳と口元を見るだけで伝わってくる。



 眉は下がり、頬はふっくらと膨らんでいて、ほんのりと赤みは残ったままだった。



 そしてそれは、澄んだ声と共に俺に発せられた。




「もう明日は朝ご飯作ってあげませんっ!」



 それだけ言い残せば、また顔をクッションに埋める。今日は一段と結愛がかわいらしく見えたというのは、そっと胸に押さえ込んだ。









【あとがき】


・個人的に、結愛ちゃんが莉音くんから貰ったオルゴールを毎晩鳴らしているという設定は、本作の中でも結構好きな設定です。



今話は急接近過ぎたかな。



今後も莉音くんと結愛ちゃんの応援お願いします!

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