第70話 許嫁と触り合いっこの前戯?

(…………本当にいいんだよな)



 胸の中でそう呟きながらも、目の前の光景を見る。俺は今も尚、本当に触れてしまって良いものかと疑っていた。



 だが、瞳を閉じて今か今かと待ち侘びている結愛を見れば、俺の手は前に伸びていた。




「ど、どうですか?」



 結愛の下りた髪にそっと触れ、指を通す。

 見ただけ人見を惹くその黒髪は、普段のケアからしっかりとされているようで、絹のように柔らかかった。



 結愛の髪は一本一本が細く、艶やかな髪質をしていて、それだけで結愛がどのくらい努力しているのか、その大変さが伝わってきた。




「柔らかくて触り心地が良くて、見て分かる通りの綺麗な髪だなって思った」

「…………ありがとうございます」



 そんな一朝一夕の努力ではなく、日々の積み重ねで綺麗さを保っているものを、俺は褒めるべきだと思った。



 努力を毎日続けるということほど難しいものはないし、努力しても褒められないのでは頑張る意味もなくなる。



 結愛の場合は周りの人に色々と噂されているので嫌でも自覚があるのかもしれないが、それでも直接伝えるべきだ。



 それで何かが変わるだなんて、そんな傲慢な考えは思ってもないが。




「毎日その長さをケアして維持するの大変だろ」

「はい」

「結愛は陰で努力してるんだな」

「…………はいっ」



 そんなあどけなさを全開にして顔に表している結愛の頭を、俺はそっと撫でた。結愛の緩んだ顔を見ていれば、不思議と撫でたいという感情が湧いてきた。



 結愛からすれば、俺が頭を撫でているのも髪を触るのが目的だと思っているのかもしない。だが、撫でてみたいという邪な考えが浮かんだのは、口には出さずに飲み込んだ。



 俺も健全な男子高校生なので、結愛の表情がある程度は胸に刺さることがある。少しくらいは結愛にもその事を自覚して欲しいのだが、どうも俺からは切り出しづらい。



 まあそれも頭を撫でられてゆるゆるになった結愛の顔を見たら、邪な考えなんてすぐに消える。




「悪いな。毎日苦労しているものを俺なんかが触ってしまって」

「…………莉音くんになら嫌じゃないって、さっきも言いました」

「そうだったな」



 俺が卑屈な発言をすれば、結愛は不満げな顔をする。それでも照れてはいるようで、頬はりんごのようにふっくらと赤くなっていた。




「あ、でも結愛の言ってた通り、ある程度は性格とか分かるかも」

「そうでしょう?」

「うん」



 変わらず下された髪に手を添えたまま、結愛と話す。




「…………本当は細くて、人よりもずっとか弱いのに、周りには綺麗にふるまっているとことか、凄く似てる」



 結愛の言う通り、髪に触れていれば確かにその人の人間性を感じた。その場の雰囲気にもよるのかもしれないが、表には見せない各々の本質が、隠れることなく出ていた。



 そして結愛の場合はそれが凄く似ていた。陰で一生懸命に努力しているのを表に見せず、周りは何も知らずに駆け寄ってくる。



 そんな報われない、本当の良さや魅力を持て余しているような結愛に、凄く似ていた。




「それは莉音くんだって同じですよ?」

「俺は細くもか弱くもないから」

「私も細くもか弱くもないです」



 2人で目を合わせて似たような事を言い合えば、温かい空気が一気に和んだ。やっぱりこの関係のこの距離感が落ち着いたし、居心地も良かった。




「あの…………ところで莉音くん。いつまで触ってるんですか?」



 2人で最後に言葉を交わしてから数秒の間が生まれ、その間に結愛とずれる事なく瞳が合う。

 気がつけば俺はずっと結愛の髪に手を添えていて、無意識のうちに堪能していた。




「あ、悪い……。つい触り心地が良かったから」



 反射的に手を引き、すぐさま謝罪を行う。

 俺が今言った言葉なんて、ただの言い訳でしかない。決して嘘ではないが、正当性の欠片もない。




「自分ばっかり触って、私のことは無視ですか?」

「本当にごめん」



 結愛の目は鋭くなり、一気に罪悪感が押し寄せてくる。今の俺には謝る以外の選択肢はなく、ひたすらに謝罪の語を述べた。



 次に俺が頭を下げて謝罪を行い、恐る恐る顔を上げたときには、鋭かった眼光は跡形もなく消え去っていた。



 顔には丸く緩んだ瞳があり、その瞳の照準を俺へと合わせた。




「…………私にも、莉音くんの髪触らせてくださいよ、、」


 

 自分でも恥ずかしそうに目線を逸らす結愛が、言うまでもなく俺の目には魅力的に映る。結愛の長い髪は、結愛が小さく動くだけでゆったりと揺れた。




「…………え?」

「どうかしましたか?」



 可憐な姿に思考力を奪われる反面、頭は混乱状態に陥る。

 



「…………結愛、怒ってないのか?」

「何か怒るようなことありました?」

「いや、俺がずっと結愛の髪を触り続けてしまったこととか」



 結愛からのお咎めは一向にないので、俺は自分のやってしまった事を自白する。罪の重さを感じて居ても立っても居られないというよりも、純粋に何故お叱りがないのか気になった。




「それは別に気にしてないというか、、、自分以外の人に触られるの、案外嫌じゃないというか……」



 結愛は自分で言葉を一個一個丁寧に述べながら、同時に頬の染まり具合もどんどん高まっていく。自分の言っていることの重大さに気付いたら、瞳を大きく開きて、顔の赤みをより濃いものにした。

 


 それを見ながらさっきのことを振り返れば、結愛は髪を触れられる間はずっとゆるゆるに無警戒な顔の緩みをしていたのを思い出す。



 俺が男であることを忘れているのかと疑いたくなるくらいには、結愛からの警戒心は0に等しかった。




「だっ、だからと言って、誰でもいいわけじゃないですよ!?ただ莉音くんは、いつも優しくしてくれるから安心してるだけで……」



 結愛はあたふたと分かりやすく動揺し、俺もその言葉を聞いて口元が緩む。




「安心してくれてるのか」

「もう数ヶ月同棲しても何も起きないんですから、安心してますし安全だと思ってますよ。それ以前に莉音くんは優しい人だと知っているので」

「そりゃ何も起きないように気を付けてるしな。まあ安心してくれているなら良かった」



 結愛が俺に対して安心安全という太鼓判を押しているのは、一緒に生活していれば割と分かってくる。

 引っ越し当初と比べれば一目瞭然なので、一々比較する必要もない。




「…………でも、そこが莉音くんの良い所でもあり、駄目な所でもあるんですよね」



 ふと真剣な真顔でそう言う結愛に、俺は振り返って聞き返す。




「駄目な所?」

「いえ!その、、駄目というか、困っているというか……」

「何だそれ」

「い、今はそんなことどうでもいいんですよ!」



 ソファの隣に座った結愛は、ぷいっ!とそっぽを向いて、自分の膝から腿の辺りをぎゅっと強く握った。



 背けた顔はすぐに正面に戻り、耳まで赤みを帯びていた。




「…………その、触るのやめないでください」

「…………分かった」



 結愛は俺の袖を掴んで、少し潤んだ瞳を浮かべる。そんなのを向けられては、頭の中には承諾以外の言葉が見当たらなかった。




「一応言っておきますけど、今だけですからね?」

「今度は結愛からちゃんと許可貰ってるから、心置きなく触っていいんだよな?」

「そうですね。そう約束しましたし」



 ふと年明けの朝に話した事を思い出し、その時に約束したことも頭に浮かび上がってくる。

 その約束のことも踏まえて、俺はまた結愛の髪に手を伸ばした。

 




「…………出来ればその、、、私も、もう一度莉音くん髪触っていいですか?……」



 なんて上目遣いで見られては断る術もなく、俺も仕方なく頭を差し出すのだった。










【あとがき】


・正直この投稿話で触り合いまで書こうか迷いましたが、途中で辞めました。僕、焦らすの好きなので。


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@yutoo_1231


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