第89話 許嫁とゴム

「許嫁らしいことって何だよ」



 結愛は俺の体の上に乗り、頬を上気させていつもとは違う雰囲気で俺の顔を覗く。




「それは莉音くん自身が当ててみてください」



 今の状況、体の位置や距離からは、ついよからぬ発想が頭にはよぎる。

 少し手を伸ばせば結愛の体全てを抱きしめられるので、今は目を逸らすので精一杯だ。




「莉音くん、私こういうのは初めてなので上手く出来るか分からないですけど、莉音くんが気持ちよくなれるように頑張ります」

「まじで何するんだよ!!」

「わざわざ寝転んですることなんて、もう限られてるでしょう?そんなの私に言わせないでくださいよ……」



 結愛は恥ずかしそうに目線を下げ、変わらず俺の体の上に乗ったまま言葉を発する。

 瞼を下ろし、数回瞬きを行えば、細い指が俺の腕へとそっと優しく触れた。



 俺の体が熱いのか、結愛の指が冷たいのか、触れられた指先はひんやりとしていて、それが逆に体全体に刺激を走らせた。




「結愛、俺こういうことは……」

「莉音くんは黙って身を任せていれば良いんです。私のお願いには出来ることなら何でも応えると言ってましたよね?」

「確かに言いはしたけど、それは言葉の綾というか、、、」



 俺の言葉に聞く耳すら持たず、結愛は続けて俺の腕を触れる。男の体にでも興味があるのか、何度も何度も指先に力を入れて、揉むように触れていた。

 


 しばらく腕に触れていたかと思えば、次は胸の辺りに手の平を置き、そしてまた指先に力を入れる。

 



「最初はこんな感じでどうですか?」

「俺に聞かれても、経験ないし」

「経験ないんですか。でも動画ではこんな感じでしてたんですよね」



 変わらず俺の体に触れ続ける結愛は、首を傾げながら動かしていた手の動きを止める。

 垂れた髪を耳にかける仕草を下から見るのは色香を感じたが、今の俺の頭にはある疑問だけが浮かんでいた。




「結愛も、そういう動画見るのか?」

「当たり前ですよ。今日のためにずっと見てました。1人で練習とかもして、準備は完璧です」

「れ、練習って……」



 俺が気になって質問をすれば、結愛はやけに恥ずかしげもなくそのことを告白する。

 至近距離で言われれば生々しさがあるが、結愛も年頃の女子なのでそういうのに興味がないわけでもないだろう。




「こういうの、恥ずかしいから言いたくなかったんですけど……」

「それはごめん。俺も変な事言わせた」

「莉音くんのためですし、仕方ないです」



 普段は少ししたことで頬を赤らめる結愛だが、今は特に表情が変化する様子はなかった。



 元からすでに染まっているというのもあるが、今の発言に対する結愛の意図を、俺が正しく読み取れているのなら、結愛は血管が裂けそうなほどに頬を赤くしそうなものだが。



 妙な食い違いがある気もするが、目の前の行動を見る限りでは何とも言えない。




「で、本当に何をしてるんだ?」



 結局、結愛の行動はどんどん俺の思考を鈍らせていった。

 最初は上半身に触れていたのだが、いつの間にか結愛の手は足の方へと進んでいった。



 俺の体の上に乗せていた体もベットから降り、全身を使ってふくらはぎ周辺を揉んでくれる。

 上半身の時からすでに思っていたことだが、体が癒されるような心地良さを感じた。




「まあもう始めちゃったので、言っても良さそうですね」



 ぴょんと顔を上げて俺の顔を視界に映した結愛は、ちょこんとベットの上に座る。

 俺も1人いつまでも体を横たわらせているわけにもいかず、体を起こして結愛の隣に座った。




「その、どうでした?私のマッサージ」

「…………は?」

「ですから、マッサージ気持ち良かったですか?」

「ちょっと待ってくれ、脳が追いついてない」

「そうですか、では追いつくまで待ちます」



 今になって頬を染める結愛に、俺の脳はさっきまでの全ての記憶を頭の中に蘇らせ、状況理解に力を注ぐ。



 数秒そうして結愛の言動や行動を思い出せば、結愛のマッサージという発言に全ての筋が通った。




「えっと……結愛は俺にマッサージをしてくれたのか?」

「はい。莉音くんいつも筋トレとかしてて、体に疲労が溜まってそうだったから、少しでも力になりたいなと。ここの近くそういうお店ないですし」

「なるほど、そういうことだったのか。どうりでおかしいなと思った」



 相変わらず純粋でピュアな心遣いに、己の濁った感情が嫌になってくる。

 じっと冷静になり、落ち着いて考えれば結愛の意図くらい素直に読めるはずだ。



 それを俺は勘違いしてしまい、結愛の純情を傷つけてしまった。だが一切手を出していないというのだけは、せめてもの救いだろう。


 


「莉音くんは何と勘違いしてたんですか?」

「言わないと駄目か?個人的にはあまり言いたくないんだけど」

「言わないと駄目です」



 そんな誤解を人に話すなど、俺からしたら地獄でしかないが、善意で恩をくれた人に、それを説明しないわけにもいかない。



 本人にだから話したくないが、本人だからこそ言わなければならない。




「結愛がベットの上ですることは限られてるなんて言うから、俺はてっきりそういうことなのかと……」

「そういうこと?」



 俺の言葉を耳に通した結愛は、ぽつんと純朴な眼差しで俺を見つめる。




(そんな目で見ないでくれ)



 そんなキラキラと眩しい瞳を見せられては、自分の心の弱さが陰になって見える。

 まあその瞳の輝きも、次の瞬間に大きく変わるのだが。




「な、何言ってるんですか!莉音くんのえっち!変態!!」

「それは全面的に認めるけど、結愛の言動にも問題あるだろ!」

「そ、それは…………確かになくはないかもしれないですけど」



 数秒後、俺の発言の意図を読み取った結愛は、声を荒げて動揺を見せる。これに関しては俺が悪いので罪は認めるが、結愛ももっと適した言葉があっただろうとは思う。



 さっきまでの純粋な瞳は、俺をじっと鋭く見つめる眼差しへと変わった。

 



「なら初めに聞いてくださいよ!」

「聞いたら当ててくださいって言われたんだが?」

「うっ……」



 続けてやり取りを行うが、鋭い視線を送られてはいるものの、軽蔑されたような様子はなく、ムッと頬を小さく膨らませたぐらいで、お叱りの1つもなかった。



 そこにどんな考えを寄せているのかは、結愛の表情からは何も読めない。




「でも莉音くん、今日は拒絶しないんですね」

「拒絶って言い方……。俺だって女子に恥をかかせるのはどうかなと思っただけ。結愛は1人で練習したとか言ってたから、それで断るのはどうなのかなって」



 あのままマッサージが続けば、俺はどうしていたか分からない。結愛もそのはずで、それが気になって今のような質問をしたのだろう。



 俺が結愛の行動を拒まなかったのは、他でもない結愛がこの時のために練習をしたからと言っていたからだ。

 それで拒んでしまっては、結愛は女子としても自信を失うかもしれないし、そもそも努力を無駄にしてしまう。



 今はマッサージの練習だと分かったが、あの時は違っていた。だから拒めなかった。

 それでも最終的には結局止めそうな気がするのは、俺が男としてまだ未熟だという自覚があるからだろう。




「ちっ、違う!してない!私はただ……」

「分かってる。1人でしたのはマッサージの練習だろ?そこは俺の誤解だから」

「誤解が解けてるならいいんです」



 あらぬ誤解をかけられたと思った結愛は一瞬落ち着きをなくすが、俺が勘違いだと話せば表情に余裕が出来る。




「…………俺、戻った方がいいか?結愛もうマッサージどころじゃなさそうだし、、」

「そんなことはないです……」



 隣を見れば、すでに心身ともに疲れ切った結愛がそこにいた。

 それもそのはずで、朝早くから俺に朝食を作り、そして今日のために色々準備をしたりしてくれていたので、疲れは相当溜まっているはずだ。



 結愛が俺の誕生日を知ってから今日まではそう日が経っていないので、プレゼントやマッサージへの知識をつけるのにも、かなり力を入れてくれたのだろう。



 そんな結愛が疲れ果てているというのに、俺は浮かれていて、今になってその事に気がつく。

 つくづく周りを、結愛のことを見てあげられていない。



 プレゼントなんて、何気ない平凡な毎日を過ごせるということだけでいいのに。




「別に無理しなくていいんだぞ。俺はその気持ちだけで嬉しいから」

「ほ、本当ですか?嬉しかったですか?」

「おう。嬉しい嬉しい」

「よ、良かった、、。」



 俺は隣に小さく座る結愛の頭に、そっと手を添えた。柔らかい髪が手に感触を伝え、落ち着かせるようにゆっくりと撫でる。



 それを何回か繰り返していれば、結愛は目を細め、にこやかで幸せそうな顔を浮かべる。




「今日はもう寝とくか。また明日も美味しい朝食を作ってくれ」

「はい。とびきり美味しいのを作りますね」



 俺はこの、幸せそうに緩んだ結愛の顔を見るのが今日1番のプレゼントだと思った。その笑顔が最も胸に残ったし、心も体も落ち着かせた。




「また楽しみが増えた。じゃあ、俺はもうプレゼント持って部屋戻るからな。おやすみ」

「おやすみなさい」



 結愛はここらで寝かせておいた方が良い。本人はまだ眠くないかもしれないが、俺がそうしたかった。



 そんなこんなで色々あった結愛のベットから立ち上がろうと体を起こし、ベットについていた両手も離す。




「何だこれ……」

「いや、あの、、、それは、」



 マッサージをしたことでベットの上には少しだけだが振動が流れていたようで、枕の下からは何かが出てきていた。



 ラテックス製の何かが包まれた、見覚えのあるパッケージが。

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