第44話 許嫁と朝ご飯
「莉音くんおはようございます」
「…………おはよう」
初詣からほんの数日が経ち、俺は朝起きてからこれまで通りの時間にリビングへと向かった。冬休みも早いもので、もう終わりが近づいている。
俺と結愛はあらかじめ計画を立てて宿題を終わらせていたので、残り数日は何に追われるわけでもなくゆっくりと過ごしていた。
修馬に関係性がバレても結愛の対応が変わることもなく、何の変哲もない平穏な毎日だった。
「結愛がこの時間にいるの珍しいな」
「今日はちょっと遅めに起きてみました」
リビングに行けばいつもは姿のない結愛がいて、キッチンに立って朝食の用意をしていた。
大体昼頃になったら結愛もリビングに来てのんびりと過ごしていたが、朝からの遭遇は久しかった。
「まだ準備に時間かかりそうだな。俺は一旦部屋に戻るから、空いたら教えてくれ」
初詣の日は共に朝食を食べたが、その前もそこからも毎日一緒に食べる習慣が出来たわけではない。
なので、各自で用意するという、入居したての時に立てたルールに従っていた。
この日もそのルールに従おうと、先にキッチンを譲った。
「莉音くん、部屋には戻らなくていいですよ」
「え?」
「そのままの意味です。椅子に座って待機していてください」
エプロンを見に纏った結愛が、キッチンから聞き返したくなる声を上げる。
その顔には、どこか結愛らしからぬ雰囲気を感じた。
「よく分からんけど、座ってればいいんだな?」
「はい。座っててください」
断る理由もないので、言われた通りにダイニングチェアに腰を下ろす。そこに座ってみれば、何故結愛が俺にここで待っておけと言ったのか、すぐに理解した。
台所からは味噌汁の良い香りが漂っていて、それが湯気と共に流れている。
俺の予想が正しければ、結愛は朝食を作ってくれている。どんな気まぐれかは分からないが、作った味噌汁を2つのお椀に入れている時点で、確定と言えるだろう。
「これどうぞ。莉音くんの分です」
「おーまじか。ありがと、めっちゃ美味そう」
「そう言ってくださると作って良かったと思えます」
味噌汁の他に、目玉焼きとソーセージ、トマトや緑の野菜という、理想の朝食が俺の目の前には盛り付けて置かれていた。
そこに先程見えた味噌汁が用意され、それなりに見栄えの良い仕上がりの朝食が広がる。
「…………なんで急に作ってくれたんだ?」
作ってくれたのは嬉しいが、俺としてはその理由が気になった。
「この前、莉音くんのお友達が来た時に、そういえば私は許嫁だったというのを思い出したので、たまにはそれっぽいことをしてみようかなと」
「なるほど。それでか」
「そういうことです」
結愛とは友達という関係でしばらく過ごしていたので、つい先日まで本来の関係性は許嫁だということを忘れていた。いや、忘れたように接していた。
実際に友達でもあるのだが、将来的には結婚をしないといけない。許嫁というのを意識するのは難しい。
許嫁という単語を口にした結愛は、椅子に座り次第にほんのりと赤みを帯びていた。
「…………許嫁っぽかったですか?」
「許嫁らしいかと聞かれても何と答えていいか分からないけど、でも明日も食べたいとは思った」
「それは食べてから言うべきですよ。もし不味かったらどうするんですか」
「その時はその時だ」
許嫁として作ってくれたという結愛の気まぐれに感謝しながらも、用意された箸に手を取った。
「それにしても結愛、マジで料理の腕上がってると思うんだが」
「素直に褒められると照れくさいです……」
「いつの間にここまで上達したんだ」
俺が目の前で褒めると、結愛は分かりやすく喜びの表情を浮かべる。
「…………女の子は陰で努力するのです」
結愛は顔を下に向け、顔に赤みを残したまま言葉を発する。
未だに解いていない、後ろに出来た一つ結びがぴょんぴょんと揺れた。
「そうなのか。でもそれを言ったら格好つかないな」
「莉音くんの前で格好つける必要ないですし」
「それなら遠慮なく気を抜いてくれ」
「もう抜いてます」
女の子が陰で努力するのを、俺は黙ってみているだけで良いのだろうか。結愛は朝から頬をゆるめていて、俺に対してあまり気を遣っていないのは見ていて分かる。
気を抜いてゆったりとしてくれるのは俺としても楽なので全然構わないが、それだと結愛の頑張り損ではないか。誰かその努力を認めてくれる人がいないと、結愛はただ頑張るだけで終わってしまう。
意味のある努力にしてあげるには、友達として、許嫁として、どう行動するべきなのか。
「…………それ、美味しいですか?」
今は結愛に聞かれたことだけを意識して、出来上がった料理を箸で掴み、それを口に運ぶ。ソーセージは塩コショウでの味加減もほどよく、焼き過ぎているわけでもない。
目玉焼きは半熟ではないが、それでもこの間までの結愛からは大きく成長したといえる。ソーセージ、野菜、目玉焼きをそれぞれ食べていれば、白米はあっという間に底をついた。
「美味しい。前は味付けに微妙な所とか食材の大きさとか、不恰好なのがあったけど、これは本当に美味しい」
「やっぱり前のはお世辞だったんですか」
「美味しいのに変わりはない。ただ成長したなって伝えただけ」
「なら良いです」
頑張った結愛からすれば、美味しいと言われるのは何よりも嬉しいらしい。満足げな面をして俺の話を聞き、一瞬だけ儚い笑みが浮かぶ。
「それにしても、莉音くんは本当に美味しそうに食べますね」
「まあ普通に美味いしな」
結愛は箸を止めて、食べることに集中している俺の事を眺める。
「今なら、莉音くんの料理するの嫌いじゃないって言葉の意味が分かる気がします」
「そうか」
俺もずっと1人で食べていたので、誰かに美味しいと言ってもらえるのが凄く嬉しかった。だから結愛に夕食を作ったし、嫌な気も全くしなかった。
今の結愛も同じ状態なのだろう。短期間とはいえ、俺に隠れて練習している時は、少なからず1人で食べていたはずだ。
今日のように人に食べてもらう時は、美味しいの一言で心が満たされるように嬉しい。
その気持ちは共感出来た。
「どんどん食べて欲しいって気持ちです」
「自分の料理を美味しそうに食べてくれるのは嬉しいよな」
「はい、嬉しいです」
パァと明るく浮かべた笑みを俺に向け、朝から威力のある攻撃をくらう。結愛は感情表現が前よりも豊かになってきていて、良くも悪くも心臓に悪かった。
「…………あの莉音くん、私最近料理の練習してるので、明日も今日の時間に来れば何か余ってるかもしれませんよ?」
目線を泳がせ、変わらず箸を止めたまま俺にそう言う。今のこの発言は、明日も朝食を一緒に食べようというお誘いとして捉えても良いのだろうか。
まあその意図は定かではないにしろ、結愛からの手料理が食べれることに間違いはなさそうだ。
(行くしかないよな……)
俺はあくまでも結愛に努力をする意味を与えたいだけだ。一緒に食べる人がいないと、養親の元にいた時の俺のように、1人悲しい食事を行ってしまうことになる。
そんな思いは、結愛にはしてほしくない。
「それなら行くしかないな。結愛だって、練習相手が多い方が作りがいもあるだろうし」
「良かったです。今日は朝早くから莉音くんを待った甲斐がありました」
俺が明日の朝も行くという姿勢を見せれば、結愛はホッと胸を撫で下ろしていた。
「…………え?」
「どうかしましたか?」
ホッと安心した結愛は、気が緩んだのか、少し口を滑らせてはいないか。結愛の今の発言が、俺の中では何かが引っかかった。
「結愛って、今日は
「はい」
まずは状況の整理を行い、きちんとした情報を頭の中に入れる。でもまあ、それだけ聞けば、俺の中に浮かんだ違和感の原因はすぐに分かった。
「けど本当は朝から待ってたのか?」
「…………黙秘します」
「でもさっき朝早くから待ったって言ってたよな」
「…………気のせいです」
結愛もハッと青ざめたように驚愕の顔を浮かべ、一回り縮こまった。
「…………もしかして、今日も一緒に食べたかったのか?」
「え、、そ、それは違うというか違うくないというか…その………」
俺がそんな風に思ってしまうのも仕方ないことだろう。だってわざわざ待っていてくれたということは、それ以外に可能性を考えられない。
結愛は分かりやすく動揺を見せているし、視線の動きも慌ただしい。
「…………はい」
眉を下げ、瞳を瞑って真っ赤に染まった幼さのある顔で、コクリと頷いた。
(可愛い……)
もう俺の中にはそれ以外の言葉が浮かばなかった。つい口元が緩んで結愛を見つめてしまうくらいには、女子との接点がない俺には刺激が強かった。
「も、もういいです……!意地悪な人には作ってあげませんっ!」
「ごめんごめん。悪かったよ」
「もう知りません」
頷き終えて、恐る恐るゆっくりと瞳を仕草ですら、結愛が行えば魅力的に映る。そんなのを見せられては、当然あたふたとなるだろう。
それを結愛は揶揄われたと勘違いしているが、今はその勘違いが助かった。
「…………明日も、もし来るなら今日と同じくらいの時間で良いですので」
「そうさせてもらいます……」
お互いに少し間を置き冷静さを取り戻せば、引き続き朝食を食べ始めながらそんな約束をする。
この後の朝食は、何故か静かに時間が流れていった。
【あとがき】
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