第63話 許嫁の天使のような笑み

「ようやく目を覚ましたね」



 そこからどのくらいの時間寝ていたのか。体からはすっかりと眠気が消えていて、今度は慣れない姿勢で寝たことで体にダルみが残っていた。




「…………結愛、ありがと」

「いえ、これくらい全然平気です。まあ少しだけ足が痛いですが」



 下から見ても崩れることのない結愛の顔は、流石美少女と言わざるを得ない。

 上を見上げたら、小柄ながらにもしっかりと実った双丘が目に入るので、それを視界の外に追いやるためにも、体を起こした。



 

「悪い。すぐ動くわ」

「あ、別に嫌とかじゃないですから、もう少しゆっくりしてもいいんですよ?」

「もう目覚めたし、どのみち起きるつもりだった」

「んぅ、余計なこと言わなければよかった……」



 いくら何でも、起きているのに腿の上を堪能するわけにはいかない。そもそも膝枕をされたのも一瞬の気の緩みなので、そんなに長い時間してもらうつもりはなかった。



 呼吸を整えながらも起こした体でソファに座り直せば、結愛は目を輝かせてこちらを見てきた。




「結愛?どうかしたか?」

「…………一応は女の人の腿に眠ったのですよ?感想の一つや二つくらいあっても……」



 ああ。そうか。俺は結愛の言っていることを、すぐに理解した。

 言われてみれば、俺は結愛に感謝しか述べていない。



 それしか言う必要もないと思ったし、腿に頭を乗せた感想わ本人に伝えるなんて、そんな事を自らするわけがない。



 でも女子の立場としては、どうだったのか心配になるのだろう。付き合ってもいない男子にしたのだから、尚更だ。




「言わないと駄目か?」

「無理に言わせるつもりはないですが、言ってくれるのならお願いしたいです」



 結愛は頭を上下に揺らしながら言葉を発し、俺の瞳と目を合わせる。

 



「すぐ寝たからあんまり記憶にはないけど、柔らかくて気持ち良かった。それに色々と楽だった」



 果たしてこれで良いのだろうか。

 気持ちよくてすぐさま眠ってしまったので、膝枕に対しての感想という感想がない。



 記憶に新しいのは起きた直後の結愛の姿くらいで、その他には眠りやすかったとしか言う事がなかった。



 もう少し堪能すれば良かったと、今になって後悔する。




「それなら良かったです」

「そっか」



 結愛としては俺に不満がなかったと知れてよかったのか、それだけ聞いたら満足そうな顔をして、机の上に置いてあった雑誌を読み始めた。



 朝見た時はまだ全然目を通してしなそうだったその雑誌も、今ではもう読み終えそうだった。




「…………なぁ、結愛は気にならないのか?俺が結愛に何を隠しているのか……」



 しばらくすれば、リビングにはいつものような空気感が訪れ、精神的にも楽でいられる。

 やはりこの空間は落ち着くし、気を緩められた。



 そんな中、俺の中にはその疑問だけが、へばりついて離れなかった。

 まだ結愛に本当の両親のことを話していないにしろ、俺の過去に勘付いているのだ。



 そんな結愛が俺に何も聞いてこないのか、それだけが心臓の鼓動を早めるほどに、不安になった。




「気にならないと言えば嘘になりますけど、聞こうとは思いません」

「なんで……」

「だって、莉音くんが私にそうしてくれたんですよ?」



 結愛の澄んだ声が耳を通り、数ヶ月前の記憶が頭に浮かぶ。



 結愛がまだ悲しげなオーラを纏っている時、ここに引っ越してきて間もない頃に、立場は逆だが、結愛と今と同じような話をした。



 そして俺は公園で泣いていた結愛に、俺は何も聞かないという選択を取った。ただご飯だけを作って、俺からは何も余計な詮索しないことに。



 結愛はそのことを、今でも覚えていたようだった。




「なので私は待ちますよ。それに、そうするべきだと思うので」



 結愛もあの時の俺と同じ立場になって分かるのだろう。

 自分のするべき行動が。言うべき言葉が。




「俺がそうしたからと言って、結愛が同じ事をする必要はないだろ」

「確かにそうですね」



 結愛は一度大きく息を吸って、吐く。

 今の俺が何を言っても無駄だというのは、優しさに満ち溢れた結愛の瞳を見れば明らかだった。




「でも、私がその気遣いを莉音くんから受けて、どれほど嬉しかったことか、どれほど助けになったことか……莉音くんに分かりますか?」

「…………分からない」

「そうだと思います。だから今度は私の番です。莉音くんのことを、私がゆっくりと見守ってあげます。…………莉音くんは、私のことを見ていてくれるそうですし」



 結愛の温かさに溢れた言葉で包み込まれ、体全体の力がどっと抜けた気がした。

 俺の胸には、結愛の優しさが入ってくるかのように温かさを感じる。




(…………敵わないな)



 素直にそう思った。結愛には幸せになって欲しいと思っていたが、俺なんかが敵うわけがない。

 溢れそうなほどに慈愛に満ちた目をしている少女に。




「…………ありがと」

「お礼は要りませんよ。私達は許嫁で友達で、家族みたいなものなのでしょう?」

「……そうだったな」



 今日、結愛にお礼を言うのは何度目だろうか。そしてこの後も、俺はまた感謝を述べることになりそうだ。




「いつでも力になりますし、頼ってください!」



 結愛の柔らかい言葉が、体を通して心に伝わる。




「…………俺の本当の両親は、事故で死んだんだ」



 つい気を緩めて、無断で自分の過去を話してしまうくらいには、結愛の笑顔は天使のように、柔らかさと温かさでいっぱいだった。








【あとがき】


・結愛ちゃん、ええ子になったな……。



※付き合ってないです。

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