第93話 許嫁と新学期

「おはようございます」

「おはよう」



 短いようで長かった春休みも終わり、いよいよ新しい春がやってきた。

 だからといって特に変わったこともなく、この日もいつものように結愛と挨拶を交わす。




「いよいよ新学年が始まりますね」

「もう2年生だな。いまいち実感はないけど」

「実感は私もないですよ」



 慣れた足取りでダイニングテーブルまで向かい、用意された朝食を見ながらも椅子に座る。

 結愛は早くから起きたのか、すでに制服に着替えており、髪も綺麗に整えられていた。




「ほら、莉音くん手が止まってますよ。春休みの生活に慣れて起きるの少し遅かったんですから、早く食べてください」

「…………結愛も母さんみが増してきたな」

「新学年の始まりというものは早く行くものでしょう?遅く行くのは私が許しません」

「まあそうだな」



 結愛と話して箸の進みが遅くなれば、結愛からは指摘が入る。

 だが、その表情からはどこか明るさが漏れ出ていて、真っ直ぐ下ろされた艶のある髪が、左右に揺れていた。




「私、こう見えても楽しみだったんですよ。こうして誰かと進級出来ることが。同じクラスになりたい人が出来たのなんて、初めてのことなので」

「…………俺もその感覚は久しぶりかもな」



 もはや隠すことなく、結愛は待ち遠しさを顔全面に出して俺の目を見た。

 純粋な子供の様に澄んだ綺麗な目をしており、クラス替えという行事への緊張感や高揚感がひしひしと伝わった。



 それもあってか、いつもは俺の後に食べ終わる結愛だが、この日は先に食べ終えて、平らになった皿の上に箸を置いた。




「今までは周りの人がクラス替えで騒いでいたのを1人で見ていただけでしたから、今日は一緒にいられる人がいて嬉しいです」



 朝から心が浄化されそうなほどに清らかな笑みを向けられ、俺も結愛を追うように作ってもらった朝ご飯を喉にかきこむ。




「それなら早く行かないとだな。結愛が楽しみなら叶えてやらないと」

「ふふふ。今日の莉音くん素敵ですよ」

「今日だけで悪かったな」

「あ、今日も、でした」



 俺も朝食をすぐに食べ終わり、使った食器を洗うのだが、すでに準備を終えていた結愛はリビングからキッチンを何度も往復し、落ち着きのない様子をチラチラと見せている。



 それを見ながらも俺も急いで準備を終わらせ、先に学校に行くことになっている結愛が登校したのを確認してから、家の戸締りを行うのだった。

 2人が一緒に登校するのは、もう少し先のことなのかもしれない。







「結愛ちゃんおはようー」

「おはようございます」



 他の生徒にバレないように、いつものように時間をずらして登校をすれば、近くからは結愛と花森さんの声が聞こえてきた。

 直視しすぎないように目を向けてみれば、花森さんに対して表情を思いっきり緩めた結愛がそこにいた。



 それだけで周囲からの視線はいつも以上に集まるのだから、今は冗談でも一緒に登校するだなんて出来そうにない。



 結愛と同じクラスになりたいと思っている人が多くいるのは、向けられた視線の数を見れば明らかだった。



 それでも結愛が一緒になりたいと思っているのは俺と修馬や花森さんだけなので、謎の優越感に浸りながらも歩き進めた。




「まさか莉音がそんな顔で学校に来る日が訪れるとは、、、」



 俺は修馬と一緒にクラス発表を見る約束をしたので修馬の元まで向かうが、中学からの付き合いである修馬から見て、今日はこれまでと表情が違ったようだった。



 今朝の結愛の発言もあったからだろう。俺自身、ほんの少しだけ、学校に行くのが楽しいと感じていた。

 



「…………別に前までと変わらないだろ」

「馬鹿言え。前までは学校になんて何の興味なさそうな無愛想な面だっただろ」

「愛想悪くてすみませんね」

「ま、今は違うけどな」



 修馬は俺の心の底を見透かすようにヘラヘラと楽しそうに笑い、俺の肩をバンバン叩いてくる。

 ただ叩かれるだけなのも癪なので仕返しをしつつも、少しずつ音量の上がっていく周囲の声に耳を傾けた。




「もうクラス発表あるらしいよ!早く見に行こう!」

「美鈴さんテンション高いですよ」

「だって結愛ちゃんと同じクラスになりたいし!」

「それは私もですけど」



 俺の耳に特殊なフィルターでも付いているのだろうか。

 今この付近には他の生徒もたくさんいたが、結愛の声だけが、透き通って聞こえてきた。




「もうクラス替えの紙が張り出されたらしいぞ」

「らしいな」

「俺らも行くか」

「だな」



 うちの学校のクラス替えは、その日の登校時間にちょっとした広間に張り出されることになっており、それを見るために大勢の生徒がそこへと向かう。



 当然俺と修馬もそこに行こうとするのだが、すでに張り出された紙の周辺には多くの人だかりが出来ており、思ったようには前に進めない。



 その波に飲まれながらも、何とか張り出された紙が見える距離に来た時には、すぐ隣に花森さんと結愛がいた。




「やったー!!結愛ちゃんと同じクラスだー!!!」

「本当です!一緒です!」



 横からはそんな会話が聞こえてきて、まず結愛が喜んでいるようだったのでホッと安心する。

 俺はまだ自分のクラスを確認できていないが、花森さんと一緒ならまあ安心出来る。




「莉音、俺らまた同じクラスじゃん」

「だな。まあ修馬がいるから安心した」

「そこは素直なのか」

「嘘をつく必要もないしな」



 自分のクラスを確認すれば、同じクラスの男子の中に修馬の名前を見つけ、こっちもとりあえず一安心する。

 ずっと側にいてくれた修馬と同じクラスというのは、素直に嬉しかった。




(結愛は……)



 次に問題なのは、4人が同じクラスになれたかどうかだろう。

 俺は目をよく凝らして白咲結愛の名前を探す。そしてそれはすぐに見つかった。




「一緒だ」

「一緒です」



 ほぼ同時に結愛と声を出し、そして目が合った。俺と同じクラスの女子の欄に、結愛の名前がしっかりと載っていた。



 どちらも嬉しさからか、手を上げてハイタッチでもしそうにはなったが、手が完璧に上がることはなかった。




「どうした?今にもハイタッチしそうな流れだったのに」

「いや周りの目があるし、こんな所で面倒な噂が立つのは嫌だ。何より結愛に迷惑が掛かる」

「お前なぁ…………まあ仕方ない所もあるけどよ」



 きっと他の生徒がいなければ、思いっきりハイタッチでもして、喜びの言葉を交わし合っただろう。

そもそも周囲の目なんてなければ、学校で結愛との距離も変える必要はない。



 俺に結愛は許嫁だと言い張る胆力や度胸があれば良いのだが、まだそんなに胸を張れるほど自分に自信はなかった。

 前よりは自信がついてきたのだが、胸を張って隣に立つには、もう少し時間がかかりそうだった。




「…………ならもう教室行くか?」

「そうだな」

「ったく、1番面倒なのはお前だよ」



 修馬の言う通り、1番面倒なのは周りの生徒ではなく俺自身だろう。

 それは自分自身が1番良く分かっていた。




「…………あの、莉音くん」



 クラス発表も終わり、いち早く教室に行こうと靴箱で靴を履き替えていれば、後方からそんな声が聞こえてくる。




「なっ、人来たらどうするんだよ」

「今はそんなことどうでもいいんです」



 耳に真っ直ぐ入ってくる声の持ち主なんて結愛しかおらず、靴を履き替えた俺の動きを止めた。

 多分だが、他の生徒はクラス発表で盛り上がっているので、もうしばらくは靴箱に人が来ることはないだろう。



 そう思ったので、結愛にだけ目を向けた。




「霧中くん、私達は先行っとこうか」

「そうしよそうしよ」



 2人は気を利かせてくれたのか、先に教室へと向かっていき、靴箱には俺と結愛の2人きりになった。




「さっき莉音くんが何も言わずに去って行ったのって、私の周りに人が集まるのを避けるためですよね」

「そうだけど、、、。まず謝らせて欲しい。ごめん」

「別に謝罪はいりませんよ。そんなもののために呼び止めたんじゃないです」



 結愛は一応確認したかったようで、俺からの言葉を聞けば、安心したような顔付きを浮かべた。

 



「じゃあ、まだ何かあるのか?」



 さっきのことじゃないのだとしたら、俺には思い当たる節がなかった。てっきり俺の不甲斐なさに腹を立てたのかと思ったが、結愛からはそんな気が微塵も感じられない。




「…………せ、折角の一緒のクラスですよ?もう少し、嬉しそうな顔してくださいよ……。それとも、嬉しいのは私だけですか?」



 つい俺が自分の感情を包み隠さず表に出しそうになったのは、それほどまでに結愛の表情が魅力的で可愛かったからだ。



 妖艶といえばまた違ってくるが、上目遣いで少し涙ぐんだ表情をされては、どんな硬い理性の持ち主でも押し負けるだろう。

 結果、俺は理性の紐を緩められ、学校内なのに家にいる時と同じような距離感で接してしまっていた。




「俺も、嬉しい」

「よ、良かったぁ……。私だけだったらどうしようかと、、」

「そんなわけないだろ」



 結愛は体全体の力が緩み、今すぐにでも頭を撫でたくなるような顔をした。




「そんなに嬉しいか?」

「嬉しいに決まってますよ」

「何で?」

「好き、だから……」



 あまりにも頬を緩めたまま戻りそうにないので問いかけてみたら、俺の耳を疑うような言葉が結愛の口からは出てきた。



 靴箱には数秒の沈黙が生まれ、結愛とただひたすらに目が合う。



 ついさっきまでは可愛らしく微笑んでいた顔も、気が付けば真っ赤に染まっていた。耳まですぐに色付いており、目は左右に小さく泳ぐ。



 動きから何までがちょこんと女の子らしく動くので、よりあどけなさが増して、俺の鼓動を一気に早めた。




「い、今のはあくまで友達としてというか、その……」

「分かってる、分かってるからそんな慌てるな!」

「ようやく莉音くんと同じクラスになれて嬉しいという意味です!本当です!」



 結愛は赤く染めた顔で語尾を強めて言葉を発言し、その場に居た堪れないようなオーラを身に纏って視線を逸らす。

 たまにチラチラと目が合うのが、たまらなく理性をくすぐられた。




「と、とにかく2年生になってもよろしくお願いします。ってことを伝えたかったんです!!!」

「わかった」

「今年は我慢してたことを沢山やります!莉音くんのこともドキドキさせてやります!それも伝えておきます、、そ、それでは……!」



 最後にそれだけ言い残した結愛は、走って校舎の中へと消えていった。

 我慢していたことを沢山する。それは俺からしたらむしろありがたいくらいなのだが、ドキドキされると言われては身構えてしまう。




(俺だって、ただ黙っておくつもりはない)



 まだ始まったばかりの新学年、結愛が何をするつとりなのかは分からないが、これまでの中で最も濃い一年になりそうな気がした。

 






【あとがき】


・3章までを読んでいただきありがとうございました。


 許嫁という特殊な関係だからこそ、莉音くんの結愛ちゃんに対する想いが変に認識されていっていますね。保護欲やら周りからの目やらと。

 まあ莉音くん自身にも問題はありそうですが。


 4章ではいよいよ学校での2人のやり取りもスタートしていきます!


 なるべく更新出来るように頑張りますので、今後とも応援よろしくお願いします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る