第95話 許嫁はまたまたむくれる

「八幡さん、おはようございます」

「白咲さん、おはよう」



 次の日の朝、昨日話していた通りに結愛と軽く話す。話すといっても挨拶をしただけなのでカウントされるかは分からないが、それでも結愛は満足げに微笑んでいた。



 挨拶をしただけでは周囲の目も尖る事はなく、誰に指摘される事もなく時間は流れていった。

 ただ1人を除いて。




「何、学校でも話すことにしたのか?」



 そんなやり取りを見ていた修馬が、少し驚いたような顔をして莉音の方を向いた。




「まあ少しずつ、だけどな。流石に急に親しげに話すのはやばいだろ」

「それはな。…………しかしあの人も嬉しそうな顔してたぞ」

「見てたら分かる」



 莉音と挨拶をした結愛は、自分の席に戻った後に美鈴の元へと向かう。ぴょんぴょんと飛び跳ねそうに見えるのは、家での可愛い結愛を知っているからか。



 学校では風紀を乱したり規律を破る事も、もちろん他の人へと配慮や不愉快にならない笑みに心掛けている結愛だが、今日は心からの感情が顔に出ているように見えた。




「今だって、喜びが少し外に漏れ出てるぞ。多分」

「…………だからか、結愛がいつもより視線を集めてる気がする」

「いやお前が触れるべき場所はそこじゃないんだよなあ。まあそこに気付ける方が凄いんだけど」



 いつもとは違った少しあどけなさの出ている表情。それが周囲からの視線を集めないはずがなく、いつも以上に結愛は注目の的になっていた。

 


 そんな結愛を眺めていれば、横からは莉音の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。




「あ、霧中くんおはよう。八幡くんも」

「おはよう」

「え、ああ、、おはよう」



 俺もか?…………隣にいた莉音がそう思ったのは、昨年ほとんど女子に話しかけられる事がなかったからだろう。



 修馬は割とフレンドリーなので男女問わずそれなりに仲が良い。そんな修馬の隣にいようが、昨年は莉音のことなんて気付く様子もなく話すことなんてなかった。



 それが新学期になって急に声をかけられれば、予期していなかった莉音は一瞬戸惑う。


 


「八幡くん何その反応、面白いんだけど!」

「いや、ただびっくりしただけ」

「びっくりって!八幡くんって話してみたら意外と怖くないんだね」

「そんなことないと思うが、、」



 陽気なオーラを近距離で見せつけられては、人との距離を取ってきた莉音にはペースが掴めない。そんな莉音を、修馬は横から楽しそうに笑っていた。




「いやいや!前は見た目から誰も寄せ付けないオーラ出てたけど、最近は割とそのオーラ消えてるよ!」

「…………もしそうだとしても、普通そういうの本人に伝えるか?」

「だって事実だしね。あ、私もう行くね!またね!」



 突然話しかけて来たと思えば、突然消える。終始ペースを持っていかれた莉音は、たったの数秒会話をしただけで、凄い疲労感を覚えた。




(言うほど変わったか?)



 莉音には、雰囲気が変わったという自覚はそこまでなかった。確かに筋トレを始めて少しずつだが筋肉はついてきたし、結愛と出会ってから見る世界や見方が変わった。



 だからと言って、それを表面に出しているつもりはなかった。

 しかし、同時に成果は出始めているのだと認識し始める、良い機会にもなった。




「…………嵐がきた」

「嵐って」



 結局ずっとヘラヘラと隣で笑っていた修馬は、未だに崩れた表情を元に戻すことはない。




「何で話しかけられたんだろうな。修馬ならともかく」

「はぁ……。俺、前から莉音に言ってたよな。最近のお前は顔明るくなってきてるって。特に目だな。優しい目になった」

「言われたような気がするけど、それだけで話しかけるもんなのか?」

「お前が周り見てないだけで、皆んな割とそんなもんで話しかけるぞ」

「へぇ」



 これまでろくに女子と接点のない莉音は、そうなんだと頷いてみせる。

 別に話したいとか話しかけたいとか、そんな感情は一切持ち合わせていないが、それだけで変わるもんなんだと胸に書き留めた。




「興味なさそうだな」

「あんまりない」

「ま、お前には嫁がいるしな。興味持たないのも当たり前か」

「その言い方やめろ。あとその話題はあんまり学校で出すな」

「うへー怖い怖い」



 変わらず調子の良い修馬に軽く注意をしつつも、またも結愛の方へと視線を向けてみる。もうそこには喜びに溢れていた結愛の姿はなく、クラスの男子達からは不穏な気配を感じた。







「結愛さん、怒っていらっしゃいますか?」



 その日の放課後、スーパーで買い出しを済ませてから家に帰れば、昨日よりももっと不機嫌そうな雰囲気を見に纏った結愛がソファに座っていた。




「今回は怒っています」



 莉音の言葉を耳に入れた結愛は、隠す事もなく怒りを露わにする。怒っているというよりかは拗ねている、といった方が適切で、目を細くして鋭い視線を受け取った。



 ソファに足まで乗せて、クッションを体全体で抱き締めている辺り、その不服そうな顔はより強調されて見える。




「それは何ゆえでしょうか」



 結愛の瞳を見つめ、ソファの空いたスペースへと腰掛ける。莉音が結愛に理由を尋ねてみれば、小さく口を開いてムスッとした表情で声を出した。




「…………莉音くん、今日クラスの女子と話してました。それも可愛らしい人と」

「まあ、話したか話してないかで聞かれれば、話した」



 いつもより少しだけ低い結愛の声に、莉音は頬をかきながら素直に答える。




「…………私には挨拶だけと言っておきながら、他の人とは話すんですか?」

「そ、それは……」

「別に駄目とは言いませんよ。誰と話そうと莉音くんの自由です。でも私を置いてけぼりにするのは駄目です」




 本人は自分の言っていることを理解していないのか。そんな可愛らしいことを直接的に言われては、莉音だって頬に熱が昇る。



 やはり怒っているというよりも拗ねていると言った方が正解であり、結愛は「ふんっ!」とそっぽを向いた。




「しかも莉音くん、その女子に話しかけられてましたよね」

「話しかけられました」

「つまりですね。それほど莉音くんは話しかけやすくなったということですよ。自覚してください」

「…………はい。気を付けます」

「まったくもう」



 結愛からは小言のように説教をされる。

結愛の発言がお世辞なのかどうかは分からないが、自分の努力が少しずつだが出てきているのだと、そう感じれた。



 一通りの不満を曝け出した結愛は、また莉音の側に寄り、そしてまた頭を肩の上に乗せた。ふんわりと甘い良い匂いがして、莉音の男心をくすぐった。 

 肩に全体重を預けているのか、全身で頼られているような感覚になる。



 こういう無防備な所を見せられては、莉音の男のタガが緩みそうにはなる。莉音の肩にそっと頭を乗せた結愛は、目を閉じて全信頼を預けていた。




「今度はどうした」

「別に」



 やや返事に愛想がないのは、先程まで拗ねていたからか、もしくはまだ拗ねているからだろう。




「まだ不満とかあったら言ってくれていいぞ。直せるように頑張ってみるから」

「莉音くんのそういう所、良いと思います。でも不満はないですよ」



 結愛が声を発すれば、些細だがその振動は莉音の体にも伝わってくる。思ったことを口にしたこともあってか、もういつもの結愛に戻っていて、緩んだ柔らかな笑みを浮かべた。




「どうしたんだ?何かしてほしいことでもあるのか?」



 それでもまだジッと莉音のことを見るのだから、見られている側としてはどうしたんだと問いかけたくなる。



 莉音に身体を寄せている結愛は、目線を逸らしたり合わせたりしながら、耳まで赤く染める。赤らむのが止まった頃には、小さな唇を開いた。




「…………不満でもないですし、し、して欲しい、、というほどのことではないですけど……今日は、触らないんですか?」

「は」

「昨日は触ってくれたのに、今日は触らないんですか?」



 肩の辺りにある結愛の顔は、恥ずかしさからか、また赤みを帯び始める。若干滲んだ瞳と共にそれらを見せられては、男としてぐっとくるものがあった。



 手を伸ばせば結愛の全てに触れられるが、そんなことをしては嫌われるどころの話ではないし、今みでの全信頼を裏切ることになるので、踏み止まって堪える。




「いや、それでその場を凌ごうなんて、少しずるい気がする。それに撫でるだけじゃ足りないみたいだし」

「…………ばか、そうじゃないんですよ」



 莉音が何とか理性を保ちながらも声に出せば、結愛からは鋭い眼光を向けられる。それが照れ隠しだと言うのは、果実のように染まった頬と涙ぐんだ瞳を見れば分かる。



 目つきにも覇気はなく、ただあどけなさだけが全面に押し出されていた。




「俺に撫でられるの、嫌だったりしないのか?」

「嫌だなんて、そんなこと思うわけないです」



 いつもは自然な流れで触れるのだが、この時はしっかりと確認を行う。下手をすればまた機嫌を損ねてしまう可能性があるので、勝手に触るなんて真似は出来ない。




「…………どちらかと言うと、莉音くんに触れられるのは、すき、、です。優しくて、落ち着くので」



 小声で可愛らしく呟かれたその言葉は、莉音の胸にもちゃんと響いた。




(可愛んだよなぁ)



 学校での大人びた様子とは違う、自分の前にだけ見せる柔らかな笑み。そんなのを前にしてその場を立ち去れるほど、莉音の理性は鉄壁ではなかった。




「じゃあ、失礼しても?」

「…………お好きにどうぞ」



 潤んだ目を莉音に向けていた結愛は、莉音の手が動くのを確かめればそっと閉じる。

 手の平を結愛の頭をしっかりと触れ、一本一本が細く丁寧な髪に指を通す。




「…………これじゃあただの俺へのご褒美だぞ」

「何か言いましたか?」

「いや何も」



 自分が満足するのか、結愛が満足するのか、そのどちらなのか分からないと困惑する結愛だが、今はそんなことを忘れて結愛に触れる。


 

 莉音に優しく触れられた結愛は、猫のようにとろけたような表情を莉音にだけ見せるのだった。







【あとがき】


・撫でられることに満足しないのではなく、撫でられるだけでは満足しないという事に、莉音くんが気付くはずもなく……。



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