第102話 許嫁の圧倒的な嫁力には敵わない

「ただいま」

「莉音くん、おかえりなさい」


 修馬と別れてからは真っ直ぐ家に帰り、家の目の前まで来れば、鞄から鍵を取り出した。

 ガチャッと音を鳴らして扉を開いたら、リビングの方から足音が聞こえてくる。


 その足音が結愛のものだというのは、もう数ヶ月も一緒に暮らしていれば分かる。

 結愛は、莉音が帰宅したのを察知すれば、急足で玄関まで出迎えに来てくれた。



「随分と早いお帰りでしたね。もしかして私が連絡しちゃったから、早めに切り上げちゃいました?」

「そんな事ない。話も終わってたし、ちょうどキリがよかった」

「それなら良かったです」


 莉音は結愛から連絡が来たらすぐに帰ったので、結愛にそう思わせてしまうのも無理はなかった。

 いつもよりも顔の角度が低くく、下を向いているのはおそらくそれのせいだろう。


 それでも莉音からの言葉を聞いたら、ホッと安堵したように胸を撫で下ろしていた。



「あ、荷物預かりますよ」

「助かる」


 結愛は莉音が帰ってくるまで料理をしていたのかエプロンを身につけており、その姿で荷物を預かると言われては、莉音としても胸に来るものがあった。


(修馬が変な事言うから、嫁みたいに見える)


 そう思うのは下心とかでは一切なく、単純に今の姿から嫁のような雰囲気を感じ取れた。

 料理を始めた当初はまだエプロンに着なれていた感を出していた姿も、今ではすっかりとエプロンが様になって似合う女の子になっている。


 さらにその言動と行動となっては、莉音が結愛に対してそんな風に感じてしまうのも仕方ないことだった。



「ご飯とお風呂の用意も出来てますけど、どちらを先にしますか?」

「あーいま少し食べてきたから、お風呂からにしようかな」


 「さっきポテトだけだけど食べてきたから」そう付け加えて話せば、結愛は相槌を打つ。



「分かりました。ではそれに合わせてご飯も盛り付けるので、ゆっくりと温まってきてくださいね?」

「毎日悪いな」

「いえ。悪いことなんて何もないですよ?私はやりたくてやってるので」


 毎日温かい生活をもらっている身としては、嫌な顔をされずに好意的に家事をしてもらうのが堪らなく嬉しい。

 それを口にも出しているが、とてもじゃないが言葉一つで伝えられるものだとは思っていない。


 ましてそれを自らやりたいだなんて幸せそうに頬を緩めた顔で言われては、自分もやらなくてはいけないと分かっているのに、素直に甘えてしまう。



「なんつーか、結愛は良い奥さんになりそうだな」

「それなら莉音くんも良い旦那さんになりそうですよ?一つ一つの行動に感謝を述べるのは、簡単なようで意外と出来ない人が多いですから」

「そうか?」

「そういうものです」


 結愛を褒めれば自分も褒められる。そんな居心地の良すぎる良好な関係に、これ以上なんてものがあるのか。

 莉音には全く思い浮かばないし、多分そうない。


 一応は許嫁なので結愛を将来的には迎え入れることになるのだが、そんな幸せがあってもいいのかと思ってしまう。


 そうは言っても、現実味なんてこれっぽっちもないのだが。



「でも結愛ほど世話好きな人もそうそういないと思うぞ」

「そうなのですか?」

「こんな俺の面倒を見ようとするやつなんて、滅多にいないだろ」

「他にもたくさんいると思いますけど……」


 結愛はまた下を向き、ボソッと呟く。自分の意見を強く言いたそうだけど言えておらず、後ろで自分の手を結んでモジモジと動いて見せた。


 最近は大人な対応で莉音の周りを世話してくれるが、そういう可愛い一面もあるから目を離せない。


 ただ料理をするだけなのに綺麗に結われたハーフアップの髪型が、莉音の趣味のど真ん中を突いた。



「あ、そうだ。今度の土日の夕食は俺が作るから、結愛はその日は休んでくれ」


 ここで今週は俺が作ると言えないのは、それほどまでに莉音が結愛の手によって駄目にされてきたからである。


 それでも自分から料理をすると言い出せはするので、まだ陥落したというわけではない。



「でも…………」

「また疲れを溜めて体を壊したいか?まあそれならそれで看病するだけだから別にいいんだけど」

「どっちに転んでも莉音くんが優しいだけじゃないですか」


 ペシっと小さく莉音の脇を叩く結愛は、「もうっ!」と口にしながら不服そうな顔をする。



「相手を支えたいと思うのは結愛だけじゃないって事は、理解しててくれ」

「…………あ、、、は、はい」


 不満げな顔をする結愛も、莉音からそう告げられれば表情は一変する。どこか懐かしそうにクスッと口元を緩ませて、ゆっくり微笑んだ。



「そっか……。久しぶりの莉音くんの手料理、楽しみです」

「なら腕を振るわないとな」

「楽しみにしてます」


 結愛の料理を食べてばかりなので自分の料理に満足出来るかは分からない。それでも結愛の舌を唸らせてやろうと思うくらいには、莉音もそれなりに気合が入っていた。


 まあ久しぶりとは言っても結愛の料理のちょっとした手伝いくらいはしていたので、感覚が鈍っているわけではない。と、思いたい。



「じゃあ俺はお風呂入るから、そういうことで」

「分かりました、ご飯の用意をして待ってます」


 帰ってきてから長々と話しをするが、不思議と体感時間的には全然長くは感じなかった。

 そんな約束をしながらも、結愛にお風呂に入ると告げた莉音は、着替えを取りに行こうと自室のドアノブを握る。


 握った手を回してドアを開こうとした時には、一歩前を歩いていた結愛が立ち止まっていた。



「あ、そうです。莉音くん、今日はお風呂から上がったらちゃんとドライヤーするのですよ?風邪引いちゃいますから」

「分かった。ちゃんとする」

「そう言って昨日もしてなかったじゃないですか。ちゃんと自分でしないなら、また私がしちゃいますからね?」


 結愛からのちょっとしたお叱りを受けるが、その内容は実にいじらしいものである。

 というのも過去に何度か結愛にはドライヤーで髪を乾かしてもらっており、その心地良さは割とクセになっていた。


 なのでここで放置せずに結愛がドライヤーをしてくれるというのは、莉音からすればご褒美でしかない。


「ほんと、忘れないように気を付けます」

「別に私がしても良かったんですけどね」

「…………じゃあ、それはまたの機会ということで」

「は、はい、、、。いつでもお待ちしてます……」


 それがいつの日になるのかは、莉音の気分次第か。頬を紅潮させた結愛は、愛くるしい瞳を莉音には見られないように密かに浮かべる。


 そして長い髪をぴょんと跳ねさせながら、結愛はキッチンへと戻るのだった。







【あとがき】


*2人のいる場所はほぼ玄関です。


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