第101話 許嫁という名の夫婦
「莉音、お前最近めっちゃ口元緩んでね?」
結愛から色々と支えてもらった生活が続いたある日の放課後、この日は修馬と共にファーストフード店に来ていた。
もちろん結愛には連絡しているので、変な心配もさせていない。
注文を終えて席に座った修馬は、ここ数日の莉音の表情に違和感を覚えたのか、莉音の顔を見てそう言った。
「いや、最近結愛が何かと構って支えてくれるから、緩まざるを得ないというか」
「あー白咲さん、頑張ってるのか」
何故それで伝わるのか。そうツッコミたくはなったが胸の中にしまう。
「本当、心臓に悪いんだよ。俺のため、って分かるから嬉しいんだけど」
「惚気か?」
「そういうつもりで言ったわけじゃない」
「ふーん」
修馬は注文したハンバーガーを口一杯に頬張りながらも、莉音の瞳の奥をじっと覗き込んだ。
「莉音はよ、白咲さんのことどう思ってんの?」
「は、何でいきなり」
「そういえばあんまり聞いたことなかったなと思って」
しばらく莉音を見つめた修馬は、特に表情を変えた様子もなく口を開いた。
今思えば、結愛のことをどう思っているかとか、そういうのはあまり考えたこともないし、人に話したこともなかった。
「俺は白咲さんが莉音に具体的に何してるのか知らないけど、大事なのはお互いがお互いのことをどう思ってるかだろ?だから莉音は白咲さんにどんな感情を寄せてんのかなって」
「急に言われてもだな……」
修馬にしてはというか、一般的に見てもかなり真面目な意見なので、気軽な気分だった莉音はそこまで真剣なのかと少し驚く。
「別に言いたくなければ俺には言わなくても良いし、自分の気持ちに嘘をつこうと莉音の勝手だけど、時にはそれが良好な関係を崩すことにもなりかねないからな?白咲さんを悲しませるようなことはするなよ」
「分かってる」
突然の話題に莉音が迷ったように頭を回していれば、修馬は「分かったんならまあいいや」と呟いてそう言った。
その発現自体は妙に説得力があり、莉音を唸らせる。
自分では結愛と良好な関係を築けているとは思うが、確かに接し方や見方一つで関係性は大きく変わってくると思う。
それを踏まえた上での今の発言なら、流石と言わざるを得ないだろう。
「それで、実際好きなの?」
「おまっ!急に何言うんだよ!てかさっきまでの話はどうした」
「さっきまでのはあくまで親友としての忠告な。そして今からは親友としての、まあ手助けみたいなもんか」
「手助けって」
折角ありがとうと思ったのだが、修馬という男がそう真面目な話を続けていられるわけがない。
さっきまでの真摯な眼差しも変え、顔にはいつものような愉快な表情が戻ってきた。
でもまあその方が安心するし馴染みがあると思うのは、長年の付き合いだからだろう。
「はい、じゃあまずは白咲さんに抱いている感情を素直に口に出して貰いましょうか?」
お兄さんに話してみなさい。そう言いたそうな笑みを浮かべる修馬は、身を乗り出して莉音へと質問を行う。
「…………黙秘する」
「つまり白咲さんは話す価値もない、ただの同居人だと?」
「そんな事言ってないし思ってない」
「じゃあ本当の素直な意見を話してくれるよな?」
ニタニタと莉音を追い込む修馬は、こっちの考えていることが分かっているかのような話し方をする。
そんな風に言われては否定するしかないので、嵌められたと言うべきか。
「修馬、お前ろくな死に方しないぞ」
「人間、そう満足に死ねるか」
嫌味で言った言葉すら相手にしない様子で応えられるのだから、このやり取りに関しては修馬の方が一枚上手だった。
「はいはいそれで?何ヶ月も一緒に暮らす女の子に対して、莉音くんはどんな感情を持っているのかな?」
「…………あくまで俺が勝手に思ってるだけだけど、ずっと見守りたいし、悲しい思いはさせたくないし、俺に出来る範囲で幸せにしたいな、とは思ってる」
それが許嫁に、友達に向けるには行き過ぎな感情だというのは、他人から言われなくとも自覚がある。だがそれが何から来る気持ちなのかと聞かれても、莉音の中には思い当たる言葉が見当たらなかった。
「へぇ〜」
「何だよ」
「いやいや。あの莉音が自分からそんな事を言うなんて、成長したなと」
「お前は何目線だよ」
「ある意味親?」
そうかそうかと言葉を溢しながら頭を整理する修馬は、しばらく顔を下に向けていた。
そしてようやく上げた頃には、また再確認する言葉が莉音へと向けられた。
「じゃあ結局、異性として好きではないのか?」
「好き、と言われても実感がないんだよ。これまで人を好きになったことがないから」
「まあ、人との距離感を気にしてた分、他の人より捻くれてそうではあるな」
「捻くれてねえから。感性は普通だ」
「それだけはあり得ない。ってことだけは伝えておくな」
誰が悲しくて感性が捻くれていると言われないといけないのか。机の下にある修馬の足を数回蹴っておく。
「あと一応言わせてもらうけど、俺から言わせてしまえば莉音の抱いてる感情はほとんど好きに等しいぞ。どれもこれも好きから派生するやつだろ」
「そう言われれば確かにそうなのかもしれないが」
幸せにしたい、見守りたい、悲しい思いをさせたくない。こういった感情は、確かに友達へと向けるものではないだろう。
修馬からの言葉が、やけにスッと胸の中に入ってきた。
「じゃあもし仮にそうだとして、俺はそういう気持ちを抱いてもいいのか?」
莉音も少し真剣になって修馬に尋ねてみれば、驚いたように目を開けて苦笑した。
「良いに決まってるだろ。てか逆になんで駄目なんだよ」
「…………許嫁だから?」
「変な誤解されるかもしれないからこういう言い方はよくないのかもしれないけど、許嫁という立場的にもそうなるのが1番喜ばしいことなんじゃないの?」
修馬は少し言葉に勢いを持たせながら続ける。
「というと?」
「好きな人と確定で結婚出来るって、考えようによっては幸せかもしれないし」
修馬の言う通り、莉音が結愛のことを好きなのだとしたら、許嫁という関係なら嫌でも結婚させられる。
そういった意味では幸せかもしれないし、許嫁という立場的にも喜ばしいうえこの上ない。
だがそんなもので莉音だけでなく結愛の幸せを決めたくないと思うのは、一体どこからくる気持ちなのか。
「…………俺なんかが結愛にそんな気持ちを抱いてもいいのか?」
「全くお前は純粋なんだか奥手なんだか」
似たような質問をする莉音に、修馬は「はぁ…」と呆れたようにため息をつく。
「もうそれは莉音自身の問題、としか言えねぇな。まあ白咲さんからの反応とか接し方とか見たら、大体分かるんじゃね?」
「…………そうだな」
家での結愛を見ていたら、莉音がどんな感情を抱いても許してくれる気がする。それは今までの信頼や安心感もあるのだろうが、莉音は結愛を悲しませるような事をするつもりはない。
ただもし想いが実らずに結愛に気まずさを与えてしまったらと考えると、莉音はその場の居心地の悪さに耐えられなくなるだろう。
正確に言うなら、結愛を見守ると約束したのに自分の欲を優先したことに、たまらなく嫌悪が走る。
(結愛は俺のことをどう思っているのか)
もしかしたら、なんて思う反面、結愛は自分への興味が一切ないのでは?とも思ったりする。
莉音が結愛に振り向いてくれないかもしれないと思うのは、結愛が人一倍愛とかいうものを求めていたからだ。
それが恋愛感情なのかどうなのか、莉音には判断出来ない。
こういう所が捻くれているというのだが、莉音にはその自覚はなかった。
「てかそれもう好きって認めたようなもんだろ」
「うるさい。それに、もしそうだとして何が悪い」
「開き直んなよ。ま、近いうちに自分の気持ちを整理してみるのも良いかもしれないな」
好きという経験をしたことがないので、この感情が好きという感情なのかは分からない。それに振り切ったつもりではあるが、もしかしたら家族への憧れを結愛にぶつけているだけなのかもしれない。
でも少しずつだがそれを見直してみようと思った。それが結愛との良好な関係を築けるためにも、必要なことだと思ったから。
「あ、結愛からメールだ」
莉音がそんな事を考えて小さいようで大きな決心をしていれば、スマホからはピコンッと一通の通知が鳴る。
『帰りは何時くらいになりそうですか?それに合わせてご飯を盛り付けようと思うのですが』
そんなメッセージが届いており、自宅に1人待っている結愛の顔が浮かんだ。
「俺、そろそろ帰ろうかな」
「こうして側から見てる限りでは、もう夫婦にしか見えんぞ。お前ら」
「そんなんじゃない。ただあんまり寂しい思いをさせたくないだけ」
「それが夫婦っぽいって言ってるんだが……」
「何か言ったか?」
「いーや何も」
両手を上げて降参の意を示す修馬は、いつの間にか頼んでいたハンバーガーとドリンクを平らげていた。
タイミングにもちょうど良かったと帰る準備をしながら荷物をまとめていれば、やや恥ずかしそうな顔をした修馬がその動きを静止させる。
「莉音、俺からも話しておきたいことがあるんだが……」
「ん?何だ?」
「あ、いや、また今度でいいや」
「そうか。じゃあまた連絡してくれ」
「おう」
修馬の声を聞いて莉音は振り向いてみるが、すでに大方片付けた荷物を見たからか、話はまたの機会となる。
店を出て「じゃあな」と言葉を交わせば、手を振ってから帰路を辿る。
少し暗くなり始めた辺りを見渡しながらも、結愛の待つ家へと帰るのだった。
【あとがき】
・莉音くんも莉音くんなりに頑張ってるんです。優しく見守ってあげてください。
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