第100話 許嫁の行き過ぎた愛には、何人も耐えられない。

「結愛さん、もうこれ以上俺を甘やかさないでください」


 

 結愛の体調が戻ってから数日が経った。その間は特に何もなく……と言えば嘘になり、結愛との距離はより一層縮まった。



 特に変わったのは、結愛に積極性と破壊力がつき、ここ最近はただでさえ家事をしていない莉音を、他の底まで堕とそうとする勢いだということだろう。



 つい本人に甘やかすなと伝えるくらいには、莉音の行動の多くを結愛に支えてもらっていた。




「嫌です。だって私言いました。莉音くんのことをデレデレに溶かすと」

「確かに言われたけど、それを了承した記憶は一切ないんですが」

「拒否された記憶もありません」

「ぐっ、それは……」



 結愛の言い分としては、看病の時にとことん甘やかされたから、と言う。

 その時の結愛は、確かに「莉音をデレデレに溶かす」と言っていたが、莉音がそれを許可したつもりは微塵もない。



 否定もしていないと言われればそこまでなのだが、病人でもない莉音にはその親切心が針になって刺さるように痛かった。




「でも本当にそろそろ身の限界というか、朝昼晩の食事は俺の大好物ばかりを用意してくれて、筋トレ中はずっと横から『頑張って!』と声を掛けてくれて、事あるごとにずっと甘やかそうとしてくるから、心が揺れる」



 莉音が結愛の好意に限界を感じているのは、嫌気が刺したとかそういった問題ではない。

 ただ好物ばかりが出ているのに栄養バランスもしっかり取れた食事に、筋トレ中に聞こえてくる、結愛からの「頑張って」という甘い声。



 他にも、お風呂から上がってドライヤーを面倒くさがれば、結愛が「もうっ!」と小声を挟みながらもドライヤーしてくれたり、学校帰りにソファに座って眠そうにしてれば、頭を膝の上に持っていかれて最上級の甘やかしされ方をされる。



 そんな毎日が数日も続けば、莉音の心と体は色々と限界を迎える。もう結愛なしでは生活出来ない。そう体が錯覚するくらいには、今の結愛は莉音を虜にしていた。




「看病の時の仕返しとはいえ、俺のこと甘やかそうとしすぎじゃないですかね?」

「だって私の目的は、仕返し、だけじゃないので」

「他にどんな意図が含まれてるんだ」

「…………仕えたい?というか、尽くしたい?みたいな気持ちです」



 このままでは駄目だと思って結愛に話すのだが、結愛本人には甘やかすことを辞める意思が一切ないというのは、最後の言葉を聞けば分かった。




「あのな、だからこそ本格的にヤバいんだ、色々と。ここ数日の俺は結愛にほとんど全てを支えてもらってるから、そのうち結愛なしじゃ生きていけなくなる。文字通り尽くされまくって」

「…………それなら別にいいんじゃないですか?」

「え?」



 ここまで結愛に頼った生活をしていれば、今更莉音の中に隠すことはないので、そのままの感情を結愛に向ける。



 それが結愛の火をつけてしまう逆効果の行為だと言うのは、包容力のある結愛の表情を見れば明らかだろう。




「私なしで生きられなくなっても、問題ないのでは?と言ったんです」

「え、いや問題しかないだろ」

「そうですか?私としてはいいんですよ?莉音くんがどれだけダラダラしようが、どれだけ甘えてくれようが」

「結愛はいいかもしれないが、俺が堕ちるところまで堕ちる」



 今ソファに座り、隣から視線を向けている結愛の表情に曇りはなかった。

 晴れた晴天のように真っ直ぐな光を瞳には宿しており、冗談を言っているわけではないのも伝わった。




「それはいけないことなのですか?」

「結愛に頼りすぎるのは、良くないだろ」



 頼りすぎるのは良くない。今ほとんど全てを支えてもらっている人間の発言とは思えないが、それだけは胸の中にあった。




「あ、ならもういっそ、私に全身で堕落させられてみますか?そうしたらもう、確実に私なしでは生きていけなくなるでしょう?」

「は?」



 そんな莉音の理性をがっと削るような発言を、結愛は正面から行う。私は莉音くんの全てを甘やかしたい。そう言わんばかりの発言と表情には、莉音の思考を停止させるには十分すぎる条件だった。



 そしてその発言を少し良いなと受け止めてしまっている自分がいるのは、結愛から受ける愛が優しく、居心地が良いからだろう。



 ソファに座り、手を伸ばして莉音の頬に触れる結愛は、少し妖艶な笑みを浮かべる。




「莉音くん、いいんですよ?自分に正直になっても。私はどんな莉音くんも受け入れるつもりですので」



 なんて庇護欲に溢れている結愛の発言には、男ならグッと胸に堪えるものがあった。こちらの心情を見抜かれているのだから、なんとも勝手が悪い。

 



(そういう所が心臓に悪い)



 嫌な顔を一切せず、結愛の顔にはむしろたくさん甘やかしたいと顔にまで出てきているので、それを近距離で言葉として向けられる莉音には、心臓に悪かった。



 そして言葉を述べ終えた結愛は、ただでさえ近い肩と肩との距離をさらに縮め、莉音の体に抱きつく。



 片方の肩には柔らかい感触があちこちに伝わり、もう肩方には手を回される。正面から抱きつかれていないのが、せめてもの救いだろう。



 今の日常生活もあり、もし真正面から抱きつかれるなんてことがあれば、自分を抑えることは不可能に等しかった。




「ほんと莉音くん、相変わらず女の子に迫られたらあからさまな反応しますね」

「…………そりゃ経験がないから耐性があるわけでもないし。悪いか?」

「いえ、ただそういう所、結構可愛いですよ?」



 莉音の体に触れた、結愛の柔らかなものを意識しないようにすれば、それは測らずとも顔に出る。

 結愛本人もかなり恥ずかしさを感じているのか、表には出さないようにしつつも、頬はすでに真っ赤だった。




「…………可愛いさは求めてない。それに女の人の可愛いは信じない」

「私が嘘をついていると?」

「そうは思わないけど、どうせなら可愛いよりもカッコいいっと思われたい、というか」



 ここでそんな言葉を無意識に出していたのは、日頃甘やかされて絆されていたからだろう。莉音は自分の発言に気付かずに続ける。




「男は可愛いと言われるよりも、カッコいいって言われたいはずだ」

「そうなんですか」

「…………今のは忘れてくれ」

「無理です」



 自分の発言の意味を理解した時には当たり前だがもう遅く、結愛は純な瞳を浮かべる。

 



「莉音くんも、カッコいいって言われたいんですか?」

「俺は別に……」

「本当は?」

「…………可愛いよりかは、カッコいいって思われたい」



 そこで素直な感情を溢しては、まるでそう言われたい、みたいではないか。莉音はそんな事を思いはしたが、結愛ならお世辞でも言ってくれるような気がした。



 甘い声に少し恥じらいを見せながら、頬に熱を集めて。




「そんなに心配しなくとも、莉音くんは十分カッコいいですよ?」

「取ってつけたように言われても、嬉しくない」



 やはり結愛の口からはその言葉が出てきてくれて、自然と口角が上がる。莉音は決して自分の顔が整っているとは思ったことはないし、他人からそこを褒められることもあまりない。



 それでも尚、結愛に平然とした素振りを見せているのは、男心というやつなのだろう。




「取ってつけたように、じゃないです。前にも言ったかもしれませんが、莉音くんが私に優しくしてくれる時、私の目にはカッコよく映っています。一生懸命筋トレしている姿も、キラキラ輝いて見えます」



 莉音は唾を飲み、結愛の話に耳を貸す。さっきまでは割と余裕を見せていた結愛だが、今は耳まで赤く染め、少しだけ声色を甘くしていた。




「さ、さりげない日常のやり取りでチラっと見える横顔とかも、カッコいいです」



 カッコいい。滅多に言われないその言葉が、男としてはたまらなく胸に響いた。ましてそれを可愛い美少女に言われたとなっては、頬に昇った熱が冷めることを忘れる。




「だから、莉音くんもカッコいいんですよ?普段は私が恥ずか死ぬので言わないですけど、」

「…………そうかよ。ありがと」

「信じてもらえましたか?」

「まあ」



 結愛もほんのりと初心な反応を見せており、やはり自分が攻められるのは大して耐性がないらしい。

莉音のことを少し褒めただけなのだが、その恥じらい具合には、理性を緩められた。




「じゃあ、こういう風な迫り方をしたら結愛はドキドキしてくれるのか?」



 きっとここ数日の間にぎゅっと引き締めていた理性のひもが、勢い良く解けたのだろう。肩に抱きつく結愛の体を解き、押し倒すようにして正面から見つめ合った。



 ソファの上では莉音が覆いかぶさるように結愛を見下ろしており、そして指先で頬に触れた。

 突然のことに困惑している様子の結愛だったが、莉音との瞳が合えば、あちこちに泳いでいた瞳の照準も定まる。




「…………それはご自身で確かめてください」

「へっ?」



 押し倒したのは莉音なのだが、体を抱き寄せたのは結愛だった。正面と正面でぎゅぅと音を鳴らして抱き寄せられ、結愛との全ての距離が縮まる。



 最初は上から見下ろしていた莉音も、今では見下ろされ、そして抱きつかれている。

 もうほとんど全てがゼロ距離にあり、まだ密着していないのは、精々顔くらいだった。




(細いんだよな)



 柔らかな何かがある部分に密着しているとはいえ、結愛の体は全体的に細い。華奢で小柄な体は、莉音の上に乗ってもあまり重さは感じなかった。




「どうです?ドキドキしてました?」

「…………ばくんばくんしてる」

「私の胸にも、ばくんばくん伝わってきてます」



 ソファの上で重なった2人の身体は、どちらのものなのか、あるいは合わさったものなのか、心臓の高鳴る音が大になって聞こえてくる。



 莉音の腰がちょっぴりと引いてしまうのは男のサガか故か。結愛の腰の位置がもう少し低ければ大変なことになっていた。




「ほんと、かわいい顔しますね」

「…………うるさい」

「それは照れ隠しなので?」

「黙秘する」



 つい顔に出て動揺してしまうのは当たり前で、それを隠すことも出来ない。

 結愛自身もかなり赤面しているが、自分から行動に移した辺り、ある程度の勢いはあるようだった。



 未だに体を密着させたまま、莉音の理性をさらに削るような発言をする。結愛をどかそうと思えばどかすことは出来るが、まずどこを触るべきかも分からないので、手を打つ手段はなかった。




「そんな莉音くんの顔は私にだけ見せていればいいんです。そして私にだけ、深く深く甘やかされれば良いのです」

「今の結愛は俺のためなら何でもしそうで怖い」

「言ってくだされば、私に出来うることは全てしますよ?」



 ようやく重なった体を起こした結愛に少しだけホッとしつつも、高鳴った心臓が鳴り止むことはない。


 

 何でもしますよ?と首を傾げながら発言をした結愛は、前までの調子に戻っており、首元まで赤くなり、恥ずかしさからか瞳はほんのりと滲んでいた。




「なので莉音くんは、全てを私に頼って、ずっと甘えればいいのです。さっきも言いましたけど、私が自堕落な生活にまで堕としてあげるので」



 結愛は上半身は起こしつつも、横たわったまま俺の体を跨いでいる。そして莉音の髪に指を通し、小さな手で撫でられる。




(これは駄目だ)



 ああもう手遅れだと思ったのは、結愛の行動に抵抗を見せない自分が1番分かっている。

 莉音の上にいる結愛は、光の当たり方もあるのかもしれないが、熱の時よりも顔を真っ赤にしており、表情全てをゆるゆるにした可愛いらしい顔をしていた。






【あとがき】


・祝100話ということで、いつも読んでくださりありがとうございます。


この物語も、ありがたいことに4章まで迎え、2人の距離は確実に近づいていることでしょう。


さて、今回のお話の結愛ちゃんはいかがだったでしょうか。母性の塊というか、看病終わりの勢いがとても良く書けた気がします。


まだまだ物語は続くので、引き続き応援していただけると嬉しいです!

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