第119話 お互いを意識し合う距離

 許嫁のことを、結愛の事を好きかもしれない。


 莉音がそう思うようになったのは、一体いつからだっただろうか。


 もう本当はずっと自分のそんな気持ちに気付いていた。

 でとずっとその気持ちから逃げて、保護欲だとか心配だとかと言い訳をしてきた。


 だが最近、その言い訳も出来なくなるくらいに、結愛が可愛く見えて仕方がなかった。

 もちろん邪な眼差しを向けているわけではない。


 ただ異性として、許嫁や友達としてではなく1人の女の子として、結愛のことを想うようになってしまった。



「莉音くんお疲れ様でした」 


 1日目の文化祭も終わり、家に帰ればそう温かい声が向けられる。

 結愛はそろそろ夕食の準備でも始まるのか、ソファに座ったまま髪を後ろに結んだ。



「結愛もお疲れ」


 結愛からの言葉に返事をして、莉音は結愛の髪を結ぶ仕草を見守る。

 莉音の視線に気付いた結愛は不思議そうに首を傾げるが、目が合えば柔らかく微笑んだ。


 こんな何気ないやり取りすら、莉音の心を躍らせた。



「文化祭、楽しかったですね」

「だな。あんな楽しい文化祭は初めてだった」

「私もです」


 ソファに座っていつものようにゆったりしていれば、隣からは結愛の声が耳に届く。

 今日のことを思い出すように瞳を輝かせ、そしてくしゃりと楽しそうに頬を緩めた。


 こうも子供のように表情を崩している結愛は珍しく、テンションも上がりつつあるのか、語尾も可愛らしく活き活きとしていた。



「まあ俺達、午前中しか模擬店回ってないけどな」

「それもまた良い思い出ということで」


 莉音と結愛は、午前はお化け屋敷やその他の模擬店に行ったりしたが、午後からは誰もいない別館で2人で静かに過ごしていた。

  

 結愛もついうたた寝をしそうになっていたので、その空間はとても心地良かったと言えるだろう。


 それが文化祭らしいかと聞かれればすんなりと頷くことは出来ないが、結愛の言う通り、それもまた良い思い出にはなった。



「あ、莉音くん。先にお風呂入っちゃっていいですよ?私、夕飯用意しておくので」

「俺も手伝うぞ」

「今日はいいですよ。明日も文化祭あるんですから、時間は上手く使わないとです」

「そうか?なら皿洗いとかは全部俺がやるから、作るのは任せたわ」


 流石は結愛というべきか。すでにお風呂を溜めて莉音をダメにさせる用意をしていたらしい。

 現にソファから立ち上がり、近くに置いていたエプロンを着用しようとしていた。



「別に、そこまで気にしなくてもいいですのに」

「一方的に受け取るだけの関係だと長続きしないからな。ちゃんと貰った分は返さないと」

「相変わらず優しいですね」

「…………皿洗いだけじゃ返しきれてないってことには、触れないでくれ」

「ふふ。分かりました」


 莉音は莉音で、結愛から一方的に好意を受けるのはあまり宜しいことではないと思っている。

 まあ基本的にいつも甘えっぱなしなのだが、それでもされるだけは罪悪感があった。


 なので少しでも奉公しようと皿洗いを申し出るが、当然それだけで結愛の仕事と釣り合うわけがない。


 だから最終的に結愛の提案に素直にお世話になりつつも、莉音はお風呂場へと向かうのだった。

 




「結愛はさ、明日は花森さんと回るんだよな」

「そうですね…………莉音くんは霧中さんと回るのですよね?」

「そうだな」


 夕食を食べ終え、どちらも入浴を済ませた10時過ぎのこと。

 ソファに座ってテレビを眺めていた莉音は、隣にちょこんと座る結愛にそう声を掛けた。


 莉音は自分なりに勇気を出してみた。もう自分の気持ちに整理はついているし、結愛への想いも確信している。



「結愛は後夜祭、誰かと参加すんの?」


 善は急げという言葉があるように、莉音もさっそく小さな勇気を振り絞った。

 すでに待たせしまっている結愛に少しでも早く返事をするべく、それに適した場で告げたい。


 ここで率直に後夜祭を一緒に過ごそうと誘えないなは、まだ莉音の中に躊躇いがあるからか。

 だがもしここで先約がいるとなれば、莉音はしばらく立ち直れなくなる。


 そういった焦りと共に、手に汗を握った。


 まあ文化祭の前に聞いた時は参加しないと言っていたのでおそらく予定はないだろうが、当日になれば分からない。

 ただただ心臓の音が激しくなるのを自覚しつつも、結愛からの言葉を待った。



「今の所は誰とも参加する予定ないですね。莉音くんは、どうされるんですか?」

「俺も今の所はないな。今の所は、」

「そ、そうなんですね……」


 莉音からの話に、結愛は期待するように顔を明るくした。大きな瞳を広げ、突然のことに驚いたように瞬きもする。


 どうやら結愛は今の所は空いているらしく、先約もいないらしい。


 正しく言えば、先約はいたのかもしれないが、全て結愛が断ったのだろう。そう思うと、莉音は少し優越感を覚えた。


 自分にだけ見せてくれる結愛がいると思うと、事前と口角は上がる。



(…………俺が誘ってもいいのだろうか)


 そんなことを考えていれば、結愛のことを莉音が誘っても良いのかだろうかと頭の中に疑問が浮かぶ。

 多分だが、莉音が誘えば結愛は迷うことなく承諾してくれるはずだ。


 そのはずなのだが、緊張して上手く話せそうになかった。

 これまで結愛にリードしてもらった莉音だからこそ、自分から一歩進むというのはどうも恥ずかしかった。



(…………気まずい)


 そうこうしている間にも、2人の間には空白の無音の時間が流れる。

 莉音が中途半端なことを言ってしまったので、結愛もまだかまだかとソワソワとしていた。


 テレビはついているが、結愛は平然を装った風にあちこちに視線を泳がせている。

 今は流れたテレビの音なんて何も聞こえてこなかった。


 ただひたすらに結愛にだけが視線が行き、意識が行った。



「なぁ結愛!」

「あの、莉音くん!」


 今しかない。そう思ってようやく口を開いた時には、結愛とタイミングが被った。

 これを仲が良い証拠と取るのか、運が悪いと取るのか、それは人によって違ってくるだろう。


 しかし結愛は、しゅんと極端に顔を落ち込ませ、下を向いた。

 あまりに酷いその落ち込み具合は、さっきまでの明るい表情との振り幅を作った。


 きっと莉音がヘタレてしまったから、結愛は少しでも手伝いをしてくれようとしたのだろう。

 だがそれのせいで莉音とのタイミングが被ったとなっては、結愛が落ち込むのも無理はない。


 それでも、莉音の体に溜まっていた熱が冷めるには、十分なアクシデントだった。



「ゆ、結愛?どうした?」

「りっ、り莉音くんこそ、どうかされました?」


 まあ、それも莉音が声を掛ければ、ばっと勢いよく顔を上げてまた元の表情へと戻った。


 そして2人の距離も、共にお互いの名前を呼び合った時に戻る。


 結愛は自分の発言はなかったかのように、莉音の瞳に純粋な眼差しを向けた。

 それなら莉音も再び勇気を振り出すしかないと、口を開く。



「…………いや、まあその、、、明日……」


 莉音の言葉を一つ一つ聞き取った結愛は、うんうんと頷きながら少しずつ頬を染める。

 その瞳は奥から揺れ、ゴクリと喉が鳴る音も聞こえる。


 それくらいには、2人はお互いの世界にのめり込んでいた。


 

「…………明日も楽しめるといいな、と言おうと思って…………結愛は?」

「わ、私も同じです。莉音くんが明日も楽しめたら良いな、と、、、」


 しかし、一度冷めた熱がまた上がることはなく、最終的には誘うことは出来なかった。

 結愛も同じだったようで、2人して明日の幸福を祈った。



(俺の意気地無し!!!)


 莉音は胸の中でそう叫んでいるが、一度流れが崩れては中々立て直すのが難しかった。

 それも奥手な莉音となれば、尚更と言える。



「明日、学校で会えたらいいな」

「そうですね、会えるといいですね」


 2人はそう言いながらも、悶々とした雰囲気をお互いに出し合う。


 それでも、相手の気持ちを探り合うように、肩と肩が触れる距離に座るのだった。







【あとがき】


・この作品にしては珍しい、ザ・ラブコメといったストーリーだったのではないでしょうか。


 結愛ちゃんへの想いを自覚した莉音くんは、これから頑張ります。

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