第118話 許嫁の覚悟と莉音の決意

*少し長めになっております。お時間がある時に読む事を推奨します。




「やっぱ結愛は視線集めるなぁ」


 文化祭の日の昼食時、莉音と結愛は2人で弁当を食べていた。

 この日は花森さんと修馬が学食、ということもあり、いつもの別館の人通りが少ない場所で結愛と共に食べていた。


 まあ4人で食堂で食べても良かったのだが、こういう日は学食だったり食堂利用者が多そうだったので、昼は別々にすることにした。



「視線ですか……そうですね。でも、いつもあんなものですよ?」

「まじか。よく耐えてるな」

「まあ、小さい頃からそうでしたし」


 お化け屋敷から出た後、行列が出来た横を通っていれば、結愛はチラチラと学年問わず視線を集めていた。

 莉音からすれば見せ物じゃないぞと声を張りたくなるが、結愛本人が何も言わないのでどうすることも出来ない。


 それも昔からそうだったのなら、結愛が慣れるのも無理はないが。

 


「ところで莉音くん、やっぱり文化祭は楽しくないですか?」

「俺、顔に出てた?」

「ヒシヒシと伝わってきます」


 莉音が結愛のことを心配に思う一方で、結愛は莉音の機嫌を窺うように柔らかな口調で話す。

 決して楽しくないとかではないし、むしろ今までで1番楽しいくらいの文化祭なのだが、それでも莉音の中の不穏なオーラが滲み出ているようだった。



「…………その、ですね、、、。莉音くんが楽しそうじゃないと、こっちまで気が滅入ってしまうんですよ……」 


 そう言いながらも、額にかかった前髪や伏せた睫毛が影を作り、繊細な面に結愛の緊張を如実に表していた。

 


「ごめんごめん。でも俺は別に楽しくないわけじゃないよ」

「そうなのですか?」


 結愛が不安がることに対して、莉音は心配させまいと出来うる限り優しい言い方をする。

 莉音が周りから見て楽しくなさそうと思うようなオーラを纏っているのには、理由があった。


 そして、その自覚もあった。

 ポカンと口を開けた結愛は、莉音が続けるのを待つ。



「うん。…………ただ、結愛が他の人から注目を浴びるのが、気に食わないだけ」

「あー。そういうことですか」


 莉音の発言を聞いた結愛は、一瞬困惑するような顔を浮かべるも、すぐに理解してそう口にする。

 それが結愛にとって良い発言だったのか、悪い発言だったのかは、彼女の表情一つ一つを見れば分かるだろう。


 莉音は一度呼吸を整えて自分の意見をまとめたら、再び自分の想いを告げた。



「嫉妬とか独占欲なのは分かるけど、結愛が他の人からそういう眼差しを向けられるのは、非常に面白くない」


 自分でも嫉妬や独占欲という自覚はあった。そりゃ一緒に暮らしている、好ましく思っている女の子が、周囲から下心を持った目で見られては良い気分になるわけがない。


 彼氏でもないのに、そう言われたらお終いだが、莉音と結愛は友達である以前に許嫁であり、家族みたいなものなのだ。


 そこに嫉妬なんかが生まれても、何ら不思議ではないだろう。

 まあ、その想いが友達としての範疇を大きく超えているのは、好き、という言葉に近いからなのかもしれない。



「………私はもう、莉音くんとの、、、許嫁の関係を周りにバラしてもいいと思っていますよ?今は隠して得られるメリットよりも、隠さない方が私にとっても良いですし」


 莉音のそんな身勝手な独占欲を目の当たりにした結愛は、莉音の想いに応えるようにそう言った。



「それは、周りからの視線とかを受け入れるってことか?」

「当たり前です。莉音くんとなら、別に難なく受け入れます」


 結愛の発言にそういう意味が含まれていた、という事を、莉音が分からないはずがない。

 現に結愛からすれば、莉音との関係を周りに話した方が、我慢していたことを我慢しなくても良くなるのだろう。


 結愛は学校帰りに2人で寄り道をしたり、2人で一緒に話したり、そういうことがしたいと言う。

 今の莉音と結愛では行けてもせいぜいスーパーかコンビニくらいなので、不満はなくても満足はしないはずだ。


 まあ少なからず出掛けたことはあるが、それでも周りに目を使ったりしないといけないので、苦労する。

 なので結愛からしてみれば、莉音との関係を話した方が楽になれるというのが正直な話なのだろう。



「そもそもですね、私にとっての1番は全部莉音くんなんですよ。一緒にいて落ち着くのも、私に温かい環境をくれたのも、私を1人にしないで見守ってくれると約束したのも、莉音くんです」


 2人きりの空間で、結愛は莉音を見上げながら話す。

 少し長舌になったからか、長い睫毛が少しだけ揺れ、瞳もそれに合わせるように左右に泳いだ。

 

 次に莉音と目が合った時には、呼吸を整えて、お互いの距離をちょっとだけ縮める。

 そして床に着いた莉音の手を、上から覆うように結愛の小さな手で被せた。


 結愛の細い指は、莉音の指と指の間に入り込もうとその間隔を広げようとしている。


 それが少しでも莉音との隙間を埋めたかったからだ、なんていうのは、結愛なりの愛情表現でしかなかった。



「察しが良くて気を遣える莉音くんですから、きっともう私の想いには気付いているんでしょうけど」


 そう、囁くように天然水のような澄んだ声を耳元付近で呟かれては、全身に痺れが走る。

 それと同時に体温が上昇するのも感じ、莉音はここまで来たらと腹を括った。



「…………じゃあ、もし俺が結愛との関係を公にしても、結愛は許容してくれるのか?」

「自分で言うのもなんですけど、私はすでにそれに近い発言をしてますよ?あとは、莉音くん次第です」

「そうだよな、、、そうだったな」


 結愛はきっと、自分の口で言おうと思えばすぐき言えたのだろう。それでもそれをしないのは、莉音を立ててくれるからだ。

 莉音が結愛に待ってくれと告げたからこそ、結愛は言葉通り待ってくれているのだ。

 

 莉音が自分に素直になれる、その時まで。



「私がこういう迫り方をする理由を、莉音くんが分からないはずないです」

「そ、それは……まあ」


 結愛は莉音の理性に追い討ちをかけるように、肩と肩が触れる距離にまできた。



「きっと誰よりも優しくて、誰よりも相手のことを大切に思うからこそ、莉音くんがあと一歩を踏み出せないのでしょうね」

「そういうわけじゃ……」

「いいんですよ。莉音くんの考えてることくらい、ちゃんと分かってますから」


 莉音はずっと迷っていた。いや、恐れているのかもしれない。また自分にとって大切なものが、ある日急に目の前から消えてしまうかもしれない、と。


 だからこれ以上、大切に思わないように、異性として意識しないように、自分の思いに素直になるという一歩が踏み出せないのだ。

 他のどんな物よりも大切なものを失う恐怖は、もう味わいたくないから。


 結愛に想いを伝えれば、多分だが受け入れてもらえると思う。自意識過剰かもしれないが、結愛の言動からはそれを感じさせた。


 だが、そこに生涯隣にいる保証は何もない。いつかは離れてしまうかもしれないし、そのうち愛想を尽かされるかもしれない。


 また、自分の元から居なくなってしまうかもしれない。

 そんな臆病な考えに、莉音はなってしまうのだ。


 しかし、それはきっと結愛も同じことだろう。莉音と似たような過去を持つ結愛だからこそ、今の莉音の悩みにもある程度は理解があるはずだ。


 だが、ここで2人の中で決定的に違うのは、離れるかもしれないという恐怖よりも、絶対に離さないという想いが強いということだろう。


 結愛はその離さないという想いが強く、莉音は離れるかもしれないという恐怖が強かった。

 

 莉音は本当は自分の想いに気付いているはずなのに、逃げていた。



「莉音くんは精一杯迷って、たくさん困ってくださいね。それで出てきた答えに、私は従うので……」

  

 だがその逃げるという行動を止める時が、そろそろ近付いていた。

 正確に言えば、結愛を独占したいという想いが、過去のしがらみを上回ってきていた。


 もちろん、今更過去のことを引きずっている訳ではない。

 ただ、そこでの辛い記憶や恐怖心よりも、結愛への想いが強くなっているということだ。


 そして少しずつだが、自信も持てるようになってきた。だからだろう。前よりも自分に素直になれたのは。


 結愛の全てを受け止めてくれるような聖母のような笑みに、温かさや優しさを感じた。



「な、なのでその……答えによっては、莉音くんが男性的に喜ぶようなことを求めてきても、恥ずかしいけどちゃんと受け入れます、よ?」


 そんな発言を至近距離で愛らしく首を傾げながら言うものだから、莉音の心臓は鼓動が高まる。

 そして同時に男性らしい思考を、頭に浮かべてしまう。


 ただ平静を保てていないのは莉音だけではなく、結愛も同じことだった。

 

 結愛は仕草一つで伸びた髪を揺らし、瞳にも動揺が隠しきれていないかった。普段さ穏やかな海のような瞳も、今は大波が出来ていた。



「そ、そろそろ美鈴さん達の所に戻りますか?お昼も食べ終わったことですし……」


 その動揺を隠すように、結愛は莉音にそう言った。ただそれに上手く頷けなかったのは、莉音の中にまだ独占欲が残っていたからなのかもしれない。



「…………なぁ結愛、文化祭もいいけど、俺がこのまま2人で過ごしたいって言ったら、どうする?」


 ついそんな言葉を吐いてしまうくらいには、莉音は結愛に依存していた。



(俺はずるいな)


 今の莉音には、その自覚があった。結愛が莉音にそんな事を言われて、断るわけがない。


 だって、これまで莉音がお願いしたことが断られたことなんて、ただの一度もないのだから。



「ふふ。莉音くんが言わなかったら、私が言おうと思ってました」


 結愛が莉音からのお願いを聞けば、心から嬉しそうに頬を緩めた。

 

 それは年相応のあどけなさのある、幼気の残った可愛らしい笑みではない。

 1人の女の子として、莉音からのお願いに心揺らされているような、そんな笑みだった。



「…………本当、俺はつくづく結愛には敵わないよ」

「私に、虜にされてます?」

「むしろ依存、させられてるかもな」

「ではもっと私に依存して、いずれは私なしでは生きられない体にしてあげますね」

「…………それは俺をドキドキされるための口実で?」

「本心です」


 結愛は、莉音を離さないと言わんばかりに重ねた手を強く握る。

 そして嘘偽りのない表情に、純粋な瞳。

 つい気を緩めたくなるような甘い声に、全てを受け入れてくれそうな包容力のある雰囲気。


 触れれば折れそうなほど細く華奢だが、それでも暖かく柔らかい。


 今の結愛は全てを兼ね備えており、聖母でもあり天使でもあった。



「じゃあ、私に依存しているらしいですし、またぐっすりと休んでおきますか?」

「休むって、どこで……」

「莉音くんが望むなら。私はどこでもお貸ししますよ?」

「そういう意味じゃない」


 ふふと悪戯に笑って見せる結愛は、莉音の反応を見て幸せそうに頬を解く。

 次に莉音が結愛の顔を見た時には、今から何をするつもりなのか、顔は真っ赤に染まっていた。



「きょ、今日はその、、、いつもよりもワイヤーのしっかりしたやつを着ているので、弾力もあるかも、です」

「…………そ、それはまた今度でいいから」

「今度、ですね、、、」


 お淑やかな雰囲気と清楚なオーラを纏いながら、結愛はそんな大胆なことを言うものだから、莉音としては意識しないようにしても意識してしまう。


 恥じらうように頬を染め、ぱちぱちと瞼を数回閉じたり開いたりをする。時折見える瞳はあちこちに泳いでおり、結愛は羞恥に溺れているようだった。

 


「それより結愛が休めば?俺は昨日も結愛にお世話になったし。俺のでよければ胸くらい貸すぞ」

「いえ、莉音くんが甘えるべきです」

「結愛が、だ」

「莉音くんが、です」


 本館からの騒ぐような声が聞こえる中、2人はそんなやり取りで揉める。

 どちらも譲り合い、どちらも折れなかった。



「…………なら、2人同時に、というのは?」

「見事な折衷案です」


 それなら、と付け加えて莉音が話せば、結愛は納得したように頷いた。


 莉音の提案を好意的に受け止めた結愛は。莉音の体にそっと腕を回す。莉音も莉音で結愛の体に腕を回し、キツくならないように優しくて包み込んだ。

 

 薄くなった夏服の生地では、体温すらお互いに影響を及ぼしそうなほどに伝わる。


 もちろん柔らかな感触はあちこちに伝わるし、匂いも鼻を掠める。

 結愛の肉付きの少ない背中に手が触れたりすれば、結愛はびくりと体を震わせる。


 お互いの匂いが混ざり合いそうなほどにぎゅっと抱き合えば、結愛は瞳を閉じて、心地良さそうな顔を浮かべた。



「もしこの状況を誰かに見られたらどうします?」

「そうなったら、俺が男を見せるしかないな」

「それはどういう意味ですか?」

「…………内緒だ」


 いつもの仕返し。そう笑って話す莉音が色々なことへの決意が出来たというのは、今はまだ莉音本人しか知らない。





【あとがき】


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