第107話 許嫁と初めてのいけないこと
「莉音くん、そろそろ寝ますか?」
また平穏な生活が続いたある日、お風呂も済ませて、リビングで2人のんびりとテレビを眺めていれば、そんな声が横から聞こえてくる。
「そうだな、もうそろそろ寝るつもり。明日は土曜日だけど、変な習慣つけるわけにはいかないし」
「そういう所真面目ですよねぇ」
今の時刻は11時過ぎと、週末の金曜日ということもあり、寝るには十分な時刻だった。
普段なら結愛とは9時過ぎくらいに別れて部屋に戻るのだが、この日はお互いにソファから全く動かず、ついにはこの時間まで一緒に過ごしていた。
「俺はただでさえ結愛に支えてもらってる身だぞ。せめて自分で起きるくらいしないと本格的にダメになる」
「私は莉音くんを朝起こしてもあげても、別に全然苦ではないですけど」
テレビの音が変わらず響くリビングでは、当然2人の話し声も当然響く。夜は一層響いて聞こえるので、二人だけの空間ということを強く主張した。
いつもは明かりのついた外の景色も、今ではすっかりと暗くなっていて、月の光だけが街に綺麗に差し込んでいた。
そんな空気感での結愛の発言なのだから、もちろん莉音も結愛のことを意識する。
頭を何度も上下したくなるような結愛の提案だが、唇を噛むことで何とか堪えた。
「俺の立つ瀬がマジでなくなる。てかもう朝自分で起きるくらいしかすることがないって時点で、すでに立つ瀬なんてないけど」
「それならもう私が起こしてあげましょうか?」
「…………遠慮しておきます」
「あら残念」
クッションを抱き、莉音の方に顔を向けていた結愛は、微笑みながらそう言った。
結愛の中で莉音の世話をするのが苦じゃないというのが、莉音には心臓を掴まれているような感覚だった。
「結愛はまだ寝ないのか?」
「私はもう少しここにいます。まだ眠くないので」
「夜更かしなんて悪い子だな。シンデレラタイムなんかは気にしないのか」
「まさか莉音くんから、男の人からそこを指摘されるとは……」
「女性に対して気を遣ったんだけだから。まあ本人が気にしないなら良いと思うけど」
隣で小さな体を曲げて座っている結愛に、莉音は言葉を掛ける。
シンデレラタイムという、22時から2時までの肌のゴールデンタイムとも呼ばれるその時間は、女子相手には気を違うべきだものだと思った。
何でも成長ホルモンが分泌されて、綺麗で健康的な肌を育むことが出来る時間なんだとか。
結愛がその時間に何をしているのかは知らないが、肌荒れの知らない雪のように白い肌をしているから、意識しているのではと莉音目線では感じる。
そんなこともあり結愛に確認をしてみたのだが、そこまで意識している様子はなかった。
「ま、俺は流石にそろそろ部屋戻るわ。このままここで結愛と過ごすのは魅力的だし楽しそうだけど、俺が駄目になる」
「そうですか…………。では、お休みなさい」
「おう、おやすみ」
「また明日」
「また明日」
最後はいつもと同じように、その言葉をお互いに言い合って立ち上がる。何ともないさりげない一言だが、莉音はこの時間が好きだった。
明日も会いたいと、そんな約束をしているような気分になれるから。
「…………あの、や、やっぱり、ちょっとだけ待ってください」
「ん?どうした?」
満足な気分で部屋に戻ろうと一歩目の足を出した莉音だが、二歩目が出ることはなかった。
それはわざわざ言う必要もなく、結愛が莉音の服の裾を掴んだからだ。
きゅっと指先で小さく握り、抱いていたクッションで恥ずかしがっている顔を隠す。
「今からって、もう寝るだけですよね?」
「そのつもりだけど」
「じゃあ、少しだけ私に時間をください」
この時間から何をするのだろうか。そんな疑問が生まれたが、目の前の可憐な少女からの上目遣いに勝てるはずもなく、莉音はすぐさま頷いてみせる。
「別に少しじゃなくて、どれだけでもあげるぞ」
「それなら、莉音くんの時間たくさんもらいます」
「おー好きなだけもらってくれ」
莉音は起こした体を再びソファに沈めて、結愛の隣に座る。莉音の服を掴んだ結愛の手は、莉音を逃さないと言わんばかりに、ソファに座ってからもずっと掴んだままだった。
「それで、何するんだ?」
深呼吸を行い、心を整えた莉音は、結愛に何をするのか尋ねる。
「…………笑いませんか?」
「俺が結愛を笑うわけないだろ。笑うのは結愛が可愛いことした時だけだ」
「むぅ。その可愛いは絶対子供扱いの可愛いです」
「さあね、どうだか」
「…………いじわる」
ムッと唇を尖らせて不満げな顔をする結愛は、莉音の言葉に頬を膨らませる。
その仕草すら可愛いのだから、美少女というのはつくづく男の心を抉る。
「可愛い」
「ぜ、絶対馬鹿にしてます!もういいです!さっきの話は忘れて、莉音くんなんてさっさとお布団被って寝ちゃえばいんです!」
「随分と可愛らしい罵倒だな、」
「まだ言う……」
語尾と声量を上げて、莉音に罵倒するような口調で話す結愛だが、その内容はただただ優しさに溢れていた。
莉音からすれば微笑ましいことなのでまた笑ってしまうが、結愛からしたらそれすらも不服なのだろう。「むぅ…」と甘い声を漏らしていた。
「悪いことを言うのはこの口ですか?」
「いでっ!ごめん、謝るから!」
「分かればいいんです。まったく」
不満が溜まった結愛は、それを発散するように莉音の口を横に広げる。それが照れ隠しの行動だというのは、結愛本人しか知らない。
莉音が反省した姿を見せたら結愛もすぐに手を止めて、「次はもっと酷いことしますからね」と脅しにすらない言葉を残していた。
真っ赤に染まった耳を、長い髪で隠しながら。
「で、結局何をするんだ?」
ふぅと一息置いた莉音は、結愛に改めてそう尋ねる。
「一応言っておきますけど、もう莉音くんに拒否権はないですからね」
「結愛のお願いに拒否なんてしないよ」
結愛は話し始めたと思えばそんな前置きをして、莉音の逃げ道を塞ぐ。
元から逃げるつもりなどない莉音には、あまり意味のない前置きだが。
「その言い方、ずるいです」
「何が」
「言っても伝わらないので内緒です」
今度は不満、というわけではなく、ちょっぴりと恥じらいの混じった表情を莉音に見せつけた。
近くにあった大きめのクッションを手に取り、それを体全身で抱くように体を曲げる。
それが莉音には小動物にしか見えないものだから、素直に可愛いと思ってしまう。
「…………その、莉音くん、、、。今日は少しだけ、いけないことしませんか?」
結愛は顔を赤く染め、長い髪を揺らしながら顔を傾け、莉音にそう甘い声で誘惑するのだった。
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