第106話 結愛は莉音のそういう所が好き

「しゅうくん、あーん」

「すず、あーん」


 いつからだろうか。男子の中で霧中修馬を許すなという風潮が生まれたのは。

 莉音と結愛に交際報告をした花森さんと修馬は、それからというもの、事あるごとにこうしてイチャついていた。


 周囲のクラスメイトはそれを学校での生活中ずっと見せられるものだから、修馬は一部の男子から反感を買う。

 そもそも花森さん自体の顔立ちのレベルも高かったので、中には良いなと思う男子もいたのだろう。


 それも相まって、霧中修馬を許すなという風潮が生まれた。


 まあ本人達が気にしている様子は一切ないのだが。



(…………あれ、結愛は?)


 そんな数日が続き、いつもは花森さんと昼食を共にしていた結愛だが、最近では他の人と食べるようになっていた。


 結愛も「付き合ったばかりの2人の邪魔はしたくない」と言っていたので、昼食の時には距離を置いたのだろう。

 家では2人が電話をしている声も聞こえたので不仲になったとかの心配はないが、それでも胸騒ぎはしていた。



 そしてその予感は見事に当たり、いつもは少人数で食べていたはずの結愛の姿が、今日は教室にはなかった。

 莉音もずっと結愛のことを見ていたわけではないのでふとした時に気付いたのだが、その時にはもうすでに遅かった。



「何でこんな所で食べてんだよ」


 そこから莉音は校舎を回り、結愛のことを探す。結愛と話したわけではないが、何となくいそうな場所の目星はついていた。


 多分だけど、人の通りが少ない、割と静かな場所にいるだろうと。



「莉音く、、、八幡さん……」


 莉音の予想はズバリ的中し、本校舎ではなく別館にある人の通りがほとんどない最上階の階段に、結愛はポツンと座っていた。

 莉音と色違いの弁当箱を膝の上に乗せ、1人寂しそうに箸を持ちながら。



「別にいつもの呼び方でいいよ。どうせ近くには誰もいないから」

「そう、ですね」


 そこに座っていた結愛はあまりに酷く冷めた目をしていた。まるで出会った当初のような、誰も懐に寄せ付けない瞳を。


 莉音が姿を見せてからは多少はマシになったが、それでも顔から悲しさが消えたわけではなかった。



「莉音くんは、よくここが分かりましたね」

「まあ、それが俺の役目だしな」

「…………そうでした」


 ふふ、と小さく笑うと結愛だが、それが無理をしているというのはすぐに分かる。本当の結愛の笑みは柔らかくて優しくて、それでいて温かい。


 なので今のような冷めた瞳も、寂しげな面影も、本来の結愛には備わっていないのだ。

 

 しかし莉音は、だからこそ思った。またそんな悲しい顔をしているのは一体何故なのかと。

 もう二度とそんな顔をさせたくないと、させないと決めたはずなのに、なぜまた悲しそうな顔をしているのかと。



「それで、結愛は何でこんな所で1人寂しく食べてんだよ」

「…………私、教室にいても一緒にお弁当を食べてくれるような友達はいないので」


 端的に述べられた言葉だが、その言葉に似合わない重さと心悲しげな雰囲気が、べったりと張り付いていた。



「でも別に寂しくはないですよ?莉音くんと出会う前は、割とこんなものでしたし」


 「慣れてますよ、」そう付け加えて話す結愛は、また無理に微笑んだ。頑張って笑みを浮かべようと顔をひきつらせ、そして少し温情のこもったような声で。



(じゃあ、何でそんな辛そうな顔してんだよ)


 今の結愛の挙動一つ一つが、莉音にはとても儚く見えた。少し触れれば簡単に消えそうで、それほどまでに哀愁を漂わせていた。



「皆んな私の機嫌を窺って、親しくなろうと下心が見え透いてるんです。中には男子から頼まれて仲良くなろうとしている女子もいるそうですから」


 莉音の目の前にいる少女は、小さい体を震わせて、瞳を滲ませていた。

 結愛がここまで落ち込んでいるということは、もしかしたらそのやり取りを直接見たのかもしれない。


 そして怖かったのだろう。誰だって下心や企みを持って近付かれたら、気にしないように割り切っていても恐怖は感じる。

 結愛の場合は人一倍その傾向があるから尚更だ。


 まあ女子の場合はそれ以外にも色々ないざこざがあるのだろう。結愛がそれに興味を持っているとは思えないが、同性からの嫉妬というものは常に理不尽なものだ。


「純粋な好意で私と友達になろうとしてくれる人なんてほとんどいないんです。いつも一緒に食べてくれてた方々も、周りの視線に耐えられなくなったのか静かに離れてしまいましたし」


 震えた手でスカートをぎゅっと握り、その仕草が結愛の心情を表す。怖い、悲しい、寂しい。

 そんな感情が、結愛の姿を見ている莉音に流れ込むように伝わった。



「まあ前のクラスの時はそれでも一緒に食べてくれる人が数名はいましたが、やっぱりどうしても1人の時はありました」


 ボソッと消えそうな声で呟く結愛は、声色からも寂しげなオーラを感じさせる。細く凍えていて、とてもじゃないがその華奢で小柄な体が背負っているとは思えない重みが、声になって表わされていた。



「はぁ……。本当に目を離せないよ、結愛からは」

「…………莉音くん?」


 莉音が自分の気持ちを言葉にすれば、結愛は困惑したように首を傾げる。

 そして持って来ていた弁当箱を床に置いて、結愛の隣に座った。



「何、どうした」

「いえ、こんな所に2人でいるのを見られてもいいんですか?」

「こんな所で1人で弁当食べたいか?」

「…………食べたくないです」

「なら俺もここで食べるよ」


 莉音はこんな話をするまでもなく、一緒に弁当を食べる気でいた。

 結愛も1人で食べるのはやはり嫌だったようで、莉音の提案を拒否することなく静かに受け入れた。


 そっと莉音が隣に座ったら、結愛は少しだけだが頬に明るみを取り戻した。



「別に2人でいたら必ずバレるってわけじゃないし、そんなに気にしなくていいだろ。バレた時の心配よりも今の方が大事だから」

「そうですね、」


 莉音は結愛の方を向いてそんな発言をしながらも、手を伸ばして結愛の頭を触れた。自分でも何故こんな大胆なことを学校でしたのかは分からなかった。


 だが一つだけ確かなのは、結愛がとても幸せそうな顔をしていたということだ。


 莉音が結愛の頭に触れれば、結愛の冷めた体温が手の平越しに伝わる。結愛の体温が莉音にも届くということは逆もまた然りで、莉音の体温も結愛に伝わる。



「ま、修馬達も毎日一緒に弁当食べるわけじゃないと思うけど、俺はしばらくはここで食べようかな」

「ここで、ですか?」

「俺は教室に行っても普通に友達がいないからな。それならこういう静かな雰囲気の場所で食べた方がいい」


 いくらなんでもそんな言い訳は苦しすぎたか。結愛のためを思っての発言だが、莉音は少し心配になる。


「結愛はどうする?俺は明日からもここで食べるつもりだけど?」

「…………私もここで食べます。しばらくじゃなくて、ずっとここで食べます。莉音くんと2人で」

「…………好きにしてくれ」


 そんな子供のように駄々をこねる結愛の瞳は、とても真摯な輝きをしていた。

 若干潤いがあるからか、聖水のごとく純粋で、汚れを知らぬ清らかな表情をしていた。


 その言葉が結愛にとってどれだけ救われて、どれだけ温まったのか、莉音には触れた手の平だけでは伝わらない。



「私、霧中さんと美鈴さんみたいに、あんな風に莉音くんと2人でいつか食べれたらなって、密かに思ってたので、凄く嬉しいです」

「そ、そうか……」


 さっきまで酷く冷たい瞳をしていた結愛は、今は緩んだ柔らかい目に戻っていた。

 大波のように揺れていたサファイア色の瞳は、浅瀬の海のような穏やかな落ち着きを見せる。



「やっぱり莉音くんには全てお見通しですね。私の欲しかった言葉も、欲しかった環境も、くれるのは全部莉音くんです」

「俺はそんな大したことはしてないから」

「莉音くんはそうかもしれないですけど、私にとってはとても嬉しいことなんです。莉音くんの声一つ聞くだけで心がポカポカと温まって、嫌なことも全て忘れられるんです」


 自分の胸の辺りをぎゅっと握り、本心からの言葉を口にする結愛は、小さな深呼吸をした後にまた続ける。



「私の暗かった世界を明るくして、そして手を差し伸べてくれるのは、いつだって莉音くんです」


 結愛はそう言って、顔全体で喜びを表した。表情はゆるゆるになったなんてレベルではなく、莉音の体の中に入り込みそうなくらいにとろけそうだった。


(…………本当、心臓に悪い)


 笑みを莉音に向けた結愛は、そっと莉音の手を握って、きゅっと力を込める。結愛の細い指は先端まで冷えており、莉音との体温の差が感覚として分かりやすく伝わる。


 結愛はそれでも頬をぽっと色付けており、それを間近で見せられるのだから、莉音の心臓も当然高鳴った。



「…………なぁ結愛、一応聞いてみるけど、修馬達みたいなのに憧れてるってことは俺はあーんとかもした方がいいのか?」

「いや、えっと……それは……」



 しばらくの間莉音に触れていた結愛は、「そういうつもりで言ったんじゃないですけど」と照れた反応を見せながら、視線を泳がす。



「お願いしても、いいんですか?」

「嫌なら提案してないよ。ほら、早く口開けて」

「は、はい……」


 莉音は自分の弁当箱を開けて、箸を取り出してから結愛の口に入りそうなおかずを掴む。

 床に置かれた中身の同じ弁当が、2人だけの空間というのをより強く強調した。



「どうだ?感想は?」

「…………莉音くんのそういう所、好きだなって思いました」

「な、何の感想だよ」

「全て、ですかね」


 結愛の小さな口に箸を入れ、その感想を聞けば、高鳴った心臓にさらに悪影響を及ぼしそうな発言をされる。


 今の結愛に言われれば、少し前の悲しげな表情とのギャップで破壊力が倍増しているから、健全な男子高校生としてはとてもじゃないが耐えられる気がしない。


 それでも莉音は何とか理性のひもを何重にもキツく結び、再び結愛の方を向いた。



「今度は私があーんってする番ですよ?莉音くんも口を開いてください」

「俺もされんの?」

「美鈴さん達はお互いにやってましたし……提案したのは莉音くんですよ?」

「ぐっ、それは……」


 なんてそんな言い方をされれば断れるはずもなく、反論出来ずに口籠る。



「いいから開いてください?優しくするので」

「その言い方やめろ。側から見たら変な風に勘違いされる」

「生憎とその側からに該当する人はここにはいないので」


 半端強引に結愛からのあーんを受けた莉音は、「うっ」と声を出し、その攻撃力の前に悶えた。



「どうでした?」

「…………破壊力が凄かった」

「それは味付けに失敗してたってことですか?」

「それはない。ちゃんと美味かった」

「ありがとうございます」


 色々とツッコミたいことや言いたいことはあるのだが、とりあえずは弁当を作ってくれた結愛に今になって感謝を述べておく。


 いつもはお礼を言うのは学校から帰ってきてからだが、こうして学校の中でも感謝を述べれるのは、作ってもらってる側としては凄く助かった。



「じゃあ、残り時間も少ないから早く食べるか」

「…………私はギリギリまでというか、もうずっとここにいても……」

「何か言ったか?」

「い、いえ!早くお弁当食べましょう、、、!」


 そんなやり取りを行いつつも、2人だけの空間で幸せなお昼の時間を過ごす。

 そして家での結愛からの猛攻がこれからだということに、この時の莉音は気付いていなかった。






【あとがき】


・4章もラストスパートです!引き続き応援よろしくお願いします!

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