第71話 許嫁と触り合い
「やっぱり莉音くんも髪柔らかいですよ」
「普通だと思うけどな」
俺が頭を少し前に出せば、結愛はすぐに手を伸ばして髪に触れた。
頭には、結愛の細い手が触れているのが感覚として伝わる。
結愛は楽しそうな表情をして、一心に見つめていた。
「それに莉音くん、いつもは前髪長いけど、上げたら青少年って感じしますね」
結愛はあちこちの髪を興味深々な様子で触れ、そして長い前髪を掻き上げた。
基本的に前髪は眉の下から目の上の辺りまであるので、掻き上げられると視界が広がり、明るさが増す。
お風呂の時以外は上がることのない前髪も、リビングで掻き上げられれば、普段とは見え方が変わった。
「…………つまり今までは青少年じゃなかったと?」
「はい。ちょっと冷めた表情をした、紳士で優しい人でした。まあ今までというよりは、出会ったばかりの頃の話ですけどね」
「何だそれ」
「よく分かんないです」
結愛はピクリとも表情を変えずに、至って平然とした様子で口を開く。今の話を聞くに、出会った当初に冷めた表情を顔に浮かべていたのは目の前にいる結愛だけでなく、俺も同じだったようだ。
それもそのはずで、自分は幸せになったらいけないと思い込んでいたのだ。意図していなくとも、負の感情は漏れ出ていたのだろう。
今でさえ結愛は、俺の事を青少年という印象は抱いておらず、安心安全な男の子とでも思っているかもしれない。
そんな昔の懐かしい心情と今の状況を比べながらも、俺は口角を上げた。
「…………何?」
俺がほんの少し口元を緩めれば、結愛は髪を触るのをやめて正面から向き合う。
結愛の瞳に自分の姿が映っているのを確認できるくらいには、近い距離で凝視された。
「いえ、こうして見ると、莉音くんって結構顔立ち良いなと」
「…………そんなことないから」
結愛がちょっとだけ後ろに下がって、いつもの距離に戻れば、俺は小さく息を吐いた。
どうやら結愛は俺の顔の作りを近くで見ていたようで、何のために見つめられたのか理解した。
その分析の結果が自分の中で納得出来ないのは、俺自身が自分のことを卑下して低く評価しているからだろう。
まあ特に誰かに言い寄られたりすることもないので、自分への評価が低いつもりはない。
「いえいえ。笑った時にくしゃりと崩れた表情とか、割と愛嬌ありますよ?」
「男に愛嬌なんてないし必要ないから」
「私はそうは思いませんけどね」
結愛は小さく微笑みながら、またも覗き込む。
大きな瞳を数回パチパチと瞼を下ろしたり開いたりし、全てを包み込む大海原のような青色の瞳で俺の姿を写した。
そして今度は、髪に触れるのをやめた結愛の手が、顔へと触れていた。
「…………ちゃんと鼻筋も通ってますし、唇も細くて血色良いですし、眉も整ってますね」
結愛は俺の頬に手を添えるようにして、さっきよりもまた一段と顔の距離を近づける。息が吹きかかりそうな距離に結愛はいて、真剣な眼差しで顔全体を見つめていた。
結愛の頬は、薄桃色をしていた。俺は戸惑いがバレないためにも、結愛と同じように頬に手を添える。
今の俺と結愛は、お互いに頬を触れ合った状態で、友達とは思えないほどの近い距離で目を合わせあっていた。
「目も赤くて綺麗ですね」
俺の目には、結愛の海のように綺麗なサファイアの輝きをした瞳が映った。口を開いている結愛は、妖艶な表情の緩め方をする。
顔全体を観察し終わったらようやく結愛が離れてくれたが、俺の心臓は未だに高鳴ったままだった。
「莉音くん、これで性格も良いのに何でモテないのでしょうか」
「冷めた表情してるからだろ?」
「…………根に持ちますね」
「実際そうなんだろうし」
俺からすれば、何でこれでモテると思われているのか不思議でしかない。
俺よりも顔が良くて性格が良い人なんて世界にはごまんといるし、冷めた表情よりも明るい表情をした人の方が多いはずだ。
他の人に誇れるものも持っていないので、異性に想いを寄せられないのも納得がいく。
まあモテたいという欲もないので、今のままでいい。好きになったたったの1人から想いを抱かれさえすれば、多くの人からはモテなくてもいい。
俺が好意を寄せている異性として好きな女性なんて、今はいないが。
「それに比べて結愛なんて、顔の作りが丁寧で綺麗だし、おまけに柔らかい内面してるからモテるのも納得だよな」
「まあ私だって一応は女の子なので、努力はきちんとしているつもりです」
俺とは真逆で、結愛が数多の男から思いを寄せられているのはすぐに理解がいく。そもそも美少女だと誰もが納得する顔立ちなので、それだけで好意を抱かれることだってあるのだろう。
おまけにお淑やかで品のある性格だ。そりゃ人の心を惹くのも分かる。
「…………でも、莉音くんにだけですよ?こんな風に打ち解けて話せるのは」
「そうかよ」
つくづく可憐な姿をした結愛がずるい。目の前でキョトンと嘘偽りのない表情を向けられてそう言われては、嫌でも勘違いしてしまう。
それが招かなざる男心というものなのか、心臓の鼓動は高鳴るばかりだった。
「…………近づいたら意外と初心な反応を見せてくれる所とか、結構ギャップあります」
近づいた結愛の顔を見つめ、顔に熱が上り始めるのを自覚すれば、結愛は見透かしたような口調と声色をして柔らかな笑みを浮かべる。
「ひゃっ!………何するんですかっ!」
「結愛が揶揄ってくるから、仕返し」
俺はそんな結愛の頬を優しくつねった。決して痛くないようにあまり力を入れず、両手で頬を伸ばした。
小顔なのに柔らかくてモチモチとした感触が指先に伝わってきて、つい調子に乗って何度も何度も繰り返してしまう。
結愛の高く甘い声が、リビングに甲高くずっと響いていた。
「…………なら私も仕返します」
「何でだよ」
「仕返しの仕返しです」
「何だそれ」
「莉音くんがずっと頬をいじってくるので」
結愛は目を鋭くし、そして華奢で細い腕を伸ばした。結愛の指先は髪や顔に触れ、仕返しの仕返しは言葉通りに行われる。
俺も今は何もかも忘れて、童心に帰って気を緩めた。
「…………結愛、仕返しの仕返しはもう満足か?」
そこからしばらくお互いに触り合い、最終的には俺が先に折れた。流石にいつまでも結愛の髪や頬に触れるのは良くないと、ふと我に返った。
隣を見ればボサボサに崩れた髪をしている結愛が、疲れた様子で下を向いている。
「おーい結愛さーん?」
俺がそう呼び掛けても返事は返ってこない。もう一度呼び掛けようと思い口を開こうとすれば、結愛はのっそりと顔を上げた。
そしてどこか儚さのある、頬を染めた面で俺の心を蠱惑する。
「…………莉音くんのいじわる。……べーっ!」
舌をちょこんと出し、あどけなさ全開で子供らしさを感じさせるその表情は、何故男子が女子にちょっかいを出すのか、その真理が一瞬で理解する出来た。
結愛の明るく、そして暖かくて柔らかい表情は、その後しばらく俺の思考を停止させるくらいには、可憐で魅力的で、可愛いらしいものだった。
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