第73話 許嫁の火照った体

「…………もしもし?」

「莉音くん?」



 送られてきた文章に返事をしようとすれば、結愛から着信が来る。荷物はリビングに置いていたはずだが、携帯だけは制服のポケットに入れておいたらしく、何とかやり取りが出来る。




「ど、どうしましょう、、、着替え…」



 結愛は困惑したような声色で、スマホに声を通した。




「どうするも何も、俺に聞かれてもだな……」

「それはそうですけど、、、」



 結愛が頼ってくれたのは嬉しいが、着替えとなれば手の施しようがない。かと言って結愛達をそのまま放置するわけにもいかない。



 どうするべきかと、一生懸命に頭を回した。




「とりあえず脱衣所に着れそうなのないのか?」

「はい、何もないです。全部洗濯しちゃいました」

「…………全部って、本当に全部か?」

「文字通り全部です」



 何か脱衣所にあればと思ったのだが、まああったら連絡が来るわけがない。

 おまけに着ていた服は全部洗濯したようで、本当に着替えがないらしい。




「…………つまり、今は一つも着るものがないということか?」

「そ、そういうことです」



 結愛達が持っているのはせいぜいバスタオルくらいで、その他には何もないと言う。

 スマホ越しにはバスタオルと思わしき衣擦れの音が小さく聞こえ、良くない想像が頭の中に広がる。




「ですから、お願いがあります」

「どうした」



 そんな俺にトドメ刺すかのように、結愛は躊躇なく男子高校生の理性をえぐりにきた。




「着替え、ここまで持ってきてくれませんか?」



 着替えを持っていく、それはバスタオル姿の結愛達と対面することになるだろう。

 まだ他にも考え方や方法はあったのだろうが、今の状態ではろくな思考が出来るはずもなく、俺は慌ただしく動揺を見せてしまった。




「は、はぁ!?俺が!?」

「莉音以外に頼れる人いないでしょう?」

「そうかもしれないけどよ、、、」

「それに頼っていいと言ったのは莉音くんですよ」

「そうなんだけど……」



 何故結愛はこんなにも平然としているのか、その理由が俺には分からない。

 着替えを渡しに行って色々とリスクがあるのは明らかに結愛達なのに、少しの動揺すらも感じさせない。



 声だけは震えているものの、俺が着替えを持っていくことには抵抗の一つすらないように思えた。

 



「私だって、出来るならこんなことお願いしたくないですよ?でも莉音くんだから、こうしてお願いしてるんです」



 結愛が俺を頼りにして信頼してくれている。それが良く伝わってきた。




「結愛の言ってることも分かるけど、それでも駄目だろ……」

「駄目、とは?」



 だがいくら頼られろうが、やはり簡単には頷けなかった。下心があるのかと言われると一概に否定も出来ないし、さっきから良くない想像が常に頭の片隅に浮かんでいる。



 今日は結愛だけでなく花森さんもいるので、その破壊力は壮絶なものになっているだろう。




「だって、俺が結愛に着替えを持って行ったら、その……見えるかもしれないだろ……」

「………っ!」



 俺も若干声を震わせながら、スマホへと言葉を発する。



 

「な、何でドアを開けて手渡しする前提なのですか!?扉の前に置いてさえくれれば、見られなくても着替えを受け取れますから!」

「…………確かに」



 冷静になって考えれば、結愛達は最初からそのつもりだったのだろう。それならこの冷静さも納得がいくし、平気で着替えを持ってきてと頼めるわけだ。




「…………莉音くんの変態、、」

「ぐっ……否定出来ない」



 流石に今回ばかりは言い訳する余地もなく俺に非しかなく、自分の愚かさを恨んだ。

 まだ行動には移さずにいたのでセーフだと思いたいが、それでも自分への出来の悪さの自覚は中々消えない。




「あの八幡くん、いつまで結愛ちゃんを半裸の状態でいさせるの?」

「…………花森さん」



 俺が自己嫌悪に陥っていれば、スマホからは結愛ではなく、花森さんの声が聞こえてきた。




「早く着替え持ってこないと、せっかくお風呂に入ったのに風邪引いちゃうよ?」



 花森さんはあくまでも結愛の心配をしているようで、俺の事をせめている様子はなかった。




「いいの?風邪引いちゃって」



 そんな要求に応えないわけにはいかず、俺は了承した。脱衣所に入らないなら問題ないし、結愛達の安全も確保される。




「あぁ分かった。今から脱衣所の前に着替えを置きに行くから、俺が居なくなってから取って」

「ふふふ。八幡くんは、結愛ちゃんのことになると心配症になるんだね」

「…………ただ風邪引いて欲しくないだけだから」



 それだけ話をして、俺はリビングから出た。




「じゃあ通話切るぞ?」

「はい。ありがとうございました」

「気にしなくていいから」



 結愛の安堵する声を最後に、通話を切る。鼓動の早まりを感じるが、それを気にすることなく着替えを用意し、2人のいる脱衣所へと向かった。




「結愛と花森さん、俺の服で悪いけど着替え置いとくからな」

「…………ちゃんと洗って返すので」

「おう」



 いくらなんでも結愛の部屋から着替えを持っていけるわけがなく、用意したのは俺の着替えだった。

極力あまり着ていないものを選んで、普通のシャツとスウェットのパンツを置いておく。



 シャツとスウェットの下に着る物は俺には用意出来ないので、それらを素肌に身につけてもらうしかない。どう考えても、これ以上の着替えは俺には用意出来そうになかった。




「莉音くん、服持ってきてくれて助かりました」

「八幡くん迷惑をかけてごめんね」



 俺が脱衣所の前に着替えを置いてから数分後、2人はほんのりと風呂上がりの紅潮を残したまま、リビングにやって来た。




「…………なんで結愛はまだ俺の服着てんの?」

「美鈴さんが、そうしたら莉音くんが喜ぶって言っていたので……」



 リビングに戻ってきた花森さんは結愛の物と思わしき服に着替えていたが、結愛は俺が渡したシャツを着たままだった。



 もちろんシャツの中はちゃんと着たのだろうが、それでもパジャマや自分の服には着替えていなかった。




「てかズボンは?俺はスウェットのパンツも用意してただろ?」

「あれサイズが大きすぎてずっと下がってくるから履けないんですよ。それにこのシャツだってぶかぶかですし」

「それは悪かった」

「莉音くんは悪くないんですけど」



 目の前に立つ結愛は膝の上にまでシャツの丈が着ていて、言わずともダボダボ感が伝わってくる。俺と結愛の身長差では、そのくらいの差が出るだろう。



 シャツでこの有様なのだから、スウェットを履いたらゆるりと地面に落ちていくのが安易に想像出来る。



 少し見える真っ白な腿が、俺の目のやり場を困らせた。




「…………何をそんなに見つめてくるのですか」



 結愛の姿につい目を取られていたら、不審そうにこちらを見つめてくる。

 しかしこればかりは仕方ないと言わせてほしい。



 誰の目であっても惹くほどの美少女が、お風呂上がりに自分のシャツを着て姿を表すのだ。いくら下心や邪な考えが頭の中に浮かばないようにしているとはいえ、その姿を脳裏に焼き付けてしまう。



 ましてやチラッと細い純白の腿が目に映るのだ。それを無視しろというのが無理な話だ。




「…………いや、下にも何か履いた方が良いんじゃないかなと。その、風邪引くぞ」



 俺は咄嗟に口を開き、反射的に答えた。




「それなら心配しなくて大丈夫だよー!結愛ちゃん下にはショートパンツ履いてるから」

「なら、まあいいけど」



 ああどうりで。花森さんの話を聞いた後に、そう理解した。

 いくらなんでも人一倍ガードの固い結愛がシャツ一枚で来るわけがない。だから何かしらあるのだろうとは思ったが、シャツの中にショートパンツを履いているようだった。



 それならぶかぶかのシャツに隠れて見えないのも納得がいくし、結愛が平然とした様子で話しているのも頷ける。




「あ、そうでした。私は一度鞄を部屋に直しに行きますね。少しかもしれないですけど、乾かしてくれて助かりました」



 俺との話に踏ん切りがつきそうになると、結愛は大きめのタオルの上に置いてある鞄に目を向けた。




「じゃあ私も結愛ちゃんの部屋に行こうっと!」

「歓迎しますよ」

「わーい!」



 2人は微笑ましいやり取りを行い、鞄を取るために腰を曲げて手を伸ばした。



 その時、結愛の大きめの服は胸元のガードを緩め、ちょうど俺の視界に入る場所でゆらりと肌との隙間を空けた。




「莉音くん?どうかされました?」



 結愛の日焼けの知らない雪のように白い肌が一瞬露わになり、デコルテの部分までが俺の瞳に映った。その先の景色は、すぐに目を逸らしたので見えていない。



 だが、女性経験のない俺には、それだけでも十分に刺激が強かった。



 側から見て、顔に熱が昇っているのが分かるくらいには。

 



「…………あっ、、、」



 結愛は咄嗟に緩んだ胸元をぴしゃりと直し、瞳を宙に泳がせて頬から顔全体に赤みを広げた。




「…………莉音くんのバカ、えっち」



 染まった頬に揺れた瞳、甘く単調な声と恥じらう様子を表す動き。それらと共に出された発言には、少々揺れ動くものが大きかった。



 罵りの発言だが声色は冷たくなく、むしろ声のトーンは高いまである。結愛は決して虫の居所が悪いわけでもなく、ただ純粋に恥じらっているだけだった。

 



「……お、俺ココアでも入れてくるわ」

「八幡くん、私はミルクティーがいいな」

「了解。結愛はどうする?」

「…………コ、ココアでお願いします」



 気を紛らわせ、そして空気感を変えようと飲み物を用意する。

 俺の頬にあるほとぼりは、まだしばらく冷めそうにはなかった。

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