第60話 許嫁と母

「…………あの、お母様ですよね?」



 結愛と同じ、黒髪のロングヘアーが綺麗に映えているその女性と目が合えば、結愛は再び言葉を発した。



 結愛の瞳は分かりやすく揺れ、表情全体としても震えが見られた。




「…………どちら様でしょうか?人違いされているのではないですか?」



 街の中にスーツ姿で姿を見せているその女性は、結愛の表情に戸惑いを見せながらもそう言い放った。



 俺は結愛の母を見たことがないので、今目の前にいる女性が本当に結愛の母なのか、それとも人違いなのか、その判断が出来ない。



 しかし、整った端正な顔立ちに、人目を集めるロングヘアーを見れば、それはどこか結愛と似た面影があった。




「いいえ。私が見間違えるはずがないです」



 結愛の瞳には今にも雫が溢れそうになっていて、言葉の語尾を強めた。どうやら結愛は母だと確信しているようで、言葉の節々に強く気持ちを込めていた。



 子供は歳を取るごとに見た目が変わっていくが、大人はそう大差ない。

 もちろん変化はするが、背丈や雰囲気が簡単に変わるわけではない。



 さらに結愛の場合は、他に滅多にいない丁寧な顔立ちだ。今、目先にいる女性と雰囲気こそ異なるものの、その似た風貌は隠しきれない。




「そう言われても困りますね。私は貴方のことなんて微塵も知らないですし、記憶にもないです」

「で、でも……」



 結愛の母と思わしき人物の目は、とても冷たかった。俺の養親と同じような、そんな冷めた眼差しだった。



 結愛の悲しい表情なんて気にも留めずに、端的に言葉を述べる。



 この女性が結愛の母だとして、もしかしたら自分が今話しているのが結愛だと気づいていない可能性もある。



 結愛の母が家を去ったのは、まだ結愛が幼い頃だったらしいので、長い期間が空けば気づかないのにも納得はいく。



 でもまあ、それはあり得ないだろう。

現に、結愛に母と言われても冷たい目を向けたままなので、気付いていないなんてことはありえない。



 あるとするならば、意識して無視をしているのか、本当に知らないのかのどちらかだろう。

 


 まあ当時小さかった結愛を見捨てて家を出たのだ。そりゃ本人に向ける顔がないから、他人のフリをする他ないのだろう。



 

「あの、もう良いですか?これから仕事があるので」

 


 終始素っ気ない対応をし、更には帰りたいという意志さえ見せる。そのぶっきら棒な言い方に、結愛はより一段と暗い顔をしていた。




「…………いつか迎えに来るって言ったのに、、」



 後ろを向いてその場を立ち去ろうとした女性は、結愛の言葉を聞けば、ピタリと足を止めた。眉をピクリと動かして、ぐっと唇を噛み締める。



 数秒間だけ瞳を閉じて、背けた顔を再び結愛へと向けた。




「これ以上は、迷惑行為で警察に連絡しますよ?それとも、私自らの裁きでも受けますか?」



 ついに女性は最終手段に出て、結愛に愛情の欠片もない一言を発する。

 スーツ姿の女性の襟元には、弁護士バッジが付いていた。



 だが今のその表情は、先程までの冷たく無関心な顔ではなく、ちくりと心を痛めた、結愛と同じような悲しげで暗い表情だった。




「では失礼しますね。…………いつか貴方を迎えに来る人がいることを願っています」

「…………お時間取らせてしまって、申し訳ありませんでした」

「それでは」



 結愛の表情は、また前のような顔に戻っていた。俺と同棲を始める前の、負の感情に埋め尽くされていた哀愁漂う表情に。



 そして、数分前の明るい表情とはどんどんかけ離れていき、悲しげなオーラが結愛を覆い尽くす。

 まだ結愛は過去を完全に振り切れていたわけではなく、心のどこかで期待していたのかもしれない。



 母は迎えに来てくれると。



 それでやっと今日出会ったが、受けた扱いは酷いもので、娘に向けるものではなかった。




(…………俺は何も出来なかった)



 そんな2人のやり取りをすぐ側で見ていたのにも関わらず、俺は何一つ行動することが出来なかった。



 結愛の表情が少しずつ暗くなっていくのを隣で見ていたのに、言葉一つ掛けられなかった。



 そんな何も出来ない自分に嫌気が差した。




「結愛、ごめんね……」



 背を向けて距離を取る女性の口からは、そう溢れた。

 声色は結愛と話していた時よりも高く、声全体としても震えていた。



 その言葉が、周りを見えずに落ち込んでいる結愛の耳に届くことはなかった。








【あとがき】


・もう少しだけ、しんみりムードが続きます。



ちなみに、母はかなり先に再登場します。



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