番外編 許嫁と夕食の話
「結愛、今日の夕食は俺が作るよ」
春休みが始まった初日の夜、学校があるわけでもないので時間を持て余している俺は、キッチンに立ち夕食の準備をしようとしている結愛の隣に立った。
「いいですよ。これは私の日課みたいなものですから」
「でも俺も時間あるから、作れる時は作りたいなと」
「私から生き甲斐を奪うつもりですか?」
「生き甲斐って、大袈裟すぎないか?」
これまで毎食頼ってきたので、せめて休みの日くらいは俺が作りたい。
まあ何もせずにこの3食出てくる生活に慣れてしまったので、気まぐれでもなければこんなことは起きない。
「大袈裟すぎません。本当に私はそう感じています」
「それはありがたい限りなんだけど、やっぱり毎日3食作ってもらってる身としては、たまには作らないと申し訳ないんだよ」
俺は気まぐれと言いはしたが、毎日少しずつ感じる申し訳なさが積もりに積もり、こっちも作らなければと思わせるのだ。
もちろん食事は当然に美味しいので、そこに不満や文句はない。
「いいじゃないですか、申し訳なくて。別に誰もそれを非難しませんよ?」
「そう言われるとそうなんだが……」
だが結愛は、その俺の薄らとした申し訳なさすらも包み込んでくれるようで、それに身を任せてしまいそうになる。
「許嫁として一緒に暮らしているうちは、とことん頼ってくれていいのです」
そんな甘い誘惑をされては、つい気が緩んで頷きそうになった。
とは言いつつも、すでに頼れるだけのことは頼りきっているので、他にお願いすることもない。
現時点で頼れるだけのこと全てを頼ってしまっているのは、同棲をする上でかなり俺が甘やかされていると言えるだろう。
「その理論でいくなら、結愛もたまには頼ってくれないとだな」
「私はすでにたくさん頼ってます」
「ならもっと甘えて」
「甘えるのは莉音くんでしょう」
「何故俺なんだよ」
結愛は許嫁で同棲をしているうちはいくらでも頼ってもくれて良いと言うが、それは俺にも言えることだ。
ただ俺には他にすることもないので、甘えてもらうしかない。甘えて欲しいだなんて考えは彼氏でもないのに失礼かもしれないが、許嫁という彼氏よりももっと上の関係なので、大きな問題はないだろう。
それなのに俺に甘えて欲しいだなんて、結愛は俺をどこまで堕とす気なのか。とてもじゃないけどその懐の広さは計り知れない。
「…………どうしても譲らないのか?」
「どうしても私に作らせてくれないのですか?」
その後数分間に渡って討論は行われたが、結果としてはどっちも譲る気はなかった。
結愛からしたら生き甲斐のようなものなのでそう簡単には譲りたくないのかもしれないが、たかが一日のたかが一食くらいは、俺に作らせて欲しかった。
作ってもらってる身なのにそんなことを言うのはおこがましい気もするが。
「なら力づくだな」
「え?」
話し合いで解決しないなら、もう力づくで結愛をキッチンから退かせるしかない。
そう思った俺は、結愛の足を片方の腕で持ち、上半身をもう片方の余った腕で支えた。
華奢で軽い体を持ち上げ、世間一般に言うお姫様だっこの状態にしてしまえば、さっきまで勢いよく言葉を発していた結愛も、静かになった。
「ちょっと!?莉音くん!?」
俺に抱かれ、しばらく無になっていた結愛は、歩き始めると同時に口を開く。声はいつもより高くなっていて、腕の中でじたばたと小さく暴れる。
「あの、下ろしてください!!はっ、恥ずかしいんですけど!!」
声高らかにそう述べた結愛は、言葉の通りみるみると頬を赤くしていった。
腕の中を見下ろせば、瞳を潤わせ、上目遣いで俺を見つめる結愛が視界に映った。
「それに私、重いですし……」
「結愛なんて軽い」
筋トレの有無はさておき、結愛は元から細身で小柄だから、羽根のようにふんわりと軽い。
「でも、それでも下ろしてください!」
結愛は腕の中で必死に俺に訴えかける。
「…………なら俺が作ってもいいか?作っていいなら下ろす」
「もういいですよ!お好きにしてください!」
結愛からその言葉を聞けたので、ソファの上に痛くないようにゆっくりと下ろした。
この時の結愛の服装は薄手のニットにプリーツスカートを履いていたので、スカートがめくれないようにより注意した。
「莉音くん、女の子相手に力づくなんてひどいと思います」
「こうでもしないと頼らない結愛が悪いと思います」
ソファの上に下ろされた結愛は、むすーっと頬を膨らませ、可愛らしく不満を訴えてくる。
「いい子だから大人しく待っててくれよ?」
「子供扱いしないでください」
ようやく結愛をキッチンから動かすことができ、今日の夕食を作ることも可能になった。ただその方法が強引だったのは大目に見てほしい。
時間も時間なので結愛にそう言い残してキッチンに戻ろうとしたが、子供扱いという響きが俺の足を止めた。
「今のは子供扱いというか、、結愛にしか…………やっぱ何もない」
「何ですかそれ。気になります」
「何もないから」
「今のは絶対何かあるやつですよ」
何を言おうとしたのか、自分ですら良く分かっていない。だが一つ確かなことは、今の結愛への扱いが子供扱いではなく、もっと特別な何かだということだ。
「ないって言ったらないんだよ。頼むから今日くらいは作らせてくれよな。多分、それを伝えたかっただけ」
「…………分かりました」
俺が結愛に言おうとしたこととは異なる気もするが、その気持ちも嘘ではないので今はそれで納得しておく。
「じゃあ、手伝いくらいは、、、」
「大人しく待っててくれ。な?」
「は、はい……」
手伝いを名乗り出て立ち上がろうとする結愛の頭を撫で、目と目を合わせてからちょっと優しい声を出せば、結愛は目の色から表情までを全て変えて、大人しく頷いた。
結愛にしてはボリュームのあった声も、最後には小声になって返事をした。
「バカ、バカ!」
キッチンに着いてから夕食の準備をしている際、リビングからはそんな声と共にクッションを叩く音やクッションに顔を埋める音がした。
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