第16話 許嫁と看病②

「寝てたか……」



 次に莉音が目を覚ました時には、結愛はまだ莉音の部屋にいた。視界の片隅の方で、何やら顔を下に向けて必死そうな顔をしている。




「起きたんですね」

「まあそれなりに寝たしな」



 気になって体を起こせば、結愛もこちらに視線を向けた。




「…………勉強、してたんだな」

「えぇ、まあ」



 結愛は莉音のベットの側に椅子を持ってきていて、膝には問題集を広げていた。問題集とは言ってもそこまで重たいやつではなく、一問一答の赤シートを使うやつだった。




「やっぱ学校休ませて迷惑だったよな」

「あ、これは違くて、他にする事もないのでちょっとだけ復習してただけです」



 莉音が問題集のことに触れれば、彼女は開いていたページを閉じて膝の上に置いた。




「暇つぶしが勉強って、中々凄いな」

「…………勉強は嫌いではないです。やればやるほど着々と力がついていきますし、何より自分を裏切らないので。それにやって損はないですから」

「まあそうだけど」



 結愛の言い分は分からないでもないが、彼女の場合はまだもっと深い理由がある気がした。




「八幡さんだって、結構勉強してるじゃないですか」



 そう言って莉音の机を見た結愛は、貴方も似たようなものでしょう?そう言いたげな目をする。




「俺はやりたい事とかないし、夢もない。だから夢が出来た時のためにある程度は力をつけておこうと思っただけ。別に好きなわけではない」

「それはそれで凄いと思いますけど……」



 莉音は別に勉強が好きではない。特別嫌いとまではいかないが、好んで行っているわけではない。ただやりたい事もやる事もないので、将来やるべき事が出来た時のために今のうちから行動に移しているのだ。



 生真面目といえばそうかもしれないが、自分の将来すら決めれない自己決定力のない人間とも取れる。まあまだ高校一年生なので大丈夫だろう。そんな安直な考えの人間になってしまう可能性があるのだ。


 

 それを避けるために勉強していたら、いつの間にか習慣化して毎日するようになっていた。




「あの、ベラベラと話してしまいましたけど、体調の方はどうですか?」



 結愛は本来やるべき事を思い出したのか、話を途中でやめて話題を変える。




「少し寝たら割と楽になったわ。まだ少しだけ悪いけど、日常生活に支障はない」

「良かったです」



 少しとは言ったが、もう昼前だ。莉音が寝たのは学校に行く前くらいの時刻なので、時間的にはかなり寝ている。

まあそんな細かい事を気にする人なんてそうそういない。

 莉音の体調が回復したと聞いた結愛は、安心そうに胸を撫で下ろした。




「ところで、食欲はありますか?」

「分からん。多分ない」

「食べたい物とかは?」

「特にない」

「飲み物はいりますか?」

「いる」



 長々とやり取りを続ければ、すぐ近くにいる結愛は呆気にとられたような顔をしていた。




「八幡さん実は意外とわがままですね。別にいいんですけど」

「悪かったな。でも何か食べるって気分じゃない」

「いや何か口には含んだ方が良いですよ?」



 結愛の表情にはどこか包容力があり、懐かしい記憶が頭に蘇る。莉音が幼い頃に風邪を引いた時、母が看病をしてくれたそんな記憶が。

 それがふと頭の中に浮かんで、重なった。


 


「なんか母親みたいだ」

「…………えっ?」



 もう無意識に発言していた。体調が悪いのが原因か、ろくに思考がまとまらずに口が開いていた。いや普通に会話は出来るのだが、思ったことを正直に話してしまう。




「あ、今の忘れてくれ。口が滑ったというか、一時の気の迷いというか、とにかく無し!」



 なんて言っても今更遅い。しかもこの慌てようを見せてしまっては、言い訳なんて出来るはずもないだろう。




(…………幻滅された。)



結愛の次の言葉を聞くまでは、そう思っていた。




「ふふふ。八幡さんにもそういう一面があるんですね」



 結愛は予想に反して笑っていた。可愛らしい声を漏らして、純粋な笑みで。




「…………さては馬鹿にしてるな」

「いえいえ。優しい人にもそういう一面はあるんだなと、むしろ感心しました」

「くそ…………」



 莉音は決して性格が良くないので、そんな結愛の純朴さを信じきれない。疑っているわけではないが、さっきの莉音の発言を聞いて、感心したと言われても『はいそうですか』と頷けるはずがない。




「そして意外と口が悪い事も知れました」

「…………もう喋らない」



 莉音が拗ねていじけたような対応をすれば、微笑んでいた結愛は困った表情へと変化していた。




「私に出来ることほとんどないので、黙るくらいなら寝てくれると助かるんですけど」

「まるで起きるなと言いたそうだな」

「そうですね。早く寝て欲しいです」



 これが結愛なりの心配の仕方なのか、つい先程までは温かな瞳をしていたが、急な塩対応へと変わった。これだから女心は難しい。今のは女心なんて関係なかった気もするが。




「今まで寝てたからそう簡単には寝れない」

「ならプリンでも食べますか?さっき買ってきましたけど」



 莉音が一人で葛藤しながらも、結愛は看病を続ける。どうやら莉音が寝ていた数時間の間に買い物には行ったようで、何か買ってきたようだった。




「食べる」

「じゃあついでに飲み物も持ってきますね」



 結愛はそう言って椅子から静かに立ち上がり、部屋の扉を開けてキッチンの方へと歩いて行った。

 良く見れば服装は変わっており、頭を使わずとも出掛けたというのが分かる。それに今気づいたのは少し後悔だった。



 もっと早く気づいて感謝すれば良かったと、自分の出来の悪さを恨む。



 結愛は大人しめの落ち着いたフリンジニットに、ギャザースカートという秋を感じさせる服装をしていた。すぐそこに出掛けるだけなのにお洒落をするのだから、女子というのは凄い。



 まあ結愛の場合は部屋着のままだと足元の装備が薄かったので着替えたのだろう。莉音は自己解決しながらも、起こしていた体をベットに横たわらせた。




「あれ、寝れないとか言ってたのに寝ちゃったんですか?本当、自分が弱ってる時はとことん弱いんですね」



 莉音は意味もなく体を起こしているのが無駄だと感じたから横たわっただけなのだが、それを結愛は寝たと勘違いをした。あと普通に座っているよりも寝転びたかったという理由もあるが。

 


 実際、そう勘違いするのも分からなくはない。だって莉音は扉側に背を向けて寝たので、結愛から莉音の顔は見えないのだ。結愛の性格上、覗き込んで確認するなんてこともあり得ないだろう。



 まあ結愛も寝て欲しいと望んでいたので、これはこれで良かったのかも知れない。




「これで少しくらいは借りを返せましたか?……なんて、寝てる人に言っても意味ないですけど」



 莉音が寝ていると思っている結愛は、そんな事を1人で呟いた。




(起きてるよ、俺…………)



 なんて胸の中で叫んでも聞こえるはずもない。

だから莉音は起きていると正直にカミングアウトすることにした。

 でないと何だか盗み聞きをしたみたいで嫌だし、結愛がこの後に何かもっと凄い発言をするかもしれないから。



 急な冷静さを取り戻した莉音は、そう決心して口を開けた。

 



「あのな、俺はそもそも貸しとか思ってないから」

「おっ、起きてたんですか!?」

「話し声聞こえてきたら誰だって嫌でも起きるだろ。てかこんな短時間で寝れるか」



 振り向かずに言葉を述べれば、後ろから驚いた声だけが聞こえて来る。今顔を合わせたら何かやばい気がしたので、顔の向きはそのままにして耳だけ傾けた。




「あの、八幡さんは貸しとは思ってなくても、私は借りだと思っています」

「俺はそんな損得勘定で行動を決めない」



 結愛は自分の話が聞かれたことへの羞恥からか、すっかりとプリンと飲み物のことを忘れている。現に貸しか借りじゃないかの話し合いで熱闘しつつある。



「私だって、得だとか損だとかは思ってないです」

「じゃあ何だと思ってんだ?」

「…………ただ、自分が親切にされた分、人に親切にしたくなっただけです。」



 結愛のその言葉が、今度は父の言葉とリンクした。



『何でお父さんはいつもお母さんのことを手伝ってあげるの?』

『何でって、別に理由はないさ。でも親切にしてもらったら親切にしたくなるだろ?』



 当時中学に上がり立てだった莉音には、その意味はよく分からなかった。だって母が父に親切にしている所なんて見たことがなかったから。

 でも2人を失って初めて分かった。母が行っていた家事なんかは、全て優しさに溢れていたんだと。

父はそれに対して感謝をし、いつも母に親切に接していたのだと。



 もちろんまだ気づいていないだけで、母から父への思いやりある行動はまだあるのだろう。逆もまた然りだが。




「…………プリンと飲み物を用意してくれたとこ悪いけど、やっぱ寝るわ」

「そ、そうですか。また食べたくなったら言ってください。あと早く寝て休んでください」



 今は全てが暖かく感じた。だからなのかも知れない。体が緩く包まれて、また眠たさを感じてしまったのは。








【あとがき】


・結愛ちゃん、母性の目覚め?


というか知ってましたか?この2人、まだ連絡先交換してないんですよ?やばいですよね?(フラグ?)



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