第109話 許嫁は抱き締められたい

「いらっしゃいま…………せ」


 結愛が腕に抱きつきながらも、莉音は何とかコンビニまで辿り着いた。

 そしてその状態のまま店内に入れば、眠そうにあくびをしていた店員も一瞬呆気に取られたような顔をしていた。



「なあ結愛、今の店員の顔見たろ?こんな密着してコンビニに来る客なんてほとんどいないぞ」

「私が体をくっつけるのは、迷惑でしたか?」

「…………そういう聞き方をするのは良くない」

「莉音くんならこう言えば黙るって、最近分かってきました」

「それはダメな方への理解だな」


 莉音が結愛にそう話せば、結愛は微笑みながら言葉を返す。

 流石に何ヶ月も同じ家で生活していれば、莉音の弱点も分かるらしい。


 莉音も結愛の弱点というか、言葉に詰まるような聞き方が分かるので、結愛が分からないはずもない。


 でもまあ店内に入れば結愛も周りの視線に耐えられなくなったのか、莉音の腕からはそっと離れた。結愛の頬は、ほんのりと色付いていた。



「で、何か欲しいものあった?」

「そうですね……」


 そこから店内をぐるっと見渡して歩き、結愛に尋ねてみる。

 夜食を食べたいと言い出していたので、すでに候補があるのかもしれない。


 莉音の隣であちこちに視線を散らしている結愛は、ゆっくりと口を開いた。



「えっと……強いて言えば豆乳でしょうか」

「飲み物かよ」

「今欲しいものと言われてもそれくらいしか思いつかなくて……」


 頬をかきながらモジモジとして見せる結愛は、飲み物がある場所にチラチラと視線を向けていた。

 夜食を買いに来たのに飲み物を1番に欲しているあたり、先が思いやられる。


 しかし結愛が楽しそうに頬を緩めているのを見れば、そんなこともすっかりと忘れてしまうのだが。



「あー最近ハマってんの?豆乳。たまに冷蔵庫にあるの見かけるけど」

「ハマっている……というか、将来のため?ですかね」

「何だそれ」

「…………内緒、です」


 またポッとじんわり顔に熱を集める結愛は、手に取ったカゴの中にパックに入った豆乳を入れる。


 「カゴは俺が持つから」と言い、そのカゴを奪い取れば、「いいですのに」なんて不満そうに声を出しながらも、莉音にカゴを譲ってくれた。



「言い出した手前凄く聞きづらいんですけど、夜食とかって何を食べればいいんですかね?」


 「もうお手上げです」と一言付け加えた結愛は、莉音に助言を求める。



「何と言われても、普通にカップ麺とか買っとけばいいんじゃね?俺もあんまり夜食は食べないからよく分からん」

「そうですよね…………じゃあ、私のいけないことに巻き込んじゃいましたね」

「巻き込まれちゃったな」


 ニコッと笑う結愛の頭を撫でながらも、莉音も口元を緩めた。



「ま、とにかく適当なカップ麺でも買っておけばいいんじゃないか?久しぶりだろ、食べるの」

「はい…………莉音くんと出会った時以来、ですね」


 カップ麺の売っている場所の前でしゃがむ結愛は、どこか懐かしそうな表情をしていた。

 莉音と出会う前、莉音が結愛に料理をするようになるまでは、結愛は割と弁当やカップ麺で食事を済ますことが多かった。


 ほとんどが弁当なのでまだマシではあったものの、莉音もその事を懐かしいなと思い出していた。


 まさか今では立場が逆転しているだなんて、あの頃は思いもしなかっただろう。



「莉音くん、これ買ったはいいものの、もし食べきれなくなったらどうしましょう」

「その時は俺が食べるよ。だから安心して好きなの買えばいい。何か夜食は無限に食える気になるらしいし」

「頼りになりますねぇ」

「食べることにしか頼られてない俺は、それを褒めていると受け取ればいいのか、馬鹿にされてると受け取ればいいのか」


 目の奥を輝かせて自分の食べたいカップ麺を選んでいる結愛は、今では年相応の少女にしか見えなかった。

 こうして自分のやりたい事を他人に述べて、自分の好きな事をする。

 そんな結愛のためにも、もし残ったら莉音が無理をしてでも食べるしかない。


 まあそこでしか役に立たないなんて、頼り甲斐という意味ではない気もするが。



「私が莉音くんを馬鹿になんてするわけないでしょう?それくらいは自分で考えてください。バカ」

「す、すみません」

「分かればいいんですよ」


 どっちなんだ?と疑問になりはするが、結愛が心から馬鹿にしているわけではないことなんて、すぐに分かった。



「早く買って、おうちに帰りましょうか」

「だな」


 2人が選び終えれば、もう特に用はないので会計を済ますためにレジに向かう。ここにアイスなんかを買っても良かったのかもしれないが、それはまた夏のお楽しみだろう。


 莉音が勝手にそう思いながらも、会計を済ませてコンビニを後にするのだった。



「あ、今気付きましたけど、月が出てますね」

「綺麗だな」

「綺麗ですね」


 今度は来た道を帰っていれば、ふと空を見上げた結愛がそんな言葉を溢す。街の明かりのないこの時間では、星も輝かしく暗い空の中で光っていた。



「何か、こういう雰囲気は割と嫌いじゃない」

「莉音くん静かなの好きそうですしねぇ。その気持ちは私も分かります」


 2人はちょっとだけ距離を縮めて、お互いに空を見上げながら家路を辿る。そのさりげない時間が、莉音は嫌いではなかった。


 好き、と声にしたくなるくらいには、心地の良い空気感だった。



「…………それに、今なら夏目漱石の気持ちも分かる気がします」

「何だ?筆者の気持ちでも読み取ったのか?」

「少し、違いますね。でもほとんど正解です」


 ふふっと口元を緩めて笑みを溢す結愛は、「莉音くんにはどうせ分かんないですよ」と柔らかな口調で言った。



「結愛?」


 共に隣を歩いていたはずなのだが、チラッと横を見てみれば、結愛は急に足を止めていた。

 莉音がどうしたものかと声を掛ければ、結愛は目を逸らしながらも、そっと手を伸ばした。



「何その手は」

「今度はもう、握ってくれないのですか?」


 ほんのりと上気した頬に、自分から甘えたことに恥ずかしさを感じている表情。それらが組み合わさるものだから、正面から見た莉音としては断る術もない。


 だがそれを堪えるほどの耐性が出来たのは、ここ数日の結愛に散々心臓を掴まれたからなのかもしれない。



「握って欲しいなら握って欲しいって自分から言うんだな。ちゃんと言わないと握らない」

「…………いじわる」

「そんなこと言うなら絶対握らないからな」

「…………バカいじわる、」


 羞恥心から逸らしていた目線は、莉音のその言葉の後にはすっかりとこちらに向けられていた。

 結愛がちょっとだけムスッとして立ち止まっているものだから、見ている側としては可愛いしか出てこない。


 だがあまり長時間女性の顔を眺めるのは失礼だし、そもそも完全に下心を消せるほどの耐性があるわけではないので、「仕方ないな」と小さく呟きながらも結愛の伸びた手を取る。



「…………ちゃんと言わないと、握ってくれないのでは?」

「俺が握りたかった。それじゃ駄目か?」

「駄目、じゃないです、、、」


 莉音が結愛の手を包むように覆えば、その表情はくしゃりと崩れて、充実感溢れる笑みが顔には浮かぶ。


「莉音くんも十分ずるいですからね」

「俺はずるいぞ」

「開き直らないでください」

「ごめんて」


 手を繋ぎ、少し余裕の出来た莉音のことを結愛が見上げる。余裕というよりは粘り強い我慢が出来るようになった莉音は、顔に柔らかな笑みを浮かべ、結愛に見せた。



「莉音くんがそんなこと言うなら、私もずるいことしちゃいますからね?」

「…………お好きにどうぞ」


 粘り強い我慢とは言ったものの、結愛と対面すればそれは誤差に等しく、気が付けば結愛を否定する事なく受け入れようとしていた。


 それが自分の心臓に悪影響を及ぼすとは分かってはいるが、結愛からのお願いを断るなんて無理な話だろう。


 莉音からの許可を得た結愛は、今よりももっと距離を近づけ、そして正面から莉音の体に抱きついた。



「莉音くん、手だけじゃまだ寒いので、しばらくこうして暖めてください」

「ゆ、結愛?」

「好きにしてくれと言ったのは莉音くんです」

「まあそうなんだが……」


 莉音に抱きついた結愛は、またもぎゅっと力を入れて、あちこちの柔らかなものを莉音の体に押し当てる。


 表面積が広い分、さっきよりもその感触は強く、甘い匂いと共に莉音を刺激した。

 「んぅ…」と、漏れ出た声と一緒になって抱かれしまえば、味覚以外の全ての五感を結愛に支配される。


 それだけでなく、莉音の胸にうりうりと顔を埋めてくるものだから、莉音の思考は強制的に停止させられた。



「結愛、本当に寒いなら、俺がだっこして帰るという選択肢もあるが?」

「そ、それは、、、今やったらしにそうですし、その……まだそういう時期じゃないので、また今度お願いします……」

「じゃあ、今は予約されておくよ」


 莉音も結愛の体に手を回し、お互いに抱き合うようにしてその場に立ち尽くす。

 それが夜のテンション感から起きたことなのは、翌日になれば思い出として分かる事だろう。


 結愛の細くて華奢なのに柔らかな肢体に、揺れた青い瞳と赤らんだ頬。それらが脳裏にしっかりと焼き付けられたのは、夜のせいではなく莉音の理性の緩みが原因だった。



「そこ、私以外には予約しないでくださいよ?」

「心配しなくても結愛の特等席だ」

「ならいいです」


 胸元から莉音を覗き込む結愛は、少し不安げな顔をする。だがそれも結愛にだけ、なんて言葉を掛けてあげれば、すぐに満足そうな表情になる。



「結愛、顔赤いぞ」

「莉音くんだって」


 お互いにそんなやり取りをしながらも、まだしばらくはこうして抱き合う。

 そこから家に帰るのにとてつもない時間が掛かったのは、2人とそれを見守っていた星達しか知らない。






【あとがき】


・最近の2人はとても頑張ってると思うのです。主に結愛ちゃんが。


 ちなみにですが、何とは言いませんが、結愛ちゃんの柔らかいやつ、莉音くんと出会った時と比べて大きくなっています。


現場からは以上です。

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