第4話 許嫁との少しだけ縮まった距離。

「八幡さん、ちょっといいですか?」


 その日の放課後、いつものように学校から帰って家に到着すれば、リビングには珍しく結愛が座っていた。


 いや、珍しいというよりも初めてかもしれない。


 どんな心境の変化があったのか、ソファに腰掛けて莉音が帰ってくるのを待っていたかのようにじっと見つめていた。


 やはり昨日の事なんだろうなと思いながらも、肩に掛けた鞄を下ろして結愛の方に体を向けた。



「どうかした?」


 莉音はあくまで勘付いていないフリをして、そっと結愛の瞳から目を逸らした。



「…………昨日、私にご飯作ってくれましたよね」

「あぁ、まぁ」


 やっぱりその話か。胸の中でそう唱えて結愛の言葉を耳に通した。



「その、私が泣いてるの、とか、、見たんですか?」

「…………スーパーの帰りに見たというか見掛けたというか、」

「確かに、あんな近くの公園だったら見掛けてしまうのも無理ないですね」


 泣き顔を見られていた事が恥ずかしいのか、少しだけ恥じらいを見せつつも、莉音の話は理解してくれたようだった。



「…………でも、だったらどうしてご飯作ってくれたんですか?」


 莉音の方を見ていた瞳は下を向き、急に哀しげなオーラを纏う。



「どうしてって?」

「なんで私なんかに優しくしてくれたんですか? ここに来た時も来てからも、ずっと素っ気ない対応をしてたのに」

「それは自覚あったのか」

「……それは、、あるには、あります」


 結愛としては、ルールを破った事よりもどうして自分のために作ってくれたかが気になるようで、落ち着かない様子で制服のスカートをぎゅっと握った。


 結愛が莉音に距離を取って行動していたのはやはり意識的だったようで、出会った時に言われた通り、親しくなるつもりはないようだった。



「………だから疑問だったんです。八幡さんに嫌われようとしてたし、実際に嫌われていると思っていたのに」


 そう言う彼女の表情には、莉音を警戒して距離を置いているようには見えず、どこか別に理由があるような気がした。

 


「…………それでもどうして、私に優しくしてくれたんですか?」


 眉をピクリと動かして、下を向いていた瞳を上に上げた。

 ここで『別に優しくしたつもりはない』そんなカッコいい事が言えたら良かったのだが、生憎と莉音はそんなに頭の回転が良くない。


 作り話をしようにも上手く話を作れそうにもないので、莉音は自分が感じた事をそのまま話す事にした。



「…………俺だって気まずさを感じる時はあったよ。出会った時に仲良くなる気はないって言われたし」

「い、言いました」


 すでにここに住み始めてからそれなりの日が流れているが、割と気まずさを感じる事は多かった。

 それは昨日までの事だけでなくて、現時点でも同じた事だ。

 


「今だって、俺に嫌われようとしてるのに何で同棲しようと提案したのか、何で昨日は泣いていたのか。気になる事だらけだし」

「すみません……」

「でも白咲さんにも色々事情があるだろうから、別にそれを聞こうとは思わない」


 結局の所、結愛と結愛がここで出会ったのは自分達の意思ではないので、相手に隠したい事の一つや二つはあるだろう。


 莉音だって結愛に話してない事もあるし、話しにくい事もある。

 隠し事があるのは人間なら当たり前の事だし、許嫁なんて関係性なら尚更だろう。



「けど、、、」

「…………どうかされました?」


 でも、隠し事の有無は相手を心配にならない理由ではない。



「…………白咲さんにどんな事情があったかは知らないけど、一応は俺の許嫁というかお嫁さん、、家族みたいなものだから、心配になっただけ……」


 莉音はもう家族を失った哀しみを味わいたくない。

 だから昨日の自分に似た結愛に、手を差し伸べた。



「白咲さんは俺に興味なんてないだろうし、俺だって別に白咲さんの事を異性として好きなわけじゃない。でも、それでも心配になったんだよ。余計なお節介かもしれないけどさ……」


 こうも自分の感情を表に出したのは久しぶりだった。

 中学で両親を亡くしてから一時期は塞ぎ込んだ部分があったが、他人に自分の感じた事を曝け出したのは、やけに気分が爽快だった。

 


「そういうの、初めてです……」

「…………仲良くないとはいえ、同じ家に住んでる子が泣いてたらそりゃ気になるだろ」

「そう、ですね……」


 結愛はポッと恥じらいを見せ、顔を少しだけ染めた。どこか瞳は滲んでおり、輝きが見えた。

 結愛は最初に家から出たかったと言っていたので、もしかすると親との折り合いが悪いのかもしれない。


 あまり詮索はしたくないが、今の表情と発言からも想像がいく。変に距離を詰めようとしないのも、やはり何かしらわけがあるのだろう。



「八幡さんは他の人とは違うんですね……」


 結愛は莉音にギリギリ聞こえないような小声で、ボソッと呟いた。



「何て?」

「八幡さんは優しい人なんですね。」


 莉音が聞き直せば、結愛はそう言って自分の胸に手を当てて、じんわりと感慨深そうな表情を顔に浮かばせた。



「あんな対応したのに優しくしてくれる人なんて、八幡さんが初めてです」

「もう知らん。元気そうだし、心配して損した」


 呆れた様子を見せながらも、莉音自身久しぶりに本音を出したので、どっと疲れを感じた。

 そして莉音の中の白咲結愛の印象は、今日でガラッと変わった。

 

 これまでは俺に対する距離感や対応から多少冷たい人なのかと思ったが、今では本当は純粋で、どこか自分を隠しているように感じた。



「…………八幡さん、昨日はありがとうございました。それとすみませんでした」


 それだけ言い残せば、彼女は顔を隠しながらリビングを去って行った。

 彼女は最後に謝罪の語を述べたが、それが何に対する謝罪なのか、莉音には分からなかった。


 まあ別に今日話したからといって何かが変わるわけではない。まだ決めたルールは残っているし、2人の距離が縮まったわけでもない。


 だが、ルールを破った時の罰は決められてないし、咎められてもいない。



(今日も作るか……)


 莉音は決して彼女の事を異性として好きなわけではない。

 だが、お互いに理由もなくギスギスと生活するのは苦労が強いられるだろう。

 もちろんそれでもいいのだが、それだと莉音は心無い人間になってしまいそうだ。


 何よりも、人から感謝を述べられるのが嬉しかった。

 ここ数年間一人で作って食べていた莉音からすると、手紙一つでも心が躍るように嬉しかった。


 

(…………白咲さんの食生活が不安だから、改善するまで作る)


 ふとそう思いつきながらも、キッチンへと向かった。『白咲さんの食生活が改善されるまでご飯作ります。心配なので』その置き手紙をテーブルに残して。



 ♢


 翌朝、昨日と同じくらいの時間にキッチンに行けば、テーブルの上に一枚の紙が置いてあった。



『ありがとうございました。とても美味しかったです。本当に優しい人なんですね』


 丁寧で書かれた字には、どこか淀んだ跡があった。




【あとがき】


・ここからは少しずつ二人の距離を近づけていきます。甘くしますね!



僕、この置き手紙のやり取り結構気にいってます!

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