第6話 許嫁と朝

「八幡!お前やれば出来るじゃないか!」


 いよいよ再試の日はやって来て、俺は答案を担当の先生に渡した。結愛からノートを受け取り、それを活用しながら行った数日間のせいかは、自分的には十分に出し切れたと思う。


 もちろん再試なので、中間テストと同じ問題は出されていない。しかし、類似問題だけで構成されたテスト内容は、随分と解けた気がした。



「ほい!89点だ!再試はクリアだな!」


 再試の翌日に答案は返され、大きく点数の書かれたプリントが自分の手元にあった。



「しかしあの八幡が1発で合格とはな。やれば出来るじゃないか」

「運が良かっただけです」

「何言ってんだ!お前がちゃんと勉強したから取れたんだ。そこで卑屈にならなくていい!」

「そうですか……。なら、頑張った甲斐がありました」


 やけに元気な英語の担当の先生は、にこやかに表情を緩ませた。はっきり言って、自分の努力を認めてもらえた事は素直に嬉しかった。


 でも背中をバシバシと叩くのはやめてほしい。普通に痛い。



「次もこの調子で頼むぞ!」

「何でまた再試受ける前提なんですか」

「あぁすまんすまん。次は再試に来るなよ!」

「頑張ります」


 俺は先生にそう告げて、教室を出た。テスト返しは放課後の教室で行われたので、荷物をまとめて帰る。

 修馬は79点と、ギリギリ点数が届かなかったので、今日からまた補習があるらしい。背中がヒリヒリと痛い気がするのは、修馬からの視線が攻撃的だからだろう。


 今日も放課後の教室に座る修馬を笑顔で見送って、一足先に帰らせてもらった。



(白咲さんに、お礼とかした方が良いのかな……)


 校門から出て1人で歩けば、頭の中にはその考えが浮かび上がった。今回の再試を1発で乗り越えられたのは、間違いなく結愛のおかげだろう。

 結愛がくれたノートのおかげで頭の中が整理でき、それがあったからこそ点数を取れたと言っても過言ではない。


 少しくらいは自分の力で取れたと思いたいが、それでも結愛の力があったからというのに間違いはない。だからこそ、お礼をするべきではと思うのだ。


 まあそれをしてしまったら結愛からのお詫びにお礼をする事になるが、悪い事ではないので罪はない。

 お礼と言っても大した事は出来ないので、せいぜいコンビニなんかのスイーツを夕食と一緒につけておくくらいだろう。


 それ以上は結愛からしても受け取り難いし、価格的にも安価なので気を遣う必要もない。

 これはあくまでお礼だ。

 そう胸に刻みながらも、家の近くにあるコンビニへと寄るのだった。



『お疲れ様でした。良ければ甘い物でもどうぞ(冷蔵庫に入ってます)』


 家に帰り着けば、リビングのテーブルの上にその置き手紙が置いてあった。俺は突然の出来事に、ついテーブルの上を二度見した。

 なんせ朝以外で結愛が手紙を書いてくれたのは初めてである。さらに、結愛が自ら行動に移したのも初めての事だ。

 それで驚くなという方が無理な話だろう。


 俺は深呼吸をしながら、冷蔵庫の方へと足を進めた。



「…………プリン?」


 冷蔵庫を開けば、中にはプリンが目立つように置いてあった。比較的スカスカな冷蔵庫の中のど真ん中に、存在感を大きく出して佇んでいる。

 これを結愛が意図して置いたと考えると、少し可愛く思えてきた。



(これを俺のために買ってくれたのか?)


 莉音も一応は健全な男の子なので、そう考えるとついつい口角が上がってしまう。

おそらくこれもお詫びの一環なのだろうが、無性に嬉しさを感じた。


 こんな風に、突然の労いがあるのは、懐かしい家族の事を連想させられた。


 

「…………食べよ」


 冷蔵庫に入れられたプリンを取り、今度は俺が結愛のために買ってきたケーキを冷蔵庫の中に入れた。プリンと同じ位置の冷蔵庫のど真ん中に。


 お礼として女の子に買うべき物は何か迷ったが、ケーキにしとけば無難だと思ったので、俺はコンビニでショートケーキを買った。

 ショートケーキなら当たり外れもないし、お礼としては気持ちが伝わると思った。


 しっかりと保冷されたのを確認すれば、プリンを食べるためにもスプーンを取り出した。

 


「あめぇ」

 

 手に持ったスプーンでプリンをすくい、それを口に運ぶ。柔らかなプルプルとした食感が口の中に広がり、同時に甘さも感じた。


 自分で言うのもどうかと思うが、疲れた体にはその甘さが程よくとろけた。あっという間に底まで来ていて、あまりの美味しさにすぐに完食してしまう。



「よし、作るか!」


 体力面での回復があったわけではないが、精神的な面でやる気が溢れてきた。人に親切にしてもらうと、その分人に親切を仕返したくなる。

 きっと結愛も似たような感情だったのかもしれない。だからこそノートとプリンという、再試である俺の事をよく考えてくれていた。


 結愛への感謝の気持ちを胸に抱きながらも、俺はいつも通りに夕食の準備に取り掛かるのだった。



『ノートとプリンありがとうございました。夕食の後に、良ければケーキでも食べてください』


 その置き手紙を残して。



 ♢


 次の日の朝、今日は土曜日なので平日と比べて起きるのが遅くなってしまった。土日といってもこれといった予定はなく、部屋で過ごすだけの休みになるだろう。


 キャピキャピした高校生なら今すぐにでも遊びに行きそうだが、生憎と俺はそういうキャラではないので家の中でゆったりと休むつもりだ。


 時間的には遅いが、それでも朝食は食べるべきなので、重たくなった体を上半身から起こしてリビングに向かう。



「…………おはようございます」

「え、あ、、おはよう」


 だらけた姿でリビングに行けば、ソファには結愛が座っていた。



(何だ……?)


 俺の中では、何よりも先に結愛がそこにいる目的が疑問になった。俺はてっきり今日も置き手紙があると思っていたので、急な展開に思考がろくに回らない。

 寝起きというのもあるが、頭がボーっとして眺める事しか出来なかった。



「何ですか?」

「いや、何もないけど……」

「ならそんなに見ないでください」

「……ごめん」


 反射的に謝りながらも、ソファに座る結愛の後ろを通って、テーブルの上を見てみる。今日はそこに手紙なんて紙切れ一つもなかった。

 


「八幡さん、その……」


 ソファに座っていた結愛は立ち上がって、テーブルの周辺をうろつく俺に静止の声を掛けた。



「どうかした?」


 何を話そうとしているのか、結愛は体をぶるぶると小刻みに震わせている。手と手を握り合って、子供みたいなあどけなさのある表情をしながら。



「………昨日、ケーキ、ありがとうございました」


 ようやく口から出てきた言葉は、感謝の言葉だった。その言葉は手紙なんかよりもずっと奥深くまで響いた。

 俺にとって、耳を通って感謝を述べられる事が何よりも嬉しかった。

 

 

「それだけ言いたかったので……」


 少しだけ恥じらいを見せた結愛は、言う事だけ言えば、すぐに部屋に戻って行った。


 俺はしばらく余韻に浸りながらも、その場に立ち尽くす。その後に食べた朝食は、ここに来てから食べた朝食の中で、一番美味しく感じた食事だった。

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