第83話 許嫁の願い事とハグ

「……添、…………い」

「何だ?」



 結愛はあらかじめお願いすることは決めてきたのだろうが、いざ言うとなると恥ずかしがって小さな声で呟いた。



 くっつけていた体を離して、きちんとソファ座る。結愛の背は少しだけ丸まり、小柄な体をよりこじんまりと見せた。




「添、、、添い……寝、、して欲しいです……」



 結愛の消えてなくなりそうな声は、僅かながらにも俺の耳に届く。




「…………添い寝?」



 結愛の細々と緊張した声を何とか聞き取り、俺は口に出す。

 ハッキリと聞き取れた自信はないが、俺が言葉を発した後にピクリと体を動かした結愛を見れば、その信憑性は高まる。




「結愛、俺と添い寝したいのか?」

「そ、添い寝というか、何と言うか……」



 結愛は分かりやすく、モジモジと小さく体を動かす反応を見せる。


  


「俺の聞き間違いか?」

「聞き間違いじゃない、です……」

「じゃあ結愛は添い寝がしたいのか?」

「…………したい、です」



 結愛は瞼を下ろして瞳を閉じ、幼さを全面に出しながらコクリと頷いた。




「駄目、ですか?」

「駄目も何も、テストで一位を取ったらお願いをきくって約束だからきくしかないけど…………結愛はいいのか?俺なんかと一緒に寝て、」


 

 それが結愛のお願いというのなら、聞くしかないだろう。俺はテストで10位以内に入っていないにも関わらず、結愛からご褒美を貰ってしまっている。



 同じ年の少女と一緒に寝るなんて、自分を抑えられる自信がないが、他に断る口実も思い付かない。



 結愛はこれまでにも何度か俺に一緒に寝ようと誘っていたので、本当に自らの願望らしい。

 お酒の勢いや睡魔に押されていた時も、しっかりと自分の願いを口にしていたようだ。



 

「嫌だったらお願いしてません」

「そうなのかもしれないけどよ」



 結愛は幼い頃からずっと1人で夜を過ごしていたので、温かい布団で誰かと寝るのに憧れがあるのだろう。



 頬に熱を溜めたまま、純な瞳を俺に向けた。




「一緒に寝るってことは、体をくっつけ合うってことだぞ?」

「分かってます」

「さっきのハグよりも、ずっと長い時間だからな」

「それはそうでしょう。だって寝てから起きるまでですからね。時間は長いに決まってますよ」

 


 結愛の方はやる気に満ち溢れており、表情からも明るさが簡単に読み取れる。

 そこには恥じらい混じりの目線もあったが、すぐに眼差しは変わった。




「あ、でもやっぱり今はいいです……」

「ほら、いざやろうと思っても出来なかったろ?」

「そ、そうじゃないです」



 だがハッと瞳を大きく開いた結愛は、どこか不満そうな眼差しをしながらも、顔を染めた。




「…………今はまだ、そんな関係じゃないからです」

「今はまだって何だ」

「今はまだは、今はまだです」

「何だそれ」

「内緒です」



 結愛は何を考えたのか、ただでさえ上気した顔をさらに赤くした。

 そこには添い寝とはまた別に望んでいるものがあるようで、そっちが叶ってから添い寝をするということだった。



 何にせよ、今日は添い寝を免れたので心臓への負担が減ったと胸を撫で下ろしながら安心した。




「なので莉音くん、今回のお願いは、また今度叶えてもらってもいいですか?」

「いつでもお好きな時にどうぞ。…………ただその日の夜とかに急に言うんじゃなくて、事前に言ってくれ」



 俺は結愛がお願いを聞くのは先送りにして欲しいというなら先送りにするし、お願いを変えたいというのなら変えるつもりでいる。



 基本的に結愛のご褒美や結愛のためになるのなら尽力したいと思っているのだが、その日の直前に言われるのだけはどうしても避けたかった。



 きっと相手を守りたいと思っている男なら、誰でもそうするはずだ。

 だって学校1の美少女と添い寝をするのだ。

 色々な準備をしておかないと、何があるか分からない。

 



「分かりましたけど、、、何故です?」

「…………そうしないと、心の準備が出来ないから」



 結愛は不思議に思ったようで、疑問そうに首を傾げて俺に尋ねた。

 特に隠すこともないので、俺は自分の思ったことを直接伝える。



 次の瞬間、結愛はポカンと口を開けて、ただ一心に俺の瞳を見ていた。




「結愛?どうした?」

「い、いえ……何も」



 瞬きを数回行った結愛は、俺の言葉で開いた口を閉ざし、宙に浮いた目線をしっかりと俺の瞳と合わせた。




「…………ということは、莉音くん私にドキドキしたことがあるってことですか?」



 自分の胸の辺りで手をギュッと握りしめている結愛は、目を光らせて言葉を発する。

 顔の距離を近くなり、長い睫毛や大きな瞳に綺麗な眼光が俺の視界には鮮明に映った。

 



「今更何言ってんだ。そりゃあるに決まってるだろ。それに今だって……」

「そう、、、何ですか」

「そこに驚くのか」

「ええまあ。私てっきり、莉音くんは私の事を女の子として意識してないのかと思ってました」

「そんなわけないだろ」



 結愛のことを女の子として意識していないわけがない。常にドキドキするし、心臓は高鳴りが止まりそうにもない。




「結愛は可愛いし、近寄られるだけでも緊張する……」



 俺も頬に熱が集まっているのを自覚しながらそう言えば、近くに来ていた結愛の顔は、さらに距離が縮んだ。



 そして数分前と同じように、結愛の体は俺の体に抱き寄せられるようにしてくっついた。




「ちょ、おい……。結愛!?」



 俺が慌てて声を出すもすでに遅く、結愛の腕は俺の背中へと回った。




「本当です。莉音くんドキドキしてます」

「こ、こんなのしない方がおかしいから!」



 自分から俺に体を預けた結愛は、俺の胸の辺りに自分の心臓を強く押し当てる。

 結愛の吐いた息は俺の首元に当たり、それが人の暖かさがありくすぐったい。




「でも結愛だって、ドクンドクン伝わってくるぞ?」

「私だって、男の人に抱きついているんですから緊張しますよ」



 俺と結愛はお互いに心音と心臓の鼓動を確認し合い、体を隙間なく寄せる。

 結愛の柔らかいものは強く当たり、意識せざるを得なくなる。




「…………莉音くん、顔赤いですよ?」

「結愛だって赤いからな。…………それにわざとなのかは知らないけど、当たってるから」

「っ!…………えっち、」



 俺が忠告をすれば、結愛は反射的に顔を浮かして恥ずかしそうな声色の声を出す。

 それでも体は少しだけ隙間が出来たくらいで、まだ十分に抱き合ったままと言える。



 どちらかと言うと、俺が結愛を包んでいると言った方が正しいが。




「なあ結愛、そろそろ離れてくれ。これ以上は俺が耐えられない」



 俺は結愛の体に腕を回さず、両手を空いたまま放置していた。

 結愛を無理に引き剥がすことも出来るが、そんな乱暴なことはしたくない。



 そもそも、女性相手に男の力を使ってどうこうしようなんてあってはならないことなのだ。




「…………もし耐えなくてもいいと言ったら、莉音くんはどうします?」



 俺が何とか理性を保って平静さを取り戻そうとしていれば、耳元には甘く、猫を撫でるような声が届いた。




「きゃっ!」



 俺はソファの上で結愛の体を押し倒して、そこに覆い被さるように上から見下ろした。

 さっきまでの結愛が俺に抱きついていた跡形は影もなく、リビングには物音だけが響いた。




「…………耐えなくていいって言われたら、狼になる、かも」



 俺は空いていた両手で結愛の手を押さえてそう言った。目を合わせた結愛は震えていて、少しだけ瞳を潤わせていた。




「まあ、結愛にそんな事はしないけど」

「わ、分かってますよ」

「でもちょっと力入れすぎたかも。痛くなかったか?」

「痛くはなかったですけど、ちょっとだけ怖かったです。でも莉音くんのことだから注意がてら強めに出たってのも、すぐに分かりましたけど」



 押し倒していた結愛の体にそっと手を回し、ソファの上に優しく起こす。

 



「でも、実際に今みたいなことになるかもしれないからあんまり男を挑発するなよ?力づくでどうこうしようと考えるやつもいるんだからな」

「それは知ってますよ」



 ここまで注意をすれば、結愛もある程度は警戒するし、俺のことを獣だと認識するだろう。

 それで距離が出来るのは嫌だが、結愛の場合はもう少し距離感を考えてもらわないと、こっちが我慢出来なくなる。




「…………知ってますけど、私だってこんなこと、莉音くん以外にはしませんよ、、」

「それは俺に心を許してるから?」

「そうだけど、そうじゃないです」



 結愛はまたも不満気な顔をして、ムッとした顔を浮かべる。




「きょ、今日はもう寝ますね。おやすみなさい」

「お、おやすみ」



 それだけ言い残せば、結愛は自室へと戻っていった。いつものように、耳まで赤くしたまま。




(…………本当、心臓に悪い)



 俺は胸の中でそう叫びながらも、心臓は未だに高鳴ったままだった。






【あとがき】


・2人の関係も、少しずつ良いものになっていっているのではないでしょうか。


ですがご安心を。結愛ちゃんの攻撃はまだ始まったばかりです。

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