第24話 許嫁と許婿

「八幡さんは、何で私が同棲を提案したか、その理由が分かりますか?」



 隣に座って結愛の顔を見れば、話はすぐに始まった。そして今から話すのはその理由についてという事だとも。




「私が貴方に冷たく接していたくせに、同棲をしたがった理由が……」



 結愛は少し首の角度を下に向け、顔を隠す。まだ不安な要素が残っているのか、声は小さく震えていた。




「気にはなるけど分からないし知らない。白咲さんなりに事情があったんだろうし、聞きもしない」

「以前もそう言ってましたね」

「まあな」



 気になるからと言って、ズバズバと質問攻めにするわけにはいかないだろう。それが地雷になるかもしれないし、結愛の負の感情が漏れ出た顔を見れば、誰であっても一歩引くはずだ。




「…………それがもし、私の自分勝手なわがままだとしたら、八幡さんはどう思いますか?」



 結愛はちょっとだけ勇気を出して、攻めた質問を出してきた。下を向いたまま、顔を隠した前髪を揺らしながら。




「それは俺と暮らしたいって意味のわがままじゃないよな」

「はい……」



 まさかそんな勘違いがあるわけがない。仮にあったとしても、それでは結愛がわざわざ冷たく接してきた理由がなくなる。




「じゃあどういう意味の…………いや、それも白咲さんなりの理由があるんだろ?」

「…………理由はあります。希望もありました」



 俺はその理由を尋ねようと思ったが、途中で止めた。やっぱり無理に聞くのはよくないし、何よりも結愛がその理由を言うために色々と困難していたから、俺から聞くのは良くないと思った。




「でもその結果、八幡さんを利用するような形になってしまって……」



 利用される。結愛からそう言われても、不思議と俺はピクリとも動揺しなかった。元より、許婿として許嫁の結愛と結婚させられる未来があったからかもしれない。



 それゆえか、これといって驚きはしなかった。




「利用か……。俺はここに来る前から1人みたいなものだったから、利用されようがされまいが、あんまり変わんないけど」

「そういう問題じゃないです」



 結愛は俺のことを利用したと言って悔やんでいた。だが俺は何に利用されたか全く気付いていないので、別に何とも思わない。何とも思わなければ、何一つ変わらない。



 結愛に利用されて変わったのは、せいぜい住む場所くらいだ。もっとも、許嫁として結愛も一緒に暮らすというのは除いての話だが。

 



「でもまあ、白咲さんの希望のために利用されたのなら、別に悪い気はしないな」



 結愛から利用されたと聞いたが、全く嫌な気はしなかった。やはり何に利用されたのか分からないのが大きいが、多分目的が分かっても俺の考えは変わらないと思う。

 そもそも人間なんて相手を利用して生きていく人間だ。



 そこに俺が選ばれただけであって、もはや自然の摂理だとすら感じる。




「何で八幡さんは、そんなに人を許すのですか?」

「許すというか、俺はそもそも白咲さんに怒ってないし」



 悲しいオーラはなく、単純に疑問視する眼差しを俺に向けた結愛は、俺の言葉を聞いたら小さく微笑んだ。




「八幡さんはそういう人でしたね……、」



 下に向けていた顔を上に上げ、何か決心した表情を浮かべる。


 

 しばらく間をおいたら、結愛は自分の膝の上に手の平を置き、ぎゅっと力を入れた。




「…………私の母は私が小さい頃に突然いなくなりました。『いつか迎えに来るからね』その置き手紙を残して」



 次に何の話があるのかと思えば、さっきまでとは打って変わって重たい話になった。

 そして結愛が親との折り合いが悪いのではなく、母が離れていったというのも、この言葉だけで分かった。


 


「私はただ母に心配してもらいたかった。だから望まない許婿と同棲すると知れば、止めてくれるかもしれないと願った。他にもテストで良い点数を取れば褒めてくれるかもしれないと、母だけでなく、父にも……」



 結愛の母は結愛の元から離れても、一応は情報が伝わっているのだろう。だから結愛はそこに望みをかけた。そういうことだろう。



 前に言っていた『勉強が出来たらいつかは、』そのセリフがここで繋がった。

 別にそれで結愛の望みが叶うのなら全然利用してくれて構わないのだが、まあ出会った当初の結愛を見るに、結果は明らかだ。



 結愛は本当に報われないと思う。自分の望みのために精一杯頑張っても、返ってくるものは何一つないのだから。




「結局何をしても無駄だったんです。何年経っても母が迎えに来ることはなかったですし、父なんて私に振り向きもしなかった」



 結愛は話し始めたら開き直ったかのように、淡々と話を進める。それでもきっと、心は痛んでいるはずだ。




「そこで思ったんです。あぁ私は利用されるためだけに生まれてきたのかと、誰からも愛してもらえないんだと」



 こんな10代の少女がこんな事を言うのだから、彼女の父は文字通り振り向きもしなかったのだろう。母には母で何か事情がありそうだが、それでも結愛の心に傷をつけたのは間違いない。



 どんな理由があれ、その事実は覆らない。




「まあ電話で直接「愛してない」と言われた時は、つい1人で泣きたくなるくらいにはショックでした。分かってたはずなんですけどね」



 あの日、結愛が1人公園で泣いていたのはどうやらそういう理由だった。莉音もまれに養親とやり取りをすることがあるので、結愛もその日は連絡を取っていたのだろう。



 俺と養親との連絡なんて近況報告程度のもので、これといって面白みはない。でも結愛の場合、自ら直接電話で聞いて「愛してない」と言われたのなら、そのショックは計り知れないはずだ。

 



「そして、私は同じ事を八幡さんにしてしまったのだと気づいたんです。そう思ったら、罪悪感やらが一気に襲い掛かってきて冷たく接する他なかったんです。せめて迷惑はかけないようにって」



 そこまでの話を聞いて、ようやく色々と分かった。結愛が一人で何かをこなそうとしていた理由も、最初俺との間に壁を作っていた理由も。




「白咲さんが俺と同棲をしようと思った理由は分かった」

「はい。幻滅しましたよね」

「悲しい過去があったんだから仕方ない。幻滅なんてするわけない」



 これくらいで幻滅なんてしないし、むしろ辛い過去を過ごした分、これからは楽しい日々を送って欲しいと思っている。

 なので俺なんかでよければ、全然利用してくれて構わないと思っている。




「でも一つだけ聞いていいか?」

「はい、」

「…………白咲さんは、いつも罪悪感を覚えながら俺と接してたって事か?」



 正直に言って、俺は今に至る過程なんてどうでも良い。結愛が俺を自分の目的のために利用していようが、別にどうとも感じない。



 ただ一つだけ気になるのは、同棲を提案した理由なんかではなく、これまで俺に罪悪感で勉強を教えていたのかという事だ。

 俺はそこにひさしぶりに楽しさを感じていた。もしそれを罪悪感でやっていたのなら、今後一切人を信じれなくなる気がする。




「いつもではないです。…………八幡さんと夕食を一緒に食べたり一緒に勉強している時は、何も考えられずに素でいられました」



 もうそれだけ聞ければ、俺は満足だった。




「だから私、悪い子なんです。学校では良いように演じるだけで、実際は自分のことばかり考えてる」



 負の感情というのは、一度溢れ出たら自分の意思ではもう止められない。止められるとするなら、ここにいる俺がどうにかするしかないだろう。




「…………あのな、自分の事ばかり考えてるのは俺だって一緒だ」

「え?」

「自分よりも他人を優先出来る人間なんて、そんなの滅多にいない。てかいない」



 まず結愛は前提として間違っているのだ。

 自分よりも他人を優先出来る人なんて、ハッキリ言って存在しない。他人の為に自分を犠牲にする人は、その正義感に浸りたいだけだ。

 


 何の損得勘定もなく、無心で人の役に立とうという人はいないのだ。なんせメリットがないのだから。



 そうなれば、結愛の罪悪感を解き放つ方法は簡単だ。



 

「…………白咲さん、俺と友達になろう。許嫁とかそういうの気にしないで。白咲さんが自分の目的のために俺を利用したって言うなら、俺も白咲さんを自分の目的のために利用する。だから友達になろう」



 結愛が俺を利用したことに罪悪感を覚えるなら、今度は俺が結愛を利用すれば良いのだ。そこに優しさはない。ないからこそ、罪悪感を覚える必要もなくなるし、利用し合えばお互い様だ。


 


「友達……?」

「そうだ。俺は友達が少ないから、ずっと友達が欲しかった」



 ここで「好きだ。愛してる」そう言えたらカッコ良いかもしれないが、生憎と今はそういうのを求めていない。



 結愛は愛というのをどこか求めているだろうが、それは俺から受け取る物じゃないだろう。だからこそ、俺がそんな無責任なことを言えるはずがない。




「そもそも親に言われた結婚なんだし、最初から利用されてる同士なんだから、そんな細かいことまで気にしなくていいだろ」

「はい…………」



 ちょっと照れ臭くなって冷たい反応をすれば、結愛は瞳から雫を溢した。




「なんで急に泣くんだ」

「だって、こんなに優しい良い人を騙してたなんてっ!」



 結愛からすれば、俺は優しいと捉えられるのかもしれない。だが俺は結愛を利用したのであって、本当は優しくないのだ。



 その考え自体が結愛にとっては優しさに溢れているというのは、まだ莉音は知る由もない。




「…………八幡さん、今は全身で頼っていいですか?」

「頼っていいって言ったのは俺だからな。どうぞ」


 

 隣で涙を流す結愛の肩は、気が付けば俺の肩と触れ合っていた。かつてここまで接近したことはないだろう。そればっかりか、結愛は自分の頭を俺の胸元に預けてきた。



 体を横に向けたら、柔らかな毛先をしたロングヘアーが膝に置いた俺の手に当たる。こういう時にどうすれば良いのか分からないが、体は自然と動いていた。



 膝に置いていたはずの右手は、ちょうど俺の胸にある結愛の頭をそっと撫でていた。女性の髪は命なので、普段は無断で触ることは許されないはずだ。

 でも今はお互いにそんなことを一々考える余裕はなかった。



 華奢な肢体に小柄な身体。ただでさえ小さく見える結愛は、今日はいつもよりも何倍も小さく感じた。




「私、許婿が八幡さんで良かったです。八幡さんの許嫁で良かったです」

「俺だって、そう思うよ」



 か細く聞こえていた嗚咽が鳴り止めば、ようやく本音が混ぜられた言葉が出てきた。結愛はそこで力尽きたのか、眠るように力が抜けていった。



 今までよく耐えた方だろう。自分の十数年の苦悩を吐き出したのだ。そりゃ精神的な疲れは途方もないはずだ。



 今日はとりあえずここまでにして、結愛を自室へと帰した。リビングから結愛がいなくなった今でも心臓がバクバク言ってるのは、単純に結愛が近くにいたからだ。女子に近づかれたら、誰でもこうなる。



 そして限界が近かったのは、結愛だけではなかったらしい。

 平然さを装うので精一杯だった俺は、そのままソファに寝転んで、魂を吸い取られたかのように眠りについた。

 




 ♢



 次の日の朝、ソファで寝た俺は、寝慣れなかったからか、全身に痛みが走っていた。



 ひとまず眠気の残る顔を覚そうと、洗面台に向かう為に立ち上がる。ふと目線を下げて机の上を見れば、昨日まではなかったはずの一枚の紙が置かれていた。




『昨日はああ言いましたけど、別に異性として好きなわけじゃないですから勘違いはしないでくださいね。でも莉音くんのことは嫌いではないです』



 昨日の発言への訂正が書かれていて、昨日の出来事は意味があったのかと少し不安になった。


 


(いや、どっちだよ…………)



 でもすぐにその不安は掻き消された。だって、普段は名字呼びの結愛だが、この手紙には名前呼びで書かれていたから。





【あとがき】


・まだ一章は終わりじゃないですよ!

  

 むしろここからです!ちょっと今話は詰め込みすぎたので、伝えたいことが伝わったか……。


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