第104話 「…………私、ちゃんと可愛いですか?」

「じゃあ約束通り今日は俺がごはん作るから、結愛は休みな」


 その日の夕方、家に帰り着いた莉音は、エプロンを身に付けてキッチンに立っていた。

 結愛はソファに座っており、若干むくれたような顔をしている。

 


「分かってますよ。もう何度も言われました」

「迷惑だったか?」

「いえ。ちゃんと私のことを見てくれて、大切にしてくれるんだなって分かるので迷惑じゃないです」


 そんな結愛の言葉に耳を傾けながらも、莉音は冷蔵庫の中を覗く。一応は今日作る予定だったので、一通りの食材は買ってきている。


 結愛は滅多に油を使った料理はしないので、今日は唐揚げを作ろうかなと思っていた。普通に食べたかったし、手の込んだ料理と言ってもそれくらいしか思い付かなかった。



「なあ結愛、今日は休めとたった今伝えたはずなんだが?」

「別に手伝わないとは言ってないですもん」

「…………ずるいぞ」

「少しくらいずるい方が女の子は可愛げがあるでしょう?」

「その言い方もずるいからな」


 莉音が食材を手に取り、台所の上に置いた時には、もうそこには結愛が立っていた。きっと慌てて来たのだろう。


 いつもは結んでいる髪は今日は結ばれておらず、真下に下ろして揺らしていた。



「折角休んでもらおうと思ったのに」

「午前中に休んだのでもう休息は十分です」


 「仕方ないな」莉音はそうため息を溢し、文字通り仕方なく結愛にも手伝ってもらうことにする。


 本当なら無理にでもリビングに戻したいし、午前中と言わずに午後も休んで欲しいのだが、今の結愛がそんな話を聞いてくれるとは思えない。

 力づくでどうこうする事も出来るが、すでにやる気に満ちた結愛にそんなことをするわけにもいかない。


(まあ手伝いだけなら疲労は少ないだろ)


 そんな考えのもと、結愛との共同作業を始めるのだった。



「こうして見るとやっぱり莉音くんの手際良いですね。料理し始めるようになって分かりましたが、ちょっとした憧れです」

「まあこれでも数年は1人で料理してたからな。まだ負けてられん」


 唐揚げを作るにあたり、鳥もも肉を一口大に切っていれば、その手際を結愛に見られる。ほぇと感心した様子を見せる結愛は、目を輝かせていた。


 結愛は料理を始めてからもう少しで半年が経つので、最初の頃と比べればかなり上達したと言える。それでもそう簡単に負けてあげるほど、莉音の料理スキルも腐ったものではなかった。


 とは言いつつもガッツリ料理をするのもそれなりに久しぶりなので、統計的な動きで見れば結愛の方が効率が良かったりする。



「じゃあ私が莉音くんよりも手際が良くなったら、その時は莉音くんは料理引退ということで」

「何故だ」

「だって私が料理した方が時間的に効率的ってことになりますし」



 莉音が切った鳥もも肉を袋の中に入れ、調味料で下味をつけて揉み込んでいれば、隣で野菜を切っていた結愛はそんな事を言い出す。

 

 確かに時間的な効率で言えばその方が良いのかもしれないが、ただでさえ少ない日々の手伝いまで無くなってしまえば、莉音の立つ瀬がない。



「あーそういう事言うのか。じゃあ今日からは俺が夕食作ろうかな。筋トレの日課も習慣化してきたし、体力的にも割と余裕が出来てきたから」

「それは駄目です。私が練習出来なくなります」

「…………それを言われると俺に作らせる気なんてないようにも感じられるんですが?」

「はい。実際ないですよ」


 表情をぴくりとも動かさず、あくまでも本心からの言葉なのか、結愛は平然とした口調で言う。

 どちらに転ぶにせよ、結愛の中に莉音が料理をする未来はないらしい。


 そんな事があってたまるかと声を大にして言いたいが、そんなに魅力的な選択を自分の意思では捨てることも出来ない。



「それにしてもちゃんと髪を結んでおくんでした。莉音くんの手伝いをしてやろうと急いだばっかりに……」  


 莉音が脳内でのたうち回っていれば、結愛は長い髪を耳に掛けてを繰り返しながら残りの野菜を切っている。


 普段の結愛ならとうに切り終えているのだが、長い髪が視界に入ったりするのが原因で、まだ手こずっているようだった。



「あーやっぱ長いと邪魔なのか」

「全てにおいて邪魔、とは言えではないのですけど、料理している時に関してはそう言わざるを得ないですね」


 ふぅと一息置いたら、結愛は「今からでもヘアゴム取りに行きましょうかね」と呟く。



(今、プレゼント渡しても良いよな)


 こんな運の良いタイミングがあっても良いのだろうか。ちょうど揺れる髪を鬱陶しがっていて、絶妙な機会と言える。


 多分だが、この時以上にヘアピンのプレゼントを渡すに適したシチュエーションは、しばらく出てこないだろう。

 夕食を食べ終えたら渡そうと思っていた莉音は、プレゼントを少し広めのポケットの中に用意していたので、渡そうと思えば今すぐに渡せる。


 どうせ唐揚げの下味のために十数分は浸けておくのだから、ちょうど時間も余る。



「あ、ならそこで待っててくれ」

「へ?」

「ついでに目も閉じてな」

「は、はい」


 莉音は迷うことなく、買ったプレゼントを今渡すことにした。渡す、というよりは付ける、のほうが表現としては正しいが、そこは大した差ではない。


 きちんと手を洗った後に袋からヘアピンを取り出して、結愛の髪へと手を運んだ。


 何をされるのか分からない結愛は、唇をぷるぷると振るわせ、まつ毛も揺らす。そんな緊張感に溢れている結愛の顔を見つつも、そっと髪に触れた。


 女子の髪にヘアピンをつけた経験なんてないので、付ける場所や付け方なんかを数回失敗しながらも、何回か挑戦してしてようやくピッタリ合う。



「はい、目を開けていいぞ?」


 莉音の言葉を耳に通したら、結愛は大きな瞳を隠した瞼をゆっくりあげた。



「これは……?」

「ヘアピン。結愛があんまりつけてるの見たことなかったから、日頃のお礼として買ってみた。前に色々な髪型に挑戦してるとも言ってたから」


 莉音はやや長舌になりながらも、購入を決意した建前を話す。ここで長々と話してしまったのは、気恥ずかしさゆえだろう。



「まあ結愛ここ最近頑張ってるから、些細なプレゼントだとでも思ってくれ」

「莉音くんからのプレゼント……」


 そう小さく呟く結愛は、嬉しさからか頬をちょっぴりと赤くし、自分の胸に手を当ててぎゅっと握っていた。

 そして瞳をあちこちに逸らしながらも、心配そうな顔をして莉音に尋ねる。



「…………その、今鏡が無いから自分の姿を確認出来ないのですけど、似合ってますか?」

「似合ってる似合ってる。買って良かったと本心から思うくらいには似合ってる」

「そ、そうですか。それなら良かったです」


 ソワソワと莉音からの言葉を期待している結愛は、似合っていると言えばホッとしたように胸を撫で下ろしていた。


 だがそれだけで満足していなさそうなのは、もしかしたらまだ褒め足りなかったからなのかもしれない。


「…………じゃあ、莉音くんが想像してた通り、ちゃんと可愛いですか?」 

「え、いや、、、まあそれは言うまでもなく……」


 急な質問に、莉音は挙動不審のような返し方をする。さっきよりもさらに不安そうに首を傾げる結愛を見てしまっては、莉音が口籠るのも無理のない話だ。



「莉音くんの想像していた私よりも、実物の私の方が、ちゃんと可愛いですか?」


 二度も同じ質問をされては、結愛の心理状態が手に取るように分かる。そしてその答えは、まず間違いなく可愛いと言えるだろう。


 ただでさえ清楚な結愛の雰囲気をさらに底上げするアイテムが加わるのだ。むしろ可愛いくない方がおかしい。


 今の不安がいっぱいで消え入りそうな儚さもそうだが、そこに潤んだ瞳とあどけなさを全面に押し出した表情も加わってしまえば、予想を遥かに上回るのも簡単な話だ。



「可愛いよ。むしろ想像以上の破壊力に直視出来ない」

「ふふふ。良かったです」


 それでようやく満足してしたのだろう。莉音から貰ったヘアピンを上から崩れないように触りつつも、緩んだ口元をさらにゆるゆるに解いていた。



「ちょっ!?ちょっと莉音くん!?」


 そんな愛でたくなる、男のタガを刺激するような保護欲をそそる表情を正面から向けられれば、莉音だって黙っていることは出来ない。


 結愛の顔を胸の辺りに寄せ、あまり強くしない程度に抱きしめた。



「あの、料理するんじゃないですか?」

「こういうことをするのは駄目だったか?」

「うぅ………その聞き方、私が否定出来ないの知ってて言ってますよね」


 結愛は莉音を拒否することなく受け入れて、静かに腕を莉音の体に回す。



「本当にずるいよ、結愛は」

「ず、ずるいのは莉音くんだって同じです」


 じわじわと頬を赤く染めていく結愛は、莉音の胸の中で小さく頭突きをする。

 


(…………結愛はずるい)


 莉音がこうして結愛を求めても、嫌がる素振りなんて見せずに、受け入れて、受け止めてくれる。そういう所が、本当にずるい。


 莉音は色々と我慢して耐えているのに、結愛の表情一つでそれは大きく揺らぐ。そしてその笑顔を独占したいと思わせるのだから、ずるい。



「こんなこと言うのは駄目なんだろうし、自分勝手なことだっていうのも分かってるけど、そんな顔、他の人には簡単に見せないでほしい」


 莉音は少しだけ抱き寄せる力を強くし、結愛の体を包む。それが醜い独占欲というのは分かっているが、自分だけのものにしたくなった。


 幸せにしたいという気持ちが、さらに強くなった。


「み、見せませんよ!そもそも見せるつもりも、見せたくもないですからっ」

「本当か?」

「本当ですよ。私に莉音くんしかいないの、知ってるくせに」


 結愛は莉音を見上げて「バカっ」と声にする。



「心配しなくとも、私はここから離れたりしませんよ?許嫁なので、離れられないと言うべきなのかもしれないですけど」


 この気持ちが心配ではなく確認をしたいという気持ちだというのは、おそらく莉音以外は誰も知らない。


「私がこんな姿を見せるのは莉音くんだけです。なので、言ってしまえば私は、莉音くん専用ですね」


 そんないじらしくて澄んだ綺麗な声で言われては、莉音の頬も急激に熱を帯びる。結愛は指摘しなかったが、莉音の反応にも気付いているだろう。


 同じ距離にいる莉音が結愛の頬の赤さに気付いているのだから、結愛が気付かないはずがない。



「…………結愛、もう一度言うけどちゃんと可愛いぞ」

「ヘアピンがですね。あとからちゃんとデザイン確認したいと思います」

「いや、結愛が」

「…………あ、ありがとうございます、、」


 色々と限界が近付いた莉音は、抱きしめた結愛を離した後に心からの言葉を送った。



「わ、私これ鏡で見てきてもいいですか?料理の手伝いは出来なくなるかもしれないですけど……」

「行ってきてくれ。そうしてくれた方が俺も嬉しいから」

「じゃあ、見てきます」


 そう言って洗面台の鏡へと向かう結愛の後ろ姿がいつもよりもぴょんぴょんと跳ねて見えるのは、もしかしたら結愛の心も莉音と同じような状態になっていたからなのかもしれない。









【あとがき】


「学校では、ヘアピン付けてくれないんだな」

「まだ皆さんに見せびらかす時じゃないので……」

「どういうこと?」

「…………内緒です」

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