第21話 許嫁の気持ち①
私には八幡莉音という名前の許婿がいる。
そしてその許婿は、私の知る限りではとても優しい人だ。
多分、今の学校の学年では一番に優しいし、もしかしたら女の子の扱いにも長けているのかもしれない。
だって出会った当初に私が冷たく接しても、彼は気にせずに親切に対応してくれたから。
そんな同学年の人は、どこを探してもおそらくいない。ましてやそんな私に料理を作るのが楽しいと言い出すしまつなので、本当に良い人格の持ち主だ。
「八幡さん、そこの問題間違ってますよ?」
「まじ?」
「はい」
この日の放課後も、家で2人きりでリビングのソファに腰掛けて勉強をしていた。私にとって、誰かと一緒に勉強をするというのは初めての経験だった。
学校で何度か分からない問題を聞いてくる人達はいたが、多分過半数以上が下心のある人達だった。人が折角説明しているのに心ここに在らずというべきか、全く頭に入っているように感じない。
なので、莉音のような100%純真な気持ちの人と共に長い時間勉学に励むのは、初めての経験だと言える。
「うわ本当だ。教えてくれて助かったわ」
「いえいえ。ふと見た時に気づいただけですので」
八幡莉音という男は、思ったよりも真面目で努力家な性格をしていた。隣で見ていて思うが、彼は決して勉学を好んでいるわけではなかった。特に夢も目的もないらしいので、自分のことになると少し弱いのかもしれない。
それでも、もし出来た時の為に備えているそうなので、酷く真面目で努力をする人なのだろう。それが見ていてひしひしと伝わってきた。
「ちょっと飲み物持ってくるわ。白咲さんは暖かいのと冷たいのどっちがいいとかあるか?」
「そうですね。最近冷えてきたので、暖かいのをお願いします」
「了解」
それでいて彼は気遣いも出来る人間なので、ある意味人間不信になりつつあった私が心を開き始めるには、十分すぎる理由だった。
だからといって無理に開くわけではないが。
「ほい。ここ置いとくぞ」
「ありがとうございます」
莉音が席を外してから数分経てば、いつかにもらったお揃いのマグカップに暖かい飲み物をついで、それをテーブルの邪魔にならない場所に置く。
2人分置き終わったら、また隣へと座った。
隣に座ったと言うが、莉音は他人との距離には人一倍意識しているようなので、肩と肩が当たらない、それでいて少し余裕のある距離感で、ソファに体を下ろした。
「八幡さん、分からない所があったらいつでも聞いてくださいね」
「あったらそうさせてもらうわ」
「無いことを祈ます」
「教える気があるのかないのかどっちだよ」
「教える気はあります」
莉音がペンを持ったのを確認したら、私もそう言って止まっていたペンを動かし始める。
この静かな空間にシャーペンで字を書く音だけが鳴る。
その沈黙だけど落ち着く空気感が、私は案外気に入っていた。この時だけは自分を隠す必要も人の目を気にする必要もないし、ここに来る以前には家で味わえなかった、安心出来る時間だったから。
「じゃあ俺は部屋に戻るわ。明日もよろしく」
「こちらこそ」
勉強も終え夕食も済ませた後、莉音はそう言ってリビングを去った。これまでは何の絡みのない夕食だったが、最近では夕食の後にも他愛のない会話をするようになった。
もちろん長時間ではないし、せいぜい2人のうちどちらかが皿を洗い終えるまでだ。それでも少なからず夕食という物が楽しく感じるようになってきた。
ここに来る前はずっと1人だったので、夕食はおろか、食事にすらさほど興味はなかった。
だがここに来て莉音が夕食を用意してくれるようになってからは、その考えが変わった。思わず料理のやり方を聞いてしまうくらいには、私の中の認識を塗り替えていた。
「料理、か……」
自室に戻った私は、1人で小さく呟く。料理のやり方については、また今度色々と決まるだろう。今はもうそろそろ冬休み前に入ろうとしているので、お互い予定が被らないこともある。
なので私が莉音から料理の指導を受けるのはもう少し先のことだ。
「…………お風呂入ってから、また勉強しましょう」
一度部屋に戻った私は、着替えを用意してお風呂の準備をする。結愛も一応年頃の女子なので、お風呂やその後のケアにはそれなりの時間を費やす。
本当の私を好きになってくれる人なんていないだろうし、そんなことをやっても意味がないのかもしれないけど。
全て終わらせてまた部屋に戻れば、私は椅子に座って机に体を向けた。今はまだ、莉音に出来る恩返しが勉強しかない。だからもっと理解度を深めて教えるためにも、さらに頑張らないといけない。
前は親に振り向いてもらうため、それの為に勉強を励んでいた。そうすればいつかは自分のことを見てもらえると思ったから。まあ結局それも無意味な挑戦だったのだが。
(罪悪感で押しつぶされる……)
ここだけの話、私が彼と、莉音と同棲したいと親に提案したのも、全部親に振り向いてもらうためだ。だが当然莉音はそれを知らない。自分の口から話してもいない。
私が最初に彼に冷たく接してしまったのも、罪悪感とここまでしても親に振り向いてもらえなかった悲しさからだった。それと、もう誰にも期待したくないという思いから。
だからせめて彼の生活に支障が出ないように、最初は極力接触を避けようとした。それくらいしか、自分勝手な私には出来ることがなかったから。
(分かってる。私は最低だ)
学校での姿なんて偽物で、本当の私はずるくて人の気持ちも考えられない最低で自分勝手な人間なのだ。
なのに彼は私に優しくする。だから思った。こんな事なら最初から素直に頼っておけば良かったと。
こんなに罪悪感を感じるくらいなら、初めから彼のことを信じれば良かったと。
そんな自分が嫌になる。莉音の温情に少しずつ頼っていきつつある自分が。
でももう遅いのだ。自分やった事の重さは分かってるし、莉音にも莉音なりの心の悩みがあるのも、数ヶ月一緒に暮らせば察せられる。
だからこそ、少しでも質の良い恩返しをしないといけない。彼から、人は1人では生きていけないと教わったから。
(いつか、いつか話します……)
そう教わったからこそ、いつかは莉音に話さないといけないだろう。彼は本当に気が利いて優しいから、私が同棲をしたい理由も一切聞いてこない。
きっと本人はずっと気になっているはずだし、私から同棲を提案したのに冷たく接しられては、混乱もしただろう。
話さないといけない。許嫁として莉音と結婚する前には、何があっても絶対に。
結局、数年という長い期限を設けている時点で、私の性格は終わっているのだ。
そう何度も自覚した後、夜の勉強も終わらせて布団に潜り込むのだった。
【あとがき】
・結愛ちゃん視点はまだ続きます。ちょっぴりシリアス要素ありですが、ご理解ください。
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