第8話 許嫁の部屋と俺の部屋
「綺麗な部屋だな……」
結愛の部屋に入ったら、俺の口からは何よりも先にその言葉が出た。全体的に白を基調としたデザインに、程よくピンクやらの女の子っぽい色が混ざっており、清楚な印象だった。
「そうですか?別に普通だと思いますけど」
部屋の中央に立つ結愛は、中をぐるっと見渡して平静な顔でそう言う。
「もう掃除必要ないんじゃねって思うくらいには綺麗だぞ」
「元々掃除はある程度終わらせていたので、後はそこの棚の上くらいです」
「なるほど、通りで」
「だからと言って掃除する前から汚いわけじゃないですけど」
実際、結愛のノートを見た時から几帳面な性格なのは分かっていたので、これまでも定期的に掃除は行っていたのだろう。
棚の上に少し埃は見えるものの、そこ以外に目立った汚れは見当たらなかった。
「物とか少ないので、掃除は楽です」
「物欲ないのか?」
「そうですね。買うとしてもせいぜい本くらいです」
結愛の言う通り、この部屋には女子の部屋にしては物が少ないような気がした。ぬいぐるみの一つもなく、高さのある本棚がぎっしり埋まっていた。
「八幡さんも掃除は割とやってますよね。リビングとか、ふとした時に綺麗になってる事が多いです」
「まあ暇だからな。俺も白咲さんと同じで大した物欲とかもないし、やる事ないからやってるだけ」
俺の部屋も結愛ほどではないが物は少なかった。漫画や小説、ちょっとした参考書があるくらいで、棚にも余裕がある。
というのも、ここに引っ越しする際に要らない物は置いてきているので、必然的に物は溜まらない。
彼女も似たような感じなのだろう。ベットと机、それから棚だけが部屋を占めており、それ以外に置き物はなかった。
「そういう所、男子高校生とは思えないです」
「白咲さんだって、女子高生にしては落ち着きがありすぎるけどな」
「それは八幡さんも同じでしょう?紳士的というか、高校生としての感情が欠落してるんじゃないですか?」
「友達にも枯れてるって言われた」
「でしょうね」
やっぱり。そう可笑しそうに笑う結愛が、さっきまでの雰囲気とは打って変わっていた。
「そんな事より早く終わらせましょう?八幡さんのお時間を取らせてしまうのは申し訳ないです」
「時間には余裕しかないが、早く終わらせて損はないな」
「そうですね」
俺が結愛の意見に賛成して足を一歩前に出せば、消毒用のウェットシートを渡される。
「あ、ごめん」
「いえお気になさらず」
それを受け取ろうと手を伸ばせば、指と指が触れた。突然の事で驚いたのか、結愛は反射的に手を引いたので、ウェットシートは宙を舞って床へと落ちていく。
「すみません……」
腰を下ろして床に落ちたウェットシートを取った俺を見ながら、結愛は申し訳なさそうな顔をした。
「これくらいで謝らなくていいから」
「で、でも……」
「そんな些細な事で謝る必要ない。わざと落としたとかなら話は違うけど、そんなんじゃないだろ?」
「…………わざとじゃないです」
「なら謝らなくいいよ。俺の配慮が足りてなかっただけだから」
俺は結愛にそれだけ言い残し、体の向きを変えて本棚の上の方へと腕を伸ばした。
「…………やっぱり優しい人ですね」
「優しくない」
後ろで小さい声で呟く結愛だが、窓が開いていない部屋の中では当然俺の耳にも聴こえてくる。
「俺を優しいって思うならそれは誤解だ。俺はあくまで自己満のためにやってる」
「考え方によってはそっちの方が優しい気もしますけど」
「大体な、棚を拭くくらいで優しいなんて、白咲さんの優しいのレベルは低いと思う」
「低くないですよ。むしろレベル的には高いと思います」
そんな結愛の話を聞きながらも、俺は着々と棚の上の埃をウェットシートで拭き取る。手に持ったウェットシートは汚れが目立ってきたので、新しいのに変えようと一枚目をゴミ箱に捨てる。
ちょうど2枚目を使い終われば、棚の上部は綺麗に拭き終えた。
「ありがとうございました。とても助かりました」
「これくらいで力になれたなら良かった」
使い終えたウェットシートを捨て、体の向きを彼女の方へと戻す。
「あ、部屋を掃除する時は窓は開けた方がいいぞ。埃が散るから」
「い、いつもは開けてますから……」
忠告程度に言葉を発すれば、今更遅いだろうが窓を開いた。まあ開けないよりは空気が外に出る分マシだろう。
「じゃ、また何かあったら呼んでくれて構わないから」
「はい。」
俺は部屋を出る前にそれだけ伝えて、扉を開いた。今日はこれ以上は手伝うことはなさそうだったし、用もなく女の人の部屋に長居するのは良くないはずだ。
俺なりの気を効かせながらも、開いた扉へと足を出した。
『ドスッ』
俺が部屋から出て自室に入ろうとすれば、つい数秒前までいた部屋からそんな鈍い音が聞こえてきた。
まさか自分が棚を拭いた時にどこか動かしたのだろうか。少し不安になりながら急いで向かう。
「危ない……!」
ノックもせずに扉を開き、今の状況を把握する。何があったのか、棚はゆっくりと傾いて重心を前の方へと少しずつずらしている。
結愛は足がすくんで動けなくなったのか、膝をついて棚が倒れてくるのをただ眺めていた。
「八幡、さん…………?」
扉が開いたことで俺が来たのに気づき、青ざめた顔で俺のことを見つめている。
着実に倒れてきている棚を前に、今から結愛を抱えて逃げる時間なんてなく、俺は結愛に覆い被さるようにして棚から結愛を守った。
結果的に見れば、2人とも下敷きになり、俺だけが棚の落下ダメージを受けた。
「………痛た、、白咲さん大丈夫か?」
「私の事よりも、自分の心配を……」
倒れてきた棚からは中身がほとんど出てきて、部屋を掃除した後とは思えない散らかり具合にする。ひとまず倒れた棚を起こし、元あった場所へと立て直す。
今棚を起こしてみて分かったが、素材的には軽くて、多分倒れる前に立て直す事が出来た。
まあ反射的に結愛の壁になってしまったのだから、考えて行動を取るなんてことは出来なかった。
「俺の事はいい。それより何で棚が倒れたんだ?」
「えっと、それは、、。あっ、そんな事よりも怪我してないか見ないとですよ、」
俺が話題を振れば、結愛は分かりやすく話を変えた。
「…………次は俺に頼らないように、自分1人でやってみたとかか?」
「…………は、はい」
まだそこまで彼女と仲が良いわけではないが、何故か考えていることが分かった。結愛のそういう所を少なからず見てきたからだろう。
今彼女の顔は見ていないが、どんな表情をしているかは予想がついた。
「あのな、俺を頼っていいって言っただろ?」
散らかる本の間にポツンと座っている結愛に、俺はつい言葉を強めてしまう。
悲しげに1人座り込む少女は、俺の中途半端な気遣いから自分の無力さや非力さも感じさせられたかもしれない。
だからといって、危ないことは危ないし、出来ないものは出来ないのだ。
「…………私だって、気持ちは嬉しかったですし、頼るつもりでもありました。でも私は、1人で出来るようにしないといけないんです」
その表情には何か複雑そうな意味が込められており、これ以上は俺から向ける言葉はなかった。だが、結愛のその表情は、同時に寂しそうな表情でもあった。
「なので早く怪我の確認を」
ハッと意識を俺に向けた結愛は、急いで手を伸ばした。でも俺は、その手を取らなかった。
「…………しなくていい。俺は1人で何でも出来るようにしないといけないから」
「でも、もし怪我してたら私のせいです」
「
彼女が1人で出来るようにならないといけないと言うのなら、俺もそう言うしかない。そうしないと、結愛はそれがどういう気持ちになるか分からないから。
「そ、そんなの……。もし何かあったら心配です」
結愛の口から、答えはすぐに出てきた。結局のところ、結愛も優しい人間の1人なのだ。
「ほらな?心配になるだろ?俺だって白咲さんが無理してると思ったら心配になるんだよ。仲が良いとか悪いとか関係なしに」
俺の言葉を耳に入れた結愛は、泣きそうな顔をしていた。もしかすると罪悪感でも感じたのかもしれない。
それでもぐっと堪えて溢れるのを我慢していた。まるでずっとそうしてきたかのように。
「だから頼ればいいんだよ。1人で生きれる人なんていないんだから。俺がそうだったように……」
俺だって両親を亡くして一時的に1人になったが、とてもじゃないけど寂しくて孤独を過ごそうとは思わなかった。
でも彼女は違ったのだろう。事情は知らないが、ずっと1人で戦ってきたのだろう。
だからこそ、頼って欲しかった。1人よりも、2人の方が色々と楽だから。
「ありがとうございます」
俺の中にある言葉を出し尽くした時には、彼女は感謝を述べてくれた。ホッと、優しく微笑むようにして。
彼女の中に俺の気持ちが伝わったかは分からない。だが、結愛の雰囲気が少しだけ丸くなったような気がした。
「ところで八幡さん、背中大丈夫なんですか?」
やはり結愛の中ではそれなりに気になっているのか、俺が背中を怪我していないかをずっと気に掛けてくれていた。
だがはっきり言って、そこまで痛みはなかった。元々重みのある素材で出来た棚じゃなかったのと、ぶつけた場所が良かったのが救いだろう。
普通の棚よりも高さがあるので重いには重いのだが、それでも大した痛みはなかった。
「あぁ大丈夫。意外と痛くなかったから」
「体、丈夫なんですね」
「まあ男だから」
理由としてはそれだけじゃ不足過ぎる気もするが、別に嘘でもない。むしろ平均身長よりも上背があるので、肉体的には丈夫といっても問題ない。
「次も頼ってくれて構わないからな」
「分かってますよ。何度も言わなくていいです」
「分かってるならいいけど」
最後の最後にそれを言い、今度こそ部屋から出る。
「掃除手伝ってくれてありがとうございました」
「おう」
部屋から出ようと扉を開けた俺に対して、結愛はまた感謝の言葉を述べる。やはり人から感謝されるのは悪いものじゃない。
何者であっても、人から感謝されたらある程度は喜びを感じてしまうはずだ。俺はそれを隠すことなく顔に出して、自室へと行く。
「…………あの、」
結愛の部屋から出て数歩目、自分の部屋のドアノブに手を掛けた時だった。結愛の言葉が俺の行動を静止させた。
「どうした?」
顔を横に向け、柔らかく表情を浮かべて彼女からの発言を待つ。
「今日、ご飯、、一緒に食べてもいいですか?」
2人しかいないマンションの一室には、その言葉がやけに響いて聞こえる。
「俺も食べたい」
俺の脳は、考えるよりも先に言葉を出していた。
「ありがとうございます。じゃあ、よろしくお願いします……。あ、手伝えることあったら、言ってください」
「分かった。夜、出来たら呼ぶから待っててくれ」
「はい」
急にお互いによそよそしさを見せながら、各自の部屋の前で会話する。話し合いが終われば、2人はすぐに扉を閉めた。
「ドキドキした……」
莉音が部屋を出た後、結愛はへにゃりと崩れ落ちながらそう言った。しかし莉音にはその言葉は届かなかった。距離的な問題もあるが、おそらく至近距離でも届かなかっただろう。
だって彼もまた、結愛と同じような状態だったから。
【あとがき】
・長い話を読ませてしまい申し訳ないです。この話は2話分にする予定でしたが、無理に1話にまとめたので、投稿に少々お時間がかかってしまいました。
今日からまた投稿しますので、応援お願いします。
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