第98話 後の祭り。「もっと触っても……」

「…………おはようございます」

「おはよう。と言ってももう昼過ぎだけど」


 

 結愛が眠ってから数時間が経ち、時計の針が12時を過ぎた頃に、目の前にいる可憐な少女は重たい瞼をゆっくりと開いた。



 ほんのりと赤みを残した頬で周囲を観察しながらも、とろけた純粋な瞳に莉音の姿が移れば、脳は少しずつ覚醒していく。




「わ、私そんなに寝てたんですか」

「疲れて熱もあるんだし、それくらい寝るのが当たり前だから」

「そういうものなのでしょうか」

「そんなんだ」



 部屋の時計に目を向ければ、結愛はあまりの時間の進みに驚いた様子を見せる。

 いくら莉音であっても流石にずっとその時間を側で過ごしているわけではなく、色々な準備をしたりした。




「それで、ぐっすり眠れた?」

「はい……おかげさまで」

「それなら良かった」



 ひとまず軽い確認から行い、結愛の顔色を覗く。




「体調の方はどうだ?」

「たくさん寝たので、随分楽にはなりました」

「でもまだ少し気分悪いだろ」

「良く分かりましたね。ほんの少しだけ、まだ怠いです」

「何ヶ月もずっと一緒にいるからな。それくらい見れば分かる」



 莉音だって結愛のことは見守ると決めているので、体調が悪くないか悪いかくらいの区別はつく。

 もっとも、結愛の場合は顔に出やすいのもあり、判断はしやすかった。



 莉音に見透かされた結愛は、最初「そうですか」と口にしながら微笑むが、嬉しそうな表情は不満そうな顔へとどんどん移り変わっていった。




「…………私は体調のことよりも、もっと別のことに気付いて欲しいのに」

「別のこと?まだ隠してることでもあるのか?」

「体調悪いので教えません」

「そうかよ。まあそうしてくれ」



 ここで体調のことを使ってくるのはずるいと思うのだが、顔色自体はまだ完全に良いとは言えないので、追求することは出来ない。



 ただ少し素っ気なくてムスッとしているのは気になるものの、今は他に優先するべきことがあった。




「ほい、これ着替えと替えの冷却シート。今貼ってるやつはあんまり意味ないかもだから、あとで張り替えておいた方が良いかも」

「こんなのいつの間に……」

「結愛が寝た後にこっそりな。眠った結愛が中々手とか離してくれなかったから、用意に手間取ったけど」



 数時間前、結愛が眠ったのを確認したら、莉音は結愛が起きた時に備えて準備を済ませておいた。

 流石に服は結愛のクローゼットを漁ってまで用意することは出来ないので、莉音の服で代用する。



 熱が冷めるように貼っておいた冷却シートは、数時間経った今では大した効力もないだろう。そのための替えも持ってきて、結愛に差し出す。



 体を拭く用のタオルも渡せば、結愛は「着替えるので」と言い、莉音を部屋の外へと一時的に出した。



 数分経てば部屋の中からは「入ってもいいですよ」との小さな声が聞こえてきたので、ドアノブを回して部屋に入る。




「何から何までありがとうございます」

「他にもして欲しいことあったら遠慮なく言っていいからな」



 ベットの上には莉音の服をダボっと着た結愛がおり、上半身を起こしながら感謝の言葉を並べた。

 それがまたこじんまりとした印象を莉音に焼き付けるのだから、小動物を見ているような感覚になる。



 そんな莉音にキョトンと無垢な瞳を向ける結愛は、何やら話しづらそうな表情へと変化させながらも、あちこちに目を逸らした。




「あ、あの、、莉音くん。さっきの事について何ですけど」

「どうかしたか?」

「出来れば、眠る前の発言や言動については、綺麗さっぱり忘れて欲しいです……」



 さっきのこと?そう戸惑った莉音だが、結愛の言葉を最後まで聞いていれば、その戸惑いは消える。

 モジモジと恥ずかしそうにしながら口にしているあたり、本人としては本当に忘れて欲しいのだろう。



 顔は目覚めた時よりも色付いており、瞳には少しだけ潤いがあった。




「無理。あんなん忘れられるか」

「わ、私だって出来れば記憶から消し去りたいですし、記憶に残ってほしくないですよ!でも、しっかりと記憶に残っていて、自分の醜態がふつふつと浮かび上がってくるんです」

「そういう自分もいたんだと受け入れるしかないな」

「それが嫌なんですっ」



 やはり本人からすればあんな子供のように我儘を言うのは黒歴史に近かったのか、照れ隠しをするように語尾は上がる。



 今も尚自分の姿が頭に浮かんできているようで、結愛は莉音からの視線を遮るべく、勢いよく布団の中へと潜り込んだ。

 



「…………もう、絶対莉音くんに勘違いされました。私はわがままで甘えん坊の女の子なんだと」

「どんな勘違いなのかは知らないけど、体調悪くして弱ってる時なら結愛もあれくらい甘えるんだな、とは思った」

「ほらやっぱり」




 布団の中から声を出す結愛は、羞恥に悶えるようにバタバタと動く。それは側から見ている分には実に微笑ましいのだが、病人がやっているとなると黙って見続けるわけにはいかない。



 「熱が悪化するからやめた方がいいぞ」と不快にならないような優しい言い方で声を掛ければ、結愛からは「もう嫌!」なんて言葉が返ってきたりした。



 その可愛らしい声を漏らしている方が、莉音としては何倍も胸の内にくるものがあるのだが、それを言えばもっと不機嫌になる気がしたのでやめておいた。




「だ、だって……仕方ないんです。それに、莉音くんのせいでもあるんですもん」

「俺のせい?」



 それでもしっかりと莉音からの忠告を守る結愛は、布団の中からちょこんと顔を出す。

 そして鼻から下までは布団に隠したまま、普段よりも高い声色を響かせた。




「ぼーっとして、もうほとんど頭が働いていなくて、、、クラクラして辛くてキツい時に、莉音くんが優しい目をして温めてくれるから、つい思ったことがすぐに口に出てしまって」

「うん」

「それでもずっと目を離さないで見ていてくれるから、それが嬉しくてまた口が緩んで、、」



 今の結愛は瞳までしか見えないが、それだけでもかなりの破壊力があった。

 キラキラと嬉しそうな輝きは、おそらく表情全体を見ることが出来たら、間違いなくしばらく莉音の動きを静止させただろう。



 そう断言できるくらいには、結愛の瞳はとろんととろけていて、そして幸福感が溢れていた。




「そっと私が傷つかないように優しく触れてくれる指が心地よくて………だから、もっと触って欲しくて、、、」

「俺はもっと触った方が良かったのか?」

「いっ、今の発言を取り消すことは?」

「出来ないな。そこで話を変えようとするってことは、やっぱり触られるのは嫌だと?」

「…………嫌では、ないです。どちらかと言えば触って欲しいですけど」



 今にも火を吹きそうな勢いで目元を赤くする結愛は、ぱちぱちと瞬きをする。

 チラリと見えた耳は、綺麗な黒の髪と対比でもするように赤みを帯びている。



 かぁぁと音を立てそうな勢いで赤面させた結愛は、ほんのりと滲んだ瞳を莉音の視界に映し、甘い声を鳴らした。




「そ、その言い方はずるいですよ、莉音くん」

「あのな、結愛だってずるいぞ」

「女の子はずるくてもいいんです」



 ずるいのはお互い様。どちらも熱くなった今では、それに気付くこともない。

 まあ広い視野で見た時に、満場一致で莉音が悪いというのは、結愛の弱々しい反応を見てしまえば誰もが納得のいく結果だろう。




「とっ、とにかく、何がなんでも忘れてくださいっ!絶対です!」


  

 寝ぼけていた時の自分の反応だけでなく、起きた後の発言等も含めて、結愛はその願いを口にする。

 その時には布団に隠していた顔も外に出てきていて、赤く色っぽく染まった結愛の表情が、力一杯の目力で訴えてきた。




「あのな、忘れられるわけないだろ。結愛が何をそんなに嫌がってるのかは知らないけど、俺からしたらその時の結愛もちゃんと結愛だ。受け入れるつもりしかない」



 結愛の主張も分からないのではないが、それでも莉音は今日のことを記憶の片隅に追いやる気はさらさらなかった。


 

 それは言うまでもなく、結愛と約束をしたからだ。ずっと見守る、という。

 そこに記憶忘却なんて機能は存在しておらず、どんな結愛でも見守るつもりでしかいなかった。




(また撫でれば、機嫌は治るかな?)



 頬全体に力を入れ、意図せずともムスッとなっている結愛の頬は、莉音の指が結愛の顔に添えた時にはもう緩み始めていた。



 そんな簡単なことで心を揺らされては、莉音としては何やら特別感やら独占欲を感じてしまう。

 きっとそれは、結愛がここまで頬を緩めるのは莉音相手だから。ということを、少なからず莉音の頭の中にあるからなのかもしれない。




「もう、そんなに甘やかさないでくださいよ。またあんなんなっちゃうので……」

「その時はまたたくさん撫でるよ。そうして欲しいらしいし」

「う、うぅ……今だって、ポカポカして甘えそうなのに、、、。このままだと私は、莉音くんには駄目駄目にされそうです」

「いつもは俺がそうなってるからな。たまには結愛も自分を甘やかしてくれ」



 見守る、という言葉の通り、莉音はどんな結愛であってもちゃんと正面から接するつもりだ。

 それが辛辣な結愛であっても甘々な結愛であっても、莉音の意見が変わることはない。




(これは友情、とは違う感情だよな)



 いつもはその気持ちから目を逸らしている莉音ではあるが、ここ数日はその認識を正しくしなければいけない出来事が多々起きた。



 その度に結愛がいじらしいことを言うのだから、莉音からすれば心臓に悪いとしか言えない。

 もしかしたら結愛も、なんで考えたりするのは、些か自意識過剰すぎるか。




「…………今度は、私が莉音くんのことをデレデレに溶かします」

「何でだよ」

「…………莉音くん、だからです」



 折角人が頑張って色々なものを堪え、乗り越えようとしている時に、そう言われては意識せずとも意識してしまう。



 莉音は顔に出ないように平静を装うしか、なす術はなかった。




「はいはい。まだ顔赤いから、熱はまだ下がってないみたいだな」

「話を逸らしましたね」

「なんのことだか」



 もう少し出来の良い話の逸らし方があったかもしれないが、思考の半分以上がろくに機能していないので、分かりやすくでも話を変えるしかない。



 それでも結愛が深くまで追及してこないのは、体調が悪いからなのか、それとも自分に意識してくれていることを感じ、それに満足したからなのか。



 「ふふふ」と微笑む結愛を見れば、そのどちらかは分かるような気がした。




「じゃあ、俺はそろそろ用意しておいたお粥温めてくるけど、食べれそうか?」

「…………はい。食欲は少なからずあるので」

「了解」



 莉音はその場から逃げ出すため……というわけではないが、あらかじめ作っておいたお粥を取りに、立ち上がる。




「そんなのまで作ってくれたんですか?私のために」

「結愛のため、だからな」

「は、はい……」



 不思議そうに首を傾げる結愛の顔が、首の付け根まで赤く染まっていたのは、きっと莉音の目にしか映ることはないのだろう。





【あとがき】


・看病編はもう一話あるよ!




「やっぱり結愛は熱の時でも食欲旺盛か、」

「何か言いましたか?」

「いえ何も」


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