第79話 許嫁の小さな独占欲
「莉音くん、何されてるんですか?」
結愛との距離が急接近したあの日から数日が経った。
学生皆んなが学年末テストを間近に控えた放課後、俺が訳あって教室に残っていれば、廊下から結愛が辺りを見渡しながら声を掛けてきた。
「結愛こそ、何してるんだ?」
結愛はとっくに家に帰ったと思っていた俺は、結愛からの質問を聞き返すようにして声を出す。
「私はクラスの人に勉強を教えてと頼まれたので、今まで学校に残ってました」
「なるほどな」
結愛が頭が良いのは周知の事実なので、テスト前になると勉強を教えてと頼まれることもあるのだろう。
俺だって家に帰ったら尋ねるつもりだったし、結愛の丁寧さなら人が集まるのも納得がいく。
「結愛の教え方分かりやすいし、聞きたくなるわ」
「私は皆さんに言われるほど教えるのが上手いわけではないですけど、春休み前の最後のテストも近いですし、助け合いは必要かなと」
「結愛が教えただけだから、助け合いではないだろ」
「細かいことはいいんですよ」
毎度学年一位の結愛に勉強を教えるなんて、そんなことが出来る人はほとんどいないので、結愛が行ったのは助け合いではなくて単なる勉強会に近い。
それは家に帰った俺も同じ事なので、人の事は言えないのだが。
「勉強を教えてた割には、帰るのが早くないか?」
俺は教室の時計に目を向けてから、今の時刻を確認する。
決して早い時刻ではないが、まだ終礼が終わってから20分も経っていない。
それでも俺の教室には今は人はおらず、勉強をしたいという人達は図書館に行ったり、教科担に質問しに行ったりしていた。
「何故か途中から男子達が参戦してきてですね。それで勉強どころじゃなくなったので、私は帰ることにしました」
「それは賢明な判断だな」
「はい」
先生や自習に励んでいる人がいる中、下心丸出しで勉強に取り組む人もいる。結愛が主導となった教室での勉強会なんて、結愛と親しくなるためにはこれとない機会だ。
勉強をする気なんて一切ない男子達が群がるのも、安易に想像出来た。
「莉音くんは、掃除してるんですか?」
「まあそんなことだな」
結愛はそれで早めに帰宅をし、たまたま通りかかった所で俺を見掛けたのだろう。
勉強会を行った後なのにまだ俺が教室にいるのだから、結愛は何をしているのかと気になったのかも知れない。
「今日は日直なんですか?でもそんな連絡来てなかったような気が……」
頭を傾げ、記憶を遡る結愛は、眉を下げてから口を開いた。俺と結愛は、日直や用事がある時はお互いに連絡をする様にしている。
今回はそれをしていないのに俺が教室に残っていたから、結愛も不思議がっているのだろう。
まあ結愛からも勉強を教えるなんて連絡来てないので、今回はお互い様だ。
結愛の場合は送る暇がなかったと言った方が良いのかも知れないが。
「俺は日直じゃないぞ?」
「では、何故掃除されてるんです?」
日直でも何でもない人が無人の教室で掃除をしているのだから、結愛はいよいよ混乱した様子を見せた。
「終礼後に日直の人が
俺が掃除を行なっているきっかけを別に隠す理由もないので、結愛には話す。
「日直の方がされた仕事が無駄になったのですね」
「そうそう。それで暴れた人達は教室を散らしたまま帰った」
「それは酷いですね。それなのに直さないで帰るなんて考えられません」
「そうだろ?でもちゃんと役割を遂げた日直の人達は、仕事が終わり次第すぐ帰ったから、もう直すことが出来ない」
今のようなテスト前の放課後は、日直が仕事をした後でも教室に残って自習をする人が多い。日直が仕事を終わらせて帰った後でも、残ろうとしている人は多数いた。
俺は特に用事があったわけではないが、修馬が先生に呼ばれたので、教室にて待機をしていた。
なので教室で帰ってくるのを待っていた時に、男子達が暴れて遊んでいるのを目にした。
「散らかったこの悲惨な状態を担任が見たら怒られるだろうから、変わりに俺が直しとこうと思ってな」
「あー、それで莉音くんが掃除してるわけですか」
「そんなとこ」
修馬が戻ってくるまでの時間が暇だったというのもあるが、何よりも人の頑張りを無駄にしたままにするのが見過ごせなかった。
『スタスタスタ』
そんな時、結愛と教室で話をしていれば、廊下からは足音が聞こえてくる。
「誰か来ますね」
「だな」
ここの教室に誰か帰って来るのではと思ったが、その足音は途中で止まり、俺の教室に来る事はなかった。
「…………結愛、そろそろ人が来るかも知れないから帰った方が良いぞ?それにすぐに暗くなるから明るいうちに帰った方がいい」
「そうさせてもらいますね。心配どうもです」
「いえいえ」
結愛は律儀にペコリと腰を曲げ、足を動かして廊下へと向かった。
「あの、莉音くん……。一つだけ聞きたいんですけど」
「何でも聞いてくれ」
そのまま廊下に出ると思ったが、教室内のドアの付近で、結愛は足を止めた。
「莉音くんは、自分が机とかの並びを直しておいたと、、、手伝ったんだと伝えないのですか?」
結愛は純粋な眼差しで、単純に疑問そうな顔をして言葉を発する。
俺は何を聞かれるのかとヒヤヒヤしていたが、その質問には簡単に答えられそうだった。
「伝えないよ。そんな恩着せがましいことをしたくない。それに俺の行為なんて知らずに、自分達だけで日直の仕事を終わらせたと感じてくれる方が、俺としても嬉しいしな」
念のために言っておくが、俺は別に感謝をされたくて掃除を行ったわけではない。ただ本人達の苦労がなかったことになるのが嫌だから、こうして手伝っているのだ。
そこに認めてもらいたいとかそんな気持ちはなく、修馬が来るまでの時間潰し、あるいは自己満に過ぎなかった。
「…………優しい世界ですね」
「そんな大した事してないから」
結愛は俺の事を優しいと評したが、実際はそんな事はない。
教室に残っていなければ今掃除をすることもなかったし、日直が仕事をせずに帰ったのなら、俺がゴミを拾ったり机を並べたりするつもりはない。
なので優しさというものからはかけ離れており、本当にただの自己満に過ぎないのだ。
「でも折角の莉音くんの優しさが、誰に知られることもなく無駄になりますよ?それは凄く悲しい事だと思います」
結愛は自身の経験を交えたような、少し悲しい声色した言葉を俺に向けた。
「無駄にはならないだろ。それに悲しくだってないぞ」
「何故です?」
「結愛が見てるじゃん。だから誰に知られないわけでも、無駄なわけでもない」
そもそも誰からも見てもらいたいと思ってない俺にとって、人から気づいてもらえるかなんて特に気にしていない。
だが今回は結愛が見ているので、その行為が無駄になることも悲しくなることもない。
「そんなの結果論ですよ。私がたまたま通ったからそう言えるのであって、通らなかったら誰にも知られなかった事になるんですよ?」
「それはそれで別にいい。今までもずっとそうだったし」
「もう、優しいのに不器用な人……」
結愛は不満そうな、納得のいかない表情をしている反面、どこか嬉しそうな顔もしていた。
「…………そういう莉音くんの優しい一面は、私だけが見てれば良いんです」
教室のドアの前に立つ結愛は、照れたように下を向いてそう言う。
「莉音くんの優しさは、全部私だけが知っていれば良いんです。そうしたら、莉音くんもうれしい気持ちになるでしょう?」
「まあ少しは」
誰かに見ていてもらう。それは望んでいないとはいえ、普段から人に見られない俺としては、心の拠り所になった。
依存とは違うが、ただただ落ち着いて気を休められた。
「…………それに、私的にはその方が色々と嬉しいですし、心配事も減ります」
「え、なんで?」
「…………内緒です」
結愛はいつの間にか家でのような表情とその緩み具合をしており、俺と目を合わせてピクリと睫毛を揺らした。
結愛の言葉に込めた意図が、俺には読めるはずもなかった。
「先、帰ってますね?一緒に帰ってると騒がれても厄介なので」
「おう。気を付けて」
結愛はそう言って帰ろうとするが、数秒だけ俺の瞳を見た。何かに期待しているような目を残した後、結愛は背を向けて教室から出て行った。
「…………一緒に帰ろうと、誘ってくれてもいいのに」
教室を出て、しばらくしてから発せられた結愛の言葉が、教室にいる俺の耳に届くことはなかった。
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