番外編 皿洗いの話

「結愛、俺皿洗っとくから、先にお風呂入ってていいぞ」



 夕食後、使った食器を台所に運び、蛇口を捻って水を出しながら結愛にそう言う。




「いえいえ、私が洗うので莉音くんが先に入るべきですよ」



 俺がキッチンに立って皿洗いをしようとすれば、結愛も隣に来て私が洗うと主張をする。




「結愛にはいつも朝食とか弁当作ってもらってるから、こういう時は俺に任せてくれ」

「でも今日の朝は莉音くんが皿洗ってくれたので、夜は私が洗います」

「いいって。俺がやるから結愛は素直に甘えてくれ」

「莉音くんが甘えてください」



 台所の前に立ち、結愛と見つめ合う。

 何故かお互いに中々譲り合わず、どちらも一歩も引かずに、自分が洗うと声を張って話していた。




「まだ水も冷たいし、結愛もキツいだろ。女の子なんだから冷たい水は手に当てない方が良い」

「うっ……」



 俺が結愛を気遣ったような言葉を発したら、結愛は顔を明るくしてほんのりと口元を緩めた。




「そんな風に相手を気遣えるなら、私の心もちゃんと読んでくださいよ」



 唇を尖らせた結愛は、俺のシャツを掴んでそう言った。


 


「結愛の心はお風呂に入りたいと言ってるので、早く入るべきだと思います」

「残念不正解です」

「不正解なら訂正が必要だな。結愛がお風呂に入ったら今度はちゃんと読めそうな気がするから、先に入ってきていいぞ」



 俺は理不尽な暴論を重ねて、何の説得力もない発言を行う。




「…………そんなに私をお風呂に入れたいなら、一緒に入りますか?」



 理不尽とはいえ、結愛には反論することが出来なかったようで、今度は俺が頷けないような提案をしてきた。




「出来ないですよね。出来ないなら莉音くんが先にお風呂入ってきてください」



 やはり結愛は俺が断ると思っているようで、勝利を確信した顔で俺の事を見ていた。




「…………いいぞ。一緒に入るか」

「え?」



 俺は今だって一緒に入るつもりはない。だがここで折れてしまったら、今後も同じ手法をされてしまいそうなので、ここは相手の策に乗っておく。



 俺が断ると思っていた結愛は、俺の言葉を耳に通した後に、分かりやすく驚いた顔付きへと変わった。




「…………莉音くん、私と一緒に入るつもりなんですか?」

「それがどうかしたか?結愛から誘ってきたんだし、別に入っても問題ないだろ」

「た、確かにそうですけど……」



 両手を胸の前に押さえて、結愛は少しずつ顔に熱を集めていく。




「ほら、早く進んでくれよ。入るんだろ?」

「え、いや……その、、」



 目を少しだけ潤わせて俺の事を見上げて、辺りをキョロキョロとしながら、結愛は動揺を露わにした。



 その仕草と表情に心揺らされるが、それを隠して口を開いた。




「…………結愛、顔赤くなってるぞ?熱でもあるのか?心配だからお風呂に入って体でも温めて、今日は早く寝ろ」



 ここまで来れば結愛はお風呂に入る他なくなるだろう。だって先に入らないと言えば、俺と入ることになるのだから。



 自分の招いた発言が結愛自らを攻撃しているのだから、自業自得としか言えない。




「さ、最初から一緒に入るつもりなんてなかったんですね!!」

「さて、何のことやら」

「莉音くんの嘘つき!変態!」



 そのことに気付いた結愛は、八つ当たりのように俺に強く言葉を投げる。

 まあその言葉が罵倒とも言えないほどの罵倒なので、俺からは見ていて微笑ましいとしか思わない。




「はいはい。嘘つきの変態ですよー」



 俺は開き直ってから、結愛を揶揄うようにして言う。

 これで少しでも俺の事を男だと認識してくれれば良いのだが、むしろ一緒に入るつもりすらないと誤解されて、さらに結愛からの認識は緩くなる気がした。




「も、もう知りません!莉音くんなんて、一生皿洗っておけばいいんです!」

「そうしようかな。そしたら結愛は何もしないですぐにお風呂に入れるし」

「嫌味で言ったのでそんな風に捉えないでください」



 結愛はもう諦めた顔をして、ため息でもつきそうな勢いで口を開けた。




「…………じゃあ、先に入りますね」

「お、ゆっくり入れよ」

「そうさせてもらいます」



 そう言ってお風呂場に向かう結愛の背中は、いつもよりも小柄に見え、可愛らしさで満ち溢れていた。

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