5-5

 国王が先王アーヴァイン暗殺をくわだて、不当に王位を得た簒奪者だった。


 この事実は、ノディスィア王国に少なからず混乱を生んだ。


 フィルは自らの正統性を主張し、国王捕縛に動いた。また、邪法に関する事件ではジョザイアとミュリエルの罪を問うこととなった。

 スノー子爵も取り調べの対象となったが、この世界での彼はジョザイアがもたらした邪法を改良するように強制されただけなので、裁きの対象にはならない予定だった。

 ジョザイアに従う一方、邪法を打ち破る方法をどうにか外部に伝えようと試みたことが功を奏した。

 子爵が邪法を無効にする術を同時に研究していたため、リギルとアンタレスは偽りの契約から解放されて星の間で眠りについた。


 現王家の断罪と同時に、これまで国王の指示で行われた様々な不正も暴かれた。

 主に税に関する不正や、国の役職に就くための賄賂の授受などの罪だ。


 これにより、ゴールディング侯爵をはじめとした何人かの貴族が捕らえられた。


 ゴールディング侯爵家は、近く取り潰しとなる。


 それからのフィルとセレストは、とにかく政治的な混乱を生み出さないために、必死に駆け回った。

 突然先王の息子だという主張をはじめたフィルが、王位に就くことには当然反発もあった。

 けれど、フィルがシリウスを従えているという事実は揺るぎない。


 シュリンガム公爵家、クロフト伯爵家、そしてなぜか炎の谷でセレストに絡んできたイアン・バートランドの生家であるバートランド侯爵家の協力があり、なんとか正式な戴冠の日取りが決まった。


 忙しくしているあいだにセレストは十八歳を迎え、季節は秋となった。

 ちょうど一度目の世界で、命を落としたはずの日を迎えた。


「……今日はあの屋敷で一緒にすごそうか?」


 セレストたちは居住をノディスィア城に移していた。

 エインズワース伯爵家のタウンハウスは綺麗に管理されているが、今は誰も住んでいない。

 けれど、セレストにとっては二度目の人生が変わった象徴のような、いつまでも特別な場所だった。


「はい、フィル様」


 この誘いはきっと、二人の関係が完全に変わるための――そのための儀式だとセレストにはわかっていた。


 それからセレストは銀髪を隠すためにフードをかぶって、地味な服装で町へ出かけた。

 現在の城の警備責任者はクロフトで、送り出すときはものすごい渋い顔をしていた。


 よく二人で買い物をした七番街で食材を買って、仲よくキッチンに立つ。

 一国の国王と王妃ではなく、今日だけはただのフィルとセレストでありたかった。


 今後、こういう日常がなくなっていくかもしれないのだから、今日を目一杯楽しまなければとセレストは意気込んだ。


「君が最初に作ってくれたスープの野菜が……」


「その話はしないでください!」


 義理の家族から蔑ろにされていたセレストだが、一応貴族の令嬢だったため家事能力が皆無だった。フィルと暮らすようになった日の翌日に作った『星神力の無駄遣いスープ』のことは忘れてほしいと願っている。

 今は包丁を使えるし、芋の皮むきだって得意なのだ。


 今日のメニューも野菜たっぷりのスープだ。メインの肉料理は子羊のロースト。七番街で買ったパンにワイン。ありきたりだが、二人で作る工程が重要だった。


「ついでに、おもしろくない話を先にしておこうか?」


「……はい」


「ジョザイアのことだが、ひとまず十年の禁固刑が科される見込みだ」


「そ……そうですか……」


 それはきっと、かなり重い罪になるのだろう。


 あの日以来、ジョザイアは大人しく取り調べに応じている。スピカに時を戻す力があったことは言わずに、邪法は彼自信の研究成果であるという供述で、すべての罪を認めた。


 スピカの秘密を守ってくれるのは、単に誰にも信じてもらえないからというだけではない気がした。もうフィルやセレストと争うつもりがないという意思表示に思える。


「だが、俺の立場が揺るぎない状況になったら、彼を解放するつもりでいる」


「恩赦ですか?」


「そうだ」


 政治犯に関しては、国にとってなにかの記念となる日に恩赦が与えられることは時々ある。もちろん、これからはじまるフィルの治世が安定していることが条件だ。


 あらかじめ宣言しておくのは、セレストに気持ちの整理をつけさせるためだろう。


「……最初から、罪の記憶がある……って……とてもつらいことだと思います」


 セレスト個人としては、ジョザイアへの恐怖や嫌悪感が完全に消えることはこの先ない気がしていた。

 けれど彼の動機があまりにも悲しいものだというのもわかっている。

 一度目の世界では、自分の父親が王位を簒奪したという事実にたどり着き、潜在的な驚異であるフィルを排除するしかないという思考に囚われた。

 二度目の世界では、そもそもまだ行っていない罪の記憶を取り戻してしまったことが道を踏み外した原因だ。


 セレストが別の道もあったはずだと言ったとき、彼がなんと答えたのかを思い出す。


『記憶が戻った時点で、一つしかなかった』


 けれど、ジョザイアが進んだたった一つの道の先にはなにもなかった。

 道が終わってしまったら、どんなに不満でも別の道を進んでいくしかない。


「私は、あの人に生きてほしいと思ったんです。だから……」


「あぁ、そうだな。だが、もちろん監視役はつける。……面倒見がよさそうで、裏切ったら地の果てまで追いかけてきそうな……血の繋がりはないが親戚と言えなくもない人物が一人いるだろう?」


「あっ!」


 裏切ったら地の果てまで追いかけてきそうな人物――マクシミリアンのことだ。

 ジョザイアはアーヴァイン・ノディスィアの孫だ。

 そのアーヴァインはヘーゼルダイン家の婿になったため、かなり無理のあるこじつけをすると、ジョザイアはマクシミリアンの義理の曾孫……と言えなくもない。


(お祖父様なら……という、根拠はわからない安心感があるから……)


 マクシミリアンは、一緒にいる者をどうあっても前向きな人間にしてしまうという強制力のある人物だ。彼が監視役になるのならば、もう一度フィルと敵対するという発想にはならない可能性が高い気がした。


(フィル様がいたら、王太子として正しくいられない。……それなら、王太子ではなくなった……ただのジョザイア様には別の道があるんでしょうか?)


 そうであってほしいとセレストは願う。

 もうセレストが彼にしてあげられることは、なにもなかった。


「国王はきっともう日の当たる場所に出ることはないだろう。……精神的に無理だ」


 セレストは頷いた。


 廃された国王は、先王アーヴァイン・ノディスィアの暗殺をくわだて不当に王位に就いていた。さらに、国を私物化しまともな政を行わなかった罪もあり、ジョザイアよりも思い罰が科される。


 一度目の世界でもそうだったが、彼は自分が星獣に選ばれなかった劣等感に蝕まれて、心を病んでいる。

 王位を突然存在があきらかになった異母弟フィルに奪われたこと、フィルが星獣シリウスを従えていることで、彼の心は完全に壊れてしまった。


 また、ほとんど目立った動きをしなかった王妃は大きな罪には問われず、修道院で慎ましく暮らす手筈になっていた。


「……ミュリエルは……?」


「ミュリエル・ゴールディングは禁固刑を終えたら、家族のもとに帰るだろう。主犯のジョザイアより刑期が長くなることはない」


 ゴールディング侯爵家は取り潰しとなる。

 侯爵夫妻とミュリエルが刑期を終えたら、ノディスィア王国の平民としての権利を与えられ、その身の自由が保障される。

 この国では、刑期を終えた者にさらに罰が与えられることはない。

 出所した者には、国から仕事の斡旋がちゃんとあり、平民としてならば十分生活できるようになっている。

 ただし、懸命に働き、それで得た賃金で慎ましく暮らすという生活を彼女が受け入れれば――の話だ。


「ミュリエルは変われるでしょうか?」


「……変わらないと、おそらく生きていけないだろう」


 セレストは、貴族という地位に囚われすぎた哀れないとこが、平凡な生活を幸せだと感じられるように変わることを祈るばかりだった。


「どちらにしてもまだ先の話だ。……よし、こっちの肉はいいかんじに焼けたぞ」


「私のスープもよそるだけです」


 セレストは棚から二人ぶんの食器を出す。

 このキッチンに立つと、結婚したばかりの、完全にセレストを子供扱いしていた頃のフィルとの思い出が蘇ってくる。

 一番上の段にしまってある食器に手が届かなかった頃がなつかしい。


(……フィル様は記憶を取り戻す前から、私に優しかったな)


 かなり子供扱いされていたのも、今となってはいい思い出だ。

 花が飾られたテーブルにできたての食事とカトラリーが並ぶ。


 三体の星獣たちも実体化させて、まもなく、家族だけのパーティーがはじまる。――そのはずだった。


 ダイニングルームからふと視線を窓の外に向ける。


「もうすぐ日が沈む時間……」


 なにげなく夕暮れの空を眺めたセレストは、妙な既視感に襲われた。

 理由がわからないのに、感情があふれ出して、止まらなかった。


「セレスト?」


 気がつけば、セレストの瞳からポロポロと涙がこぼれていた。


「あれ……? おかしいです。……悲しいことなんて一つもないのに……これから楽しいことばかりのはずなのに……全部終わったのに……」


 セレストは一度目の世界が終わった時間を正確には覚えていない。

 けれど、暗い牢獄の中、小さな明かり取りの窓から見えていた空の色が、今と同じだった気がした。


 スピカが正気を失い、フィルがそばにいない――もう忘れてしまいたいのに、あの日の孤独と絶望が蘇ってきそうになる。


「大丈夫だ、セレスト。大丈夫……」


「ピィ……」


 フィルが駆け寄って、セレストを優しく抱き寄せた。

 足下にはスピカもいて、励ましてくれている。


「フィル様……、スピカ。泣いたりしてごめんなさい……。涙、どうやったら……止まるのかわからない、の」


 十八歳のセレストは、もう立派な大人になったはずだった。

 こんなふうに嗚咽をもらすのはおかしい。


「……そうだ、セレスト。指輪を出してくれないか?」


 優しく諭すような声色だった。


「ゆ、びわ……?」


 促されるままセレストは自分の首もとに触れて、服の下にしまっていた銀色のチェーンを取り出した。

 フィルが金具に手をかけると、チェーンだけがするりと床の上に落ちた。


 彼の手には八年前、家族の証として用意してくれた指輪が握られている。

 青い石のついた指輪がぴったりになった頃に、先のことを考えようとフィルが約束してくれた。


 数年前に身体的な成長が止まったため、すでに指輪のサイズは合っているはずだが、セレストはこれまで指輪を一度も嵌めていない。


 そうするのは、二人の関係を変えるときだと心に決めていた。


「これは証だ」


 フィルがセレストの左手を取って、薬指にそれを嵌めてくれた。

 それからもう一度引き寄せて、セレストの体をギュッと抱きしめた。


「俺も君も変わった――。一度目の世界にはこんな指輪は存在していない。俺たちは繰り返しているんじゃない……ただ進んでいるだけだ」


 空の色が変わるまでの時間、フィルはそのままセレストを抱きしめ続けた。


(ただ進んでいるだけ……。だったら、あのときの孤独な私も、いなくなったわけではないのかもしれない。だって記憶がここにあるもの。フィル様も覚えていてくれるもの)


 彼のことを「ヘーゼルダイン将軍閣下」と呼んでいたかつてのセレスト。

 人のぬくもりを知らないまま絶望の淵に落とされた十八歳のセレストも、フィルは丸ごと受け入れてくれる人だった。


 そう思うと、涙がぴたりと止まる。


「フィル様、……今日を一緒に過ごしてくださって、ありがとうございます」


 セレストは顔を上げて、涙を拭った。

 頑張って笑みを作れば、フィルも同じ表情を返してくれる。


 そして彼は、そのままセレストの前に膝をついた。


「セレスト・エインズワース殿」


「はい」


「改めてあなたに求婚する。人に命じられたものではなく、ただ俺の意志だけであなたと夫婦になりたい。……愛している」


「……はい、私も……私も……愛して、……ます……」


 好き、という言葉ならば簡単に言えるのに、愛しているという言葉はセレストには少し早い気がして、たった一つの単語がうまく言えなかった。

 今夜、そう言われることくらいわかっていた。期待していたはずなのにうまく伝えられないセレストは、長く生きているわりに不器用な人間だった。


 今度はセレストのほうからフィルに抱きついた。

 言葉でいくら言っても、彼への想いは伝えることができないほどいっぱいで、だから態度で示すしかなくなるのだ。


「なぁ、セレスト……キスしてみてもいいか?」


 そう言われた瞬間、床に膝をついた体勢のままセレストは固まった。

 ギーッ、と音が鳴りそうなくらい不自然な動きでなんとか頷くのがやっとだった。


「キスくらいでそんなに身構えるな」


 言い訳を口にすることすら恥ずかしくて、セレストはとにかくじっとしているしかなかった。

 初めてではないのに、たった一回では慣れるにはほど遠い。


 最初のキスとは違い、フィルの唇の感触も、体温も――鮮明にセレストの心に刻まれていく。


 唇が重なっていた時間は長くはない。

 けれど、解放されると触れられていた場所がジンと痺れるような心地になった。


「……頼むから、こんなことでそこまで恥ずかしがらないでほしい。……俺は、今夜から一切の遠慮をしないつもりだから」


 その言葉にセレストは目を見開いた。


「い、いいい、一切、ですか? 一切じゃなくて……できれば、あと何段階か……」


「絶対に嫌だ! ……ある日突然、想っていた相手が子供の姿になってしまったんだ。俺も若返ったが、普通に大人だったし。七年だぞ? 七年……誠実であり続けるのはかなり大変だった」


 フィルの記憶が戻ったのは、スピカと再会した日だ。

 そこから七年、彼はセレストが大人になるまで、ずっと待ってくれていた。

 あまりにも切実な表情が哀れで、セレストは申し訳なく感じた。

 そんな顔をされたら、まだ待ってほしいなどとは言えない。


「……私の心臓、大丈夫でしょうか?」


「知らん」


 せっかく二人で用意した夕食は少し冷めてしまった。

 けれどそんなことは大した問題ではなかった。動悸が止まらなくて、セレストは料理の味などわからなくなっていた。


 どこかずっとふわふわしていて、まるで夢の世界にいるみたいだった。


 フィルは、それまで完璧な「保護者」に徹していたことと、もう夫になったのだということを一晩かけてセレストに教えた。





 セレストにとって特別な一日が終わっていく。


 明日からはじまる日々は、一度目の世界のやり直しではない。

 これからは、未来になにが待ち受けているのかわからない。それは少し恐ろしく、けれどとても自由だった。


 愛する者たちと一緒にどこまでも。――セレストはフィルと星獣たちと一緒に生きていく。

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