4-4


(温かい……ふわふわの……)


 セレストの体はお日様と土の香りに包まれていた。


「クゥゥン」


 頬がこそばゆい。

 それに周囲に溢れている星神力は、よく知っているもののような気がした。


(前にもこんなこと……いつだっけ? あぁ、そうだ……十七歳……はじめて一人で任務に出かけたとき……同じような失敗をしたっけ……)


 強い魔獣には遭遇しなかったが、深い森の中を歩いているうちに滑落したことがあったのだ。

 走馬灯のような夢の中で、柔らかいなにかに包み込まれていた気がした。

 今と同じ、優しくて温かい星神力に守られて……。


(そのあと……森で迷っていたら、フィル様が……ヘーゼルダイン将軍が助けに来てくれて……)


 一人で大丈夫だと大見得を切ったくせに、ドジをした。

 そのあと、スピカがほかの星獣に伝わるほど力を使って、セレストの危機を知らせた。するとレグルスに乗ったフィルが駆けつけてきてくれたのだ。





「……え?」


 きっと意識を失っていたのは一瞬なのだろう。

 術で衝撃を和らげなければ確実に死ぬ高さから滑落したというのに、セレストはなぜか無事だった。

 落ちた先がたまたま柔らかかったせいだ。地面を探ると、もふもふしている。


「白銀の……大きな犬……?」


 慌てて半身を起こすとセレストの下に巨大な犬がいた。

 ライオンのレグルスよりも大きい、牛や馬と同じくらいの体長だろうか。


「ワゥゥゥン」


 魔獣ではないことは、犬のまとう気配でわかる。

 普通の犬ではなく、神聖な生き物だということも予想がついた。


(フィル様みたい……)


 周囲に漂う微弱な星神力がフィルに似ている気がした。

 大きな犬はセレストの頬をペロペロと舐めて、尾を振っている。

 まるで以前から親しい関係だったみたいだ。

 その人懐っこい瞳を見つめているうちに、彼の正体に思い当たる。


「スー……なの?」


 スーは白い小型犬だ。見た目はまったく違うのに、愛嬌のある瞳はそうとしか思えない。


「ワン!」


 尾を振る速度が上がり、全力で肯定しているのが伝わってきた。


「助けてくれたの?」


「ワウゥゥン」


 今度は誇らしげだった。


「ありがとう。スーがいなかったら死んでいたかも」


 セレストはスーに抱きついた。

 そして、すっかり忘れていたが、先ほど見た白日夢は一度目の世界で本当にあったことだと理解した。


「そうだったのね。あなたに助けてもらったのは二回目なんだ……。そのときのお礼も言わせてね?」


 まとう気配がフィルに似ている――これはきっと正解であり、間違いだ。

 星獣使いと星獣は、互いの影響を受け、共鳴し合う関係だから。


「そう……、なんだ……」


 スーがただの犬ではないとわかった瞬間、セレストは多くを悟った。ただ、あまりに重大な真実に触れてしまったからうまく言葉にならなかった。


 遠くからスピカの鳴き声が聞こえた。

 ガサゴソという音のあと、フィルの声も響いた。


「セレスト、セレスト! 無事か!? どこにいる?」


 必死の呼びかけだった。


「は、はい……ここに……。大丈夫です!」


 返事をするとフィルが崩れた場所を避けながら崖を下りてきた。肩にはスピカを乗せている。


「怪我はないか?」


「ありません。……スーが守ってくれました」


「そうか」


 フィルは今までにないくらい困った顔をしていた。

 セレストは二度目のこの世界で散々彼を困惑させてきたが、今回だけは、彼自身に原因があってこんな顔をしているのだ。


「……翼竜は間違いなく倒した」


「お祖父様は?」


「骨折したが自力で戻れる程度だ。レグルスと一緒に先に砦へ戻った」


「骨折……」


 木に打ちつけられたマクシミリアンの様子からして、軽傷とは言えないはずだ。


「大丈夫だ。傭兵の任務では怪我はつきものなんだから。それから砦のほうから敵の殲滅を知らせる信号弾が上がった。こちらの勝利もじいさんが砦へ知らせてくれるはず。戦いは終わったよ」


「よかった」


 無傷ではなかったけれど、やるべきことはやった。セレストは素直にそう思えた。


「頭は打っていないか? 怪我がないと言うが、擦り傷はすごいじゃないか……」


 フィルは、まだ座り込んだままのセレストに近づき、傷を確認する。ズボンや外套が守ってくれたおかげで土で汚れているがほんの少し擦り傷ができてしまった程度だ。


 戦いが終わった瞬間から、彼の過保護がまたはじまってしまった。

 いいや、彼の過保護は二度目の世界どころか一度目の世界からずっと変わらなかったのかもしれない。


「フィル様!」


「なんだ?」


 セレストにはどうしても確認しなければならないことがある。

 ごまかさず、答えてほしいことがあった。


「眼帯の下、見てもいいですか?」


 戸惑いと、しばらくの沈黙があった。


「……あぁ、そうだな。君にならかまわない」


 セレストは、フィルが今まで絶対に晒さなかった右目がどうなっているのかを確認するために、眼帯に手をかけた。

 眼帯が隠していたものは、醜い傷ではなかった。フィルの瞳は落ち着いた印象のブルーグレイで、覗き込むと、そこには紋章がはっきりと浮かんでいた。


「フィル様はシリウスの主人だったんですね?」


 星獣二体の主人という前例をセレストは知らない。歴史書にも書かれていない。

 けれどフィルほどの圧倒的な強さがあれば、それも可能なのかもしれないとどこかで納得もしていた。


「ああ、そうだ」


「少ない人数で翼竜を倒せる自信があったのは、そもそも今まで本気で戦っていなかったからだったんですね?」


 フィルは今まで、実力の半分も出していなかったのだ。彼の説明では、スーのことは信頼できる人に預けたと言っていたが、それは偽りだった。

 本当のスーは姿を隠して近くにいたのだろう。巨大な犬、ペットの小型犬と姿を変えられる力を持っているのだから、ほかの姿にもなれるのかもしれない。


 フィルと暮らしはじめたばかりの頃、フィルはスーのことを護衛役だと言ってセレストのそばに置いていた。

 フォルシー山の事件のときも、力のない愛犬をわざわざ同行させるのはおかしい。

 スーは……シリウスは、不測の事態が発生した場合に備えていつもそばにいたのだ。


「失望したか?」


「い、いいえ……。秘密を守ることよりも、私を優先してくださいました」


 誰にだって秘密はある。

 セレストも、本当は十八歳まで生きていることや、スピカが小さくなった原因について、フィルに話していなかった。

 巻き込んでいるのに真実を話していないセレストに比べたら、ただ言わないでおきたいことを隠していたフィルは悪くないように思えた。


「だが、すまなかった。……決して君を蔑ろにしたかったわけではない。スーのことは、知っているだけで罪になるだろうから、巻き込みたくはなかった」


 シリウスは行方不明になっていた星獣だ。

 前の所有者は先王で、魔獣討伐の折に行方不明となり死亡したと推測されている。

 その時点で星の間に戻らなかったシリウスは、先王を守ろうとして消滅したというのが多くの者の認識だった。

 それが生きているとなれば、まるで誰かが故意に星の間に戻さず、星獣を捕らえていたということになりはしないか。


 フィルが悪事を働くなどとは考えないセレストだが、彼が主人となって以降、故意に国への申告を怠っていたとするならば、間違いなく重罪だった。


「どうして……行方不明だったはずの星獣はフィル様を選んだのですか? いつから……? 先王陛下はどうなさったのですか……?」


「なにから話せばいいのか……。シリウスは俺が生まれたときからずっとそばにいたんだ。俺の父親は皆が先王と呼ぶ人物……アーヴァイン・ノディスィアという名だ」


 フィルはセレストの隣に腰を下ろすと、空を見上げながら昔話をはじめた。



 それはフィルが生まれる前、祖父マクシミリアンが軍人だった頃からはじまる長い物語だった。

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