4-3
「なんだあれは……」
「竜……? 翼竜だ!」
動揺した兵の叫び声が響き渡る。
翼竜は大きな翼を広げ舞い上がった。口から黒っぽい炎を吐き出したと思った次の瞬間、森の一部が消失した。
「わぁ……わあぁぁぁっ!」
「あんなもの……相手にできるはず……」
兵士の表情が絶望に染まる。このレベルの魔獣が現れたのはセレストが八歳の頃、エインズワース領が危機的状況に陥ったとき以来だ。
「術者以外は一旦待避! 赤兔は無視してかまわない。都への伝令を急げ。術者はこちらへ。……壁を築く防御部隊は護衛とペアで所定の位置へ移動」
ケレットは次々に命令を出していく。暑くはないのに汗をかき、動揺する中でも必死に司令官としての役割を果たそうとしている。
「ケレット大佐」
フィルが静かに呼びかける。
「はい!」
「緊急事態だ。管轄だとか、中央からの司令だとか、そんなことよりもこの地で暮らす民とあなたの部下を守るほうが大切だ。介入の許可を」
たとえフィルのほうが階級が上であっても、この地を守る責任者はケレットだった。
「あの魔獣は我々の手に負えるものではありません。私はこの砦の司令官として、エインズワース将軍閣下に協力の要請をいたします」
ケレットが良識を持った人格者であることが幸いした。
もし司令官が管轄外の者の介入を嫌い、自分たちだけで翼竜を倒し、実績を上げようという考えの持ち主であれば、セレストたちは実害が出てからしか戦闘に参加できなかった。
「わかった。……セレスト!」
その言葉を受け、セレストはすぐさま行動に移る。
まずはスピカを実体化させてから、心を落ち着かせるために目を閉じた。
(砦の術者が防御壁を築くより翼竜の到達が早い……第一撃は私が受け止める)
セレストは氷属性の術を得意としているし、翼竜は黒い炎のようなものをまき散らすが、あれは瘴気の塊のようなもので、炎とは違う。
炎と氷だったら相性が悪かったが、翼竜の攻撃を氷で防げるのは、一度目の世界で実証済みだった。
(この地……、湖は……私にとって有利な地形……)
この場所には大量の水がある。それだけで氷の元となる水分を生み出す過程を省略できるから普段よりも力を発揮しやすい。
セレストは湖の方向に手を向けた。
指先に星神力を集中させ、水を操る。
湖面に水柱が発生し、空で弧を描き、広がっていく。
「ガアァァァッ!」
翼竜の咆哮と同時に強風が吹き荒れた。
(集中! なにかあればスピカとフィル様が守ってくれる)
大がかりな術を使っている途中は、どうしても防御が疎かになる。
セレストは仲間を信じ、自分の役割を果たすだけだ。
水の供給源があり、温度を操るだけだとしても、さすがに砦と町を覆う防御壁を短時間で築くのは星神力をごっそり奪われる。
やがて青空を覆うようにドーム型の防御壁が完成する。地面との境界は柱になっていて人も魔獣も通す構造だ。
この防御壁の対象はあくまで翼竜の攻撃を回避するためのものだ。
中途半端にほかの魔獣からの攻撃を受けて、ドーム全体が崩れては元も子もない。小型の魔獣には柱をすり抜けてもらったほうが長持ちするはずだった。
構造も、氷の厚みも、フィルと事前に相談して決めていた。これで砦の術者が複数人で行う防御壁の展開をするまでの時間は稼げる。
氷の防御壁が完成する頃には、セレストの息はあがっていた。
「これが星獣使いの力か……まだ少女だというのに……」
「すごい……!」
セレストが力を見せつけることにより、兵の士気が上がった。それぞれが魔獣に臆することなく役割をまっとうすれば、きっと被害は最小限に抑えられるはずだ。
直後、上空の翼竜が黒い炎を吐き出してそれが氷の壁に直撃した。
ミシッ、という嫌な音はしたもののドームが壊れることはなかった。
「氷の防御壁は一時しのぎでしかありません。……ケレット大佐、氷の内側に防御壁を築いてください!」
この防御壁には欠点がある。
高速で展開できる代わりに、もし中央部分の氷が砕かれたら、凶器となって町に降り注いでしまうのだ。壊れる前に純粋な星神力で作られた防御壁に置き換える必要がある。
もしも氷が落ちるような事態になれば、フィルが炎の術でどうにかしてくれるとわかっているからこそ、使える方法だ。
「皆、聞いたか? ここには星獣使いのお二人がいてくださる。大丈夫だ、訓練どおりに、迅速に行動すれば必ず道は開ける」
防御担当の術者は全部で二十人。あらかじめ砦と町を囲むように補助装置が置かれた塔が立っていて、術者たちはケレットの命令ですでに装置へ向かっている。
そのあいだにも、翼竜は砦に向かって黒い炎を吐き出す。
ゴォォォッ、という振動と一緒に、直撃を受けた氷に亀裂が入った。
「エインズワース少尉! ここは私が修復します」
術者と思われる兵の一人が慌てた様子で叫んだ。
「お願いします!」
防戦一方では消耗するだけだ。翼竜を倒せる力を持っているのはフィルとセレストだった。
だから星神力はなるべく温存しておかなければならない。
昨日今日で会ったばかりだというのに、セレストたちと砦の兵には不思議な一体感が生まれつつあった。
しばらくすると砦から離れた場所にある塔からチカチカと光の信号で合図があった。
術者が補助装置のある場所にたどり着いたのだ。
「それでは防御壁の展開をはじめる!」
ケレットの言葉を受けて、そばに控えていた兵が光の術で合図を出す。
氷のドームの内側に虹色の膜が作られていく。シャボン玉の表面のようでいて、液体なのか固体なのかよくわからない。術者によってわずかに色調が違っている。膜は塔から放射線状に広がって、やがて重なり合い、最後には一つになった。
「これで砦の防御は問題ないだろう。……ここからが本番だ」
「はい、フィル様」
「翼竜は俺とセレスト、それからじいさんで迎え撃つ。砦の者は防御壁の外側でほかの魔獣の警戒にあたってくれ。災害クラスの魔獣は単体では現れないから、敵は翼竜一匹ではない」
翼竜がほかの魔獣を使役できる立場と考えるよりも、翼竜がばら撒く瘴気のせいで魔獣が凶暴化しているという状況だ。
すでに赤兔がこの砦に押し寄せているし、一度目の世界で読んだ記録によれば三十匹以上の闇狼がこれから現れるはずだった。
「なんだ。俺らの獲物は雑魚か」
傭兵団の団員一人がぼやいた。
「雑魚と言っても、中級クラスが出てきたらそれなりに骨が折れるだろうが」
「まぁ、仕方ないな。砦に近づく魔獣は俺たちに任せておけ! 暴れてこい、フィル坊」
好戦的で陽気な傭兵団の男たちは、地上で敵を迎え撃つために去っていく。
「セレスト、行けるか?」
「もちろんです。まずは氷の防御壁を解除します」
セレストは二重の壁に覆われた空に手をかざす。
そして氷の温度を操り、水に戻した。
「もったいないから……」
ただ水に戻すだけでは効率が悪い。セレストはそのまま
翼竜は素早い動きで回避したが、羽の一部が凍りつき、空で大きく体勢を崩す。
砦から離れながら、地面に落下した。
「では行くぞ!」
フィルは素早くレグルスを実体化させる。
「レグルス、すまないがじいさんを乗せてやってくれ。……飛び降りるから」
「ガゥ!? ……グゥゥ、グゥゥ……」
レグルスが油断しているところにマクシミリアンが飛び乗った。さすがの星獣であっても、たくましいマクシミリアンに乗られるとつらそうだ。
「レグルスや、すまないの」
「……すごく嫌そうにしていますね」
レグルスが潤んだ瞳でフィルとセレストを見つめながらなにかを訴えている。
「頑張れレグルス。……セレストは俺に掴まっていろ」
言うやいなや、フィルはセレストを抱き上げる。その上にスピカが乗ったところで、砦の張り出し陣から飛び降りた。
「ひっ!」
地面に降りる直前に術を発動させるとわかっていたが、浮遊感が恐ろしくセレストはフィルに抱きついたままギュッと目を閉じていた。
防御壁の外へは、壁の部分解除の術を使って出る。
階段を下りてやってきた傭兵団の一行と砦の兵が、下級の魔獣と戦っていた。
赤兔が逃げ惑い、闇狼が森の木々の隙間を縫って砦へ向かってくるのが見えた。
「おうおう、大群でおいでなさった! フィル坊、狼さんにはかまわず行っちまえ」
傭兵団の団員がフィルに声をかけた。
「恩に着る!」
三人と二体の星獣は、闇狼を避けながら翼竜が落下した付近を目指す。
やがて森の中の開けた場所にたどり着く。そばには落下したら命がなさそうな崖があった。
翼竜の姿が見えてきたところで、フィルはセレストを地面に下ろした。
翼竜は翼を動かして周囲に風を巻き起こす。
セレストの攻撃で貼りついた氷を、震動によって取り除こうとしているのだ。
「セレスト、スピカ! 翼を攻撃しろ。飛翔させるな」
「はい!」
「ピィ」
三人の中で射程の長い術を得意とするのはセレストだった。
スピカが氷の針を出して飛膜を攻撃した。
(スピカ……また一緒に戦える!)
まだ以前よりも小さいが、立派な戦力だ。
負けてはいられないと、セレストも氷瀑を翼竜に放った。
スピカとセレストの攻撃により飛膜がボロボロになっていく。
飛ぶ力を失った翼竜がもがきながら地面に落下した。
翼竜は戦意を喪失していない。氷が放たれた方向――つまり、セレストとスピカに向けて黒い炎を吐き出した。
けれど黒い炎はセレストたちまで届かない。横からそれを吹き飛ばす、すさまじい爆発があったからだ。
「フィル様……」
力を力で吹き飛ばすという彼の術は、普段の冷静で常識的な彼からは想像もできないほど苛烈だった。
「トカゲの首はワシがいただくぞ」
マクシミリアンが剣を抜き放ち、翼竜の頭に向かっていく。術を使えないというのに臆することなくまっすぐに。重い体でも彼の動きは俊敏で、翼竜が黒い炎を吐き出しても、すんでのところで避けている。
「勇者じゃなくてただの無謀者だな……あれは……」
フィルはそうぼやいてからマクシミリアンに続いた。前衛はフィルとマクシミリアンとレグルス。
スピカとセレストは彼らの支援というかたちになる。
フィルは体を動かすのに術を使っている。普通の人ではありえない高さまで飛翔し、降下しながら炎をまとう剣を翼竜に突き立てた。
レグルスも燃えさかる真っ赤な球体を作り出してそれを硬い鱗に高速で放った。
術で身体能力を補うことができないというのに、マクシミリアンの剣技はすさまじかった。
皮膚の弱い部分を見つけ出し、確実にそこを狙いダメージを与えている。
ギャァァッ、という翼竜の咆哮が森全体に響き渡る。
マクシミリアンが翼竜の片目に剣を突き立てたのだ。
翼竜は飛膜を失った翼でマクシミリアンをなぎ払う。
「グッ、ガァァ」
マクシミリアンは後方に飛ばされ、大木に強く背中を打ちつけた。
左の腕がぶらんとしていて、鼻血も噴き出している。
「じいさん!」
「……だ、……大丈夫だ……。まだ右腕があれば剣を握れる……!」
翼竜は敵の中で一番弱っているのがマクシミリアンだと気づいたのだろう。彼に向けて黒い炎を放った。
「スピカ!」
「ピィ」
立ち上がるのが精一杯のマクシミリアンを庇う位置にスピカが氷の盾を出現させた。
(よかった……)
なおも戦いは続く。
フィルとレグルスが連携し、翼竜の首を狙っていた。
翼竜は町を完全に破壊してしまうくらいの戦闘力を持っている。星獣使い二人と星獣二体でも、簡単に倒せる相手ではなかった。
フィルにも疲労の色が見て取れた。
「……そろそろ仕留めないと、星神力がもたないな。行くぞ、レグルス」
「グルゥゥ」
フィルの動きが速くなる。体に疲労が蓄積されているのに、それを感じさせない力強さだ。
レグルスが翼竜を引きつけているあいだに、フィルが死角から炎をまとった剣で太い首を切り落とした。
普通の動物であれ、魔獣であれ、首が弱点であることには変わりない。
翼竜は絶叫とともに黒い炎を吐き出すが、すぐに立ち消えた。
「やった……」
けれど、終わった――と思ったのは完全に油断だ。絶命したはずの翼竜の尾がビクン、ビクン、と大きく跳ねて大地を崩す。
動物は絶命してからも筋肉の萎縮で動くことがある。そんな基本的なことを忘れ、セレストは油断したのだ。回避しようと後ろに飛びすさった瞬間、足元が崩れる感覚がした。
「キャァッ!」
「セレストッ!」
フィルの声が遠かった。
いつのまにか崖ギリギリの場所まで追い詰められていたのだ。
以前、スピカがやってくれたように雪を敷き詰め落下を軽減させられたなら――わかっていても術を使う余裕すらなかった。
(あぁ……ごめんなさい……)
誰にどんな理由で謝りたかったのかもわからないままセレストは意識を失った。
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