4-2

 一行は石造りの堅牢な砦の中を歩いていた。

 砦の司令官、ケレット大佐に内部を案内してもらっているのだ。すれ違う兵たちはフィルやセレスト、そして灰色傭兵団にも敬意を表わしてくれる。

 フィルは、軍内部の多くの者から尊敬されている一方で、生まれが貴族ではないという理由で血統を重視する者、とくに貴族の士官からは嫌われている。

 セレストの伯父やミュリエルのように、選民意識の強い者はフィルのような存在が自分の立場を脅かす可能性を考えて恐れているのだろう。

 そして、術者がほとんどいない灰色傭兵団のような存在は、中央に所属する軍人からは蔑まれる傾向にある。

 しかし、この砦の者たちにはそんな雰囲気はなかった。


(士気は高いし、いい雰囲気。都とは随分違うのね。司令官のお考えに感化されたのかも)


 中央に近い場所に配属される軍人は、強い術者の家系の者――つまり、貴族が多い。都に拠点を置く部隊は、地方で対処しきれない事態が想定されたときだけ動くというやり方をする。

 もちろん、地方にも強い力を持つ者は配属されるのだが、出世コースとは言い難い。

 事前の調査によればケレット家は男爵家で一応貴族なのだが、術者の名門とまでは言えない家系だ。

 術者としてはかなり優秀だが、それゆえに、やや左遷気味な人事で今の役割に就いたようだ。


 この国で最高位の星獣使いに敬意を表すのと同時に、術者ではない者が多い灰色傭兵団のこれまでの活躍を正しく評価している。

 ケレットはかなりの現実主義者だと言える。

 そんな彼が森の様子を眺めながら、一行にいろいろと説明をしてくれる。


「ご存じのこととは思いますが、魔獣というのは非常に厄介でして、予告なく現れます。……砦に詰める者の任務の大半は、森の監視ですね。砦では、目視と術の両方で休むことなく警戒しております」


 等間隔で監視役の兵が配置されているのがわかる。

 けれど、この砦の監視対象は沼と木々が生い茂る森だ。目視による監視というものには限界があり、それを補うのはやはり星神力を使った術だった。


 魔獣の源となる力は、清らかな星神力とは逆の瘴気だ。

 術者の中にはその気配を読み取るのに長けた感受性の強い人もいる。複数の方法で監視を行うことによって、この砦の安全は保たれている。


「セレスト、よく見ておくんだ。……監視という任務は、終わりがなく苦労が多いのに正当な評価を得られない傾向にある。そのくせ失敗したら責任を取らされる。星獣使いとして兵たちの上に立つ者は、誰がこの国の平和を維持しているのか正しく知っておいたほうがいい」


「はい、フィル様」


 砦の兵たちはこの地を守るため、常に感覚を研ぎ澄ませ、いつ訪れるかわからない魔獣の襲来を警戒しているのだ。

 砦が魔獣を抑え込んでいるあいだは、どれだけ魔獣が発生しても「通常の任務」の範囲内。

 被害が出ると「砦の兵では対応できなかった」となる。

 つまり、評価されるのは実際に戦いが起こってから魔獣を倒した者ばかりで、監視の任務は「できて当然」という風潮がある。


 フィルとセレストの会話を聞いたケレットは涙ぐむ勢いで感動していた。


「エインズワース将軍閣下のような方がいらっしゃれば、軍の未来も明るいと存じます」


 対魔獣の前線に立つ司令官は、かなり真面目な人のようだ。

 砦の内部を一通り案内されたあと、セレストたちは空き部屋の一つに通された。当初の約束では、このあと手合わせを行う予定だったはずだが……。


 その前に、焦った様子の兵が皆の元へやってきた。


「エインズワース将軍閣下、ケレット大佐。……至急のご報告がございます!」


「どうしたのだ?」


 ケレットが兵を近くに呼び寄せる。


「はい……、監視の術者が規定値を超える瘴気を探知しました」


「なに!? 引き続き、監視の継続を指示。兵には緊急の召集をかけ、警戒態勢を!」


「了解であります」


 兵は敬礼をしてからすぐに部屋から立ち去った。

 ケレットは客人であるセレストたちに向き直る。


「なに、このようなことは週に一度はあります。すぐに対処できる中型の魔獣程度が砦に近づいたのでしょう。ご心配にはおよびません」


 ケレットは客人に対しては大丈夫だと笑って説明をする一方で、兵に対しては警戒態勢を取るように指示を出している。砦の司令官としては、油断していないということだ。


(でも、翼竜は砦の戦力ではどうにもならない)


 予想どおりに事態が進んでいるが、問題はここからだ。

 セレストが一度目の世界で目を通した報告書によれば、最初の被害で砦の兵二十人が死亡する。都に情報がもたらされ、セレストたちがイクセタの町へたどり着くまでにはもっと多くの犠牲者が出た。

 この未来を変えるために、セレストとフィルは準備してきたのだ。


「せっかくお越しいただきましたが、手合わせは安全が確認されるまでできません。誠に残念ではありますが、またの機会にいたしましょう」


 ケレットの提案は当然だった。


「そうだな。……しかし、魔獣が出る可能性があるというのなら、休暇中といえども、観光をする気にはなれない。砦に留まらせていただきたい。それから、邪魔にならない場所で討伐の様子を見学させてもらえないか?」


「討伐を? しかし……」


「誓って邪魔はしない。砦のあり方について、なにか中央に提言できればいいと考えているという目的が一つ。実戦経験の少ないセレスト……エインズワース少尉に一般の兵の戦い方を教えたいという目的が一つ。それだけだ」


 今の時点でケレット大佐は、今回の魔獣の襲来が砦の戦力で対処可能な範囲だと考えているはずだ。

 それなのに星獣使いの手を借りてしまえば、兵たちの活躍の場がなくなってしまう。

 だからフィルは戦いには参加しないと明言したうえで、緊急事態が起こったときにすぐに対処できる位置に身を置く方法を考えていたようだ。

 先ほどフィルは、森の監視という任務が評価を受けにくいことに理解を示していた。

 彼の言う提言とは、もっと砦の兵が評価されるようにという内容だと受け取れる。


「なるほど、そういうことでしたら。兵たちも、星獣使いのお二人がこの場に残ってくださるほうが安心して任務を遂行できるでしょう。心強いです」


 留まる許可をもらったセレストたちは、張り出し陣へと移動した。

 弓を手にし警戒する兵たちの邪魔にならない位置に控え、敵を待つ。

 見学をするだけだと言いながら、マクシミリアンたちからは異様な殺気が漂っている。戦いの気配がすぐそこにあった。


(大丈夫、大丈夫……私が皆を守るんだから……)


 セレストたちがなにもしなければ、確実に人が死ぬとわかっている。

 けれど、この戦いに介入したからといっても、絶対に被害が出ないとは言い切れない。

 ここから先は、セレストにもなにが起こるか予想ができない。


「セレスト」


 落ち着いた声で呼びかけがある。


「は、はい……」


「気負うな。君は一人ではないのだから」


 フィルは一度だけセレストの手を強く握った。フィルにそうされて、セレストははじめて自分の手が震えていることに気がついた。


「フィル様」


「なんだ?」


「フィル様を頼りにしています。一番に……、誰よりも信頼しています……」


 言葉にすることにより、なにかが変わる気がした。

 もうフィルの手は離れているのに、手の震えはいつの間にか消えていた。


「あたりまえだ。家族なんだから」


 セレストにはいつだって仲間がいてくれる。そして一緒に戦ってくれる家族もいる。

 それを忘れなければ、知らない未来でも怖くはなかった。


 やがて森がざわめき出す。

 カサカサと動物が駆け、地面を踏み鳴らす音だった。


赤兔せきと……あんなに……」


「おそらく、強い魔獣の気配に怯え逃げてきたんだろう」


 フィルがセレストだけに聞こえる小声でつぶやいた。

 赤兔は下級の魔獣だ。真っ赤な身体をしたウサギで、臆病な性格だから基本的には森の中の生息域から出てくることはない。

 人間にとって魔獣の血肉は毒となる。捨て身の攻撃をされるとやっかいではあるものの、術者ではなくても対処が可能な戦闘力しか持っていない。

 けれど今回、砦に近づく赤兔は見える範囲だけでも二百匹以上と、とにかく数が多い。


 いくら下級の魔獣であっても、これだけ集まると厄介だった。

 弓矢ではどうにもならず、術での攻撃が頼りとなる。


「ふむ。赤兔は火に耐性があるから焼き払うこともできんし、厄介だな」


 マクシミリアンがそんな感想をこぼす。

 そのとき、緊急事態を知らせる鐘が鳴り響いた。


「何事か!?」


 ケレットが叫ぶ。


「大変です! 監視の術者が異常な瘴気を察知しました」


 伝令の知らせと大きな異変はほぼ同時だった。


 ゴォォォ、という地響きと一緒に、冷たい風が流れ込んでくる。

 森の木々をバリバリとなぎ倒しながら、沼のある方角から黒く、巨大ななにかが出現した。


 翼竜が姿を現したのだ。

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